いろいろある8月2009/08/19 01:39


 このブログもしばらくぶりである。いつも通り忙しかったとが、さすがに今はさほどでもない。確かに、原稿を書いたり、資料作りの仕事はあるにはあるが、それより、山小屋での肉体労働のほうが忙しかった。

 山小屋の道路に大きな丸太が山ほど積んである。実は、薪にするためにいただいたものだが、それを薪小屋や、山小屋の軒下に運ぶ仕事である。そうしないと薪が雨で腐ってだめになってしまう。それに敷地内とはいえ、道路際に積んでおくというのも、あまりほめられたものではない。

 ということで、一抱えもある丸太を一個ずつ抱きかかえては道路から運んだ。山小屋は道路の下の傾斜地に建っているので、運ぶには階段を下りて行かなくてはならない。このあがりおりがけっこうきつい。それから、山小屋近くの傾斜地の山林に歩道の階段を作る。

 一週間この仕事を続けて何とかやり終えたが、体中の筋肉が痛くなった。やはり歳である。特に背中と腰が痛い。重い物を持ったせいである。

 それから、薪割り機が動かなくなった。知人の別荘に薪割り機を運んだところ、薪割機が動かない。とにかく一人では運べない、電動油圧式の重たい機械なのだが、動かない。たぶん油圧の油が抜けたのだろうと思うが、説明書がないので、原因の見当が付かない。ギブアップした。これがないと薪割が大変なのだが、困った。

 久しぶりに、一週間ほど頭脳労働や事務仕事以外に時間を使った。なかなか心地よかったのだが、身体は心地よくない。おまけに、薪を運んでいたら、薪をねぐらにしていた蟻が私の手首にかみつき、四カ所ほど腫れてしまった。それがかゆくてたまらない。

 16日、アジア民族文化学会の人たち3人来る。夕食を食べ仮眠して夜中の一時に車で出発。新野に出かける。新野の盆踊りを見るためである。この盆踊りはほんものである。三日間夕方から明け方まで踊る。踊りの会場である道路のやぐらには、新盆の家の提灯が飾られている。ゆったりとしたメロディの踊りで、楽器はつかわない。歌声だけで踊るのである。
 17日の早朝は、祖霊送り。精霊となった死者を送るのである。まず提灯を子供たちがそれぞれ持って行列をつくり、神送りの場所へと向かう。行列は踊りの会場を突っ切るのだが、踊り手たちは、行列の前で小さな輪になって踊り始め行列の行く手をふさぐ。霊たちが帰るのを邪魔しようとするのである。一つの輪が崩れて行列が進み始めると、また輪ができる。これが何度も繰り返される。この盆踊りの見せ所である。

 神送りの会場に着くと、提灯が山積みされ儀礼のあと燃やされる。それを見ていた子供が、ああおじいちゃんが燃やされたと言っていた。これで先祖は帰ったのである。人々は帰り始めるが、決して振り返ってはならないという。未練を残した霊が戻ってきてしまうからだという。

 新野から諏訪に戻る。諏訪下社の春宮、秋宮を見学したあと、諏訪市博物館へ。ここで来年の御柱シンポジウムの打ち合わせである。新たに会員二人と合流しだいたいの企画やスケジュールを決めた。一応公的な機関と一緒にやるのでけっこう大々的な催しになりそうだ。

 17日、S氏が山小屋に泊まり、翌18日S氏は、下諏訪に調査に行くという。私は、あずさで東京へ。午後歯医者に予約してある。梓の中で学校からメール。2年前まで短大で長年教えられていたU先生がお亡くなりになったという。朝日新聞に出ていたということで、みな大慌てである。とにかく、私はまず学校に直行することにした。わが学科から生花を送る手配をし、連絡出来る先生には連絡するように指示。私は19日から学会のセミナーで箱根に2泊の予定で行くことになっているが、19日は葬儀なので出なくてはならない。

 午後、歯医者へ。なんと3時から6時まで治療。普通こんなに長く治療する歯医者はいないよなあなどと思いながら治療を受けた。久しぶりに家に戻ったが、奥さんは山小屋にいるので私一人である。帰ればいろいろと仕事があって、大変である。が、しばらくブログを書けそうもないので、ここで書いておかなくては。

  死者達の未練なきよう盆踊り

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