折口信夫と台湾原住民研究 ― 2010/01/31 01:23
金曜から山小屋に来ているが、今日土曜日は研究会で、茅野から東京へ往復。明日また東京へ帰る。夜は満月で雪山はほんとうに不思議なほどに明るい。
研究会では中国少数民族「白族」の「山花碑」という詩をを読んでいる。この詩は碑文に刻まれた漢詩なのであるが、実は、白語を漢字であらわした詩文で、漢字の読みだけで読んでいくと本来の意味が読み取れない。そこで、白語がどのように漢字で表されているかを、先行研究の注釈書をいくつか比べながら、文字を持たない民族の言葉を漢字という文字に置き換えたときに、どのように置き換えていくのか、それを勉強しようという研究会である。
当然、それは、日本に漢字が入ってきたときに、文字を持たない日本語を漢字であらわそうとした努力と似たものである。漢字の音と意味をそのまま用いる「音」や、意味を優先して漢音と違う読みをする訓と、というようにである。
この研究会でKさんが、関口浩というハイデッガー研究者の抜き刷りを持ってきた。それは、「折口信夫と台湾原住民研究」という論文で、あることがきっかけでKさんのところへ送ってきたという。そのあることとは、去年、ある学会で、折口論を書いて賞をもらった新進気鋭の評論家A氏を招いてシンポジウムを行ったのだが、その後の懇親会でKさんとA氏がやりあった。
その場にいた私ははらはらしたというようなことをブログで書き、Kさんも私のブログを見て誤解がないようにと自分のホームページでそのいきさつを書いたのである。関口さんはそのK氏のホームページを読んで、論文を送ってきたという。
「折口信夫と台湾原住民研究」は実は、A氏の書いた折口論「神々の闘争」の徹底した批判である。この人ハイデッガーの研究者なのに、実に丁寧に台湾の「蕃族調査報告書」を読み込み、A氏の論がいかに折口の論や台湾の民族についての思い込みと誤読によって展開されているかを一つ一つ批判している。K氏がA氏とやりあったというブログを読んで、何か感じることがあって送ってきたということのようだ。
ブログも、読む人は読んでいるのだなと感じた次第である。その意味ではあまりいい加減なことは書けないが、かといって、思いつきや愚痴を書く場所でもあるので、多少いい加減でないとというところもある。
関口氏の論読んでみたが、なかなか説得力がある。Kさんも指摘していたが、やはり台湾の先住民の文化は、独自に発展を遂げた一種のガラパゴス文化で、流動的な海洋民族の文化とは違っている。そういう意味での台湾原住民文化のアジアの中での位置づけが必要なようだ。それにしても、この論は、A氏の本の評価を変えてしまうかも知れない。
冬の月光満天に行き渡る
研究会では中国少数民族「白族」の「山花碑」という詩をを読んでいる。この詩は碑文に刻まれた漢詩なのであるが、実は、白語を漢字であらわした詩文で、漢字の読みだけで読んでいくと本来の意味が読み取れない。そこで、白語がどのように漢字で表されているかを、先行研究の注釈書をいくつか比べながら、文字を持たない民族の言葉を漢字という文字に置き換えたときに、どのように置き換えていくのか、それを勉強しようという研究会である。
当然、それは、日本に漢字が入ってきたときに、文字を持たない日本語を漢字であらわそうとした努力と似たものである。漢字の音と意味をそのまま用いる「音」や、意味を優先して漢音と違う読みをする訓と、というようにである。
この研究会でKさんが、関口浩というハイデッガー研究者の抜き刷りを持ってきた。それは、「折口信夫と台湾原住民研究」という論文で、あることがきっかけでKさんのところへ送ってきたという。そのあることとは、去年、ある学会で、折口論を書いて賞をもらった新進気鋭の評論家A氏を招いてシンポジウムを行ったのだが、その後の懇親会でKさんとA氏がやりあった。
その場にいた私ははらはらしたというようなことをブログで書き、Kさんも私のブログを見て誤解がないようにと自分のホームページでそのいきさつを書いたのである。関口さんはそのK氏のホームページを読んで、論文を送ってきたという。
「折口信夫と台湾原住民研究」は実は、A氏の書いた折口論「神々の闘争」の徹底した批判である。この人ハイデッガーの研究者なのに、実に丁寧に台湾の「蕃族調査報告書」を読み込み、A氏の論がいかに折口の論や台湾の民族についての思い込みと誤読によって展開されているかを一つ一つ批判している。K氏がA氏とやりあったというブログを読んで、何か感じることがあって送ってきたということのようだ。
ブログも、読む人は読んでいるのだなと感じた次第である。その意味ではあまりいい加減なことは書けないが、かといって、思いつきや愚痴を書く場所でもあるので、多少いい加減でないとというところもある。
関口氏の論読んでみたが、なかなか説得力がある。Kさんも指摘していたが、やはり台湾の先住民の文化は、独自に発展を遂げた一種のガラパゴス文化で、流動的な海洋民族の文化とは違っている。そういう意味での台湾原住民文化のアジアの中での位置づけが必要なようだ。それにしても、この論は、A氏の本の評価を変えてしまうかも知れない。
冬の月光満天に行き渡る
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