渡部泰明『和歌とは何か』を読む2010/01/27 23:15

 いよいよ授業も最後の週を迎えた。レポート提出やテストの週である。成績をこれからつけなきゃいけないが、来年度の準備もまたしなきゃならない。奥さんに二月の予定を聞かれ、学校も終わったのだから、少しは暇にならないのと言われたのだが、スケジュールはほぼ埋まっていて、土日を含めて三日連続して空いている日はない。会議、研究会、私的な用事を含めてほとんど埋まっている。つまり、山小屋にいく暇はない。2月はいけないから一人で行ってと答えた。

 今日は「民俗学」のテスト。シャーマニズム、柳田国男の「妹の力」、フェミニズム、女性性、川上弘美、笙野頼子までかなり幅広く扱った。ついてくるのが大変だったと思うが、テストの内容もそれに応じて幅広く問題を出した。もっとも、前の授業で、授業で扱った内容を10のテーマに分けて箇条書きにし、この内容が授業で扱ったすべて。このなかから4、5問出す。持ち込みは自筆のノートのみ、と言っておいた。要するに、授業でやったことを、ノートにまとめさせておいて、それを書かせているのだから大変親切な問題だった。ただ、配った資料はかなり膨大で、テキストも読まなきゃいけないし、まとめるのは大変だったろう。出来は、まあまあといったところ。

 月曜は卒業ゼミの打ち上げで、近くのイタメシ屋に行って、みんなでピザとパスタを食べた。ところが、一人、わたし、チーズとオリーブ油がだめなんです、という学生がいる。おいおいイタメシ屋でチーズとオリーブ油がだめだったら食べるもんないぞ、と困ってしまった。聞くと、偏頭痛持ちでどういうわけかチーズとオリーブ油が良くないらしい。不思議な頭痛で、イタリア人と絶対に結婚できないな、と冗談言ったが、店の人に相談したら、店の人は困ったといいながら、和風スパゲッティを作ってくれた。こういう臨機応変な対応に感謝である。

 渡部泰明『和歌とは何か』(岩波新書)読了。とても良い本である。和歌の本はいままで何冊か読んだが、この本が一番おもしろい。ただの解説書ではない。和歌とは何か、という大テーマをきちんと引き受けながら、それに対する自在な定義を披露し、その定義にそって和歌のレトリックをを解説していく。その説明にはどれも納得した。

 和歌の言葉は演技である、というのは渡部氏の持論だが、「定型とは一つの運命である。歌を味わいながら。運命に導かれてゆくかのような予感が生まれるのである」と語る。また掛詞を「偶然が必然化するレトリック」と語ったり、「和歌は作者の現在を表すものだ。その現在の一点に収斂させ、共感を得るために縁語がある」と語る。 かつて岩波の『文学』のシンポジウムで対談したときに聞いてはいたが、このように本で読むと、その説明のうまさに感心する。私も万葉でこのように説明出来たらおもしろいのにと刺激を受けた。

     運命!とつぶやいてみてコート着る