トポス論で2泊3日2009/08/24 00:32

 19日から21日まで箱根で学会のセミナー。最近、この時期は中国での調査が多いので久しぶりの参加である。

 19日、葬式から戻り、支度して家を出る。成城学園前から急行で小田原に。今までは川越から箱根に行っていたのだが、小田急沿線に引っ越してきてさすがに箱根は近くなった。

 今回のセミナーのテーマは、「古代文学と場所(トポス)」である。いつもながら難しいテーマで、発表者は大変だろう。今回は発表はないので気楽に参加である。朝9時から夜10時30分まで発表を聞き、その後、部屋で飲み会になる。これが恒例で、だいたい若い者は朝方までしゃべっている。年寄りの部類になってきた私はそれでも二時までつきあった。これを二晩やる。体力がないと大変なセミナーである。若い時は、ほとんど寝なかった時もある。このセミナー、もう20年以上参加している。

 ただ、こういう交流もまたいろいろと楽しいし、学生や若手の研究者にとっては、年上の研究者からいろんな話を聞く良い機会でもある。こういう場でないと聞けない話もある。
あるいは、久しぶりに会う人もいるし、音沙汰の無かった人の消息を聞くこともある。

 実はこのセミナーで私より若いY君という万葉の研究者が最近亡くなったことを知り、ショックを受けた。知人の死の知らせが続く日である。というのは、U先生の葬式のあと、セミナーへ行こうとしたところ、友人から電話があって、昔の全共闘時代の活動家だった人が亡くなった、今日通夜だという。セミナーが無ければ私は通夜に出ていたろう。が、さすがに、葬式のためにセミナーに遅れると連絡したばかりで、また通夜だから今日は行けないというわけにもいかない。Y氏は優れた活動家でよく知っていたが、あまり面識はなかったし、私との接点はなかった。それで、連絡してくれた友人に、申し訳ないが通夜に行けないと連絡した。

 トポスとは場所のことだが、このセミナーで意味するのは、聖なる場所といった意味でのトポスである。それ自体かなり幅の広い概念である。トポスという言い方をするのは、私たちの思想あるいは幻想は、それらをあらかじめ構成している空間もしくは場所、といったものに実は規定されている、ということを意識することで、それらを超越したところに成立しているはずだと思い込んでいるわたしたちの思想や幻想をあらためて見直してみようというものだ。

 例えば、柳田国男は死者の霊は山に行って先祖となると考えた。これはある意味で山というトポスにあの世という世界を見出す思考である。が、山をトポスとここであえて名付けるのは、すでに仏教という普遍的な宗教が入ってきて、山はすでに霊の行くトポスではないという考えが一般的になっているからである。仏教以前のアニミズム的世界観では、ある限定された空間や場所があの世であり、それ以外のあの世はなかった。つまり、そこが世界のすべてであった。だから、あえてトポスと呼ぶ必要はないのである。

 私たちの観念がそういう場所や空間を超えて広がりを獲得したとき、逆に克服された空間や場所が、その広がりにあらがう「何ものか」として意味づけられたのである。その何ものかをらしく指示するためにあえてトポスというようなポストモダン的名称で呼んでいる、というわけだ。そしてもう一つ大事なことは、トポスを生きる人にとって、その何ものかを自らの普遍として生きざるを得ないと言うことである。とすれば、その人は、マイナーな人である。が、マイナーであるからこそ、そこから見えてくるものがある。

 以上のような理解は私の理解であって、セミナーに参加した人たちの理解ではない。たぶん、それぞれにいろんなトポス論を抱えていたのだろうと思う。発表のなかで、柱に関する資料がでてきたのでそれにとても興味を持った。何しろ、御柱で来年企画を立てているところである。これは使えそうだなと思った。思いがけずいろんな知識を与えられるのもいいところである。

 セミナーから帰り、次の日に山小屋へ。今度は、遠野物語関係の資料を抱えて、九月の遠野物語研究会での発表の準備である。まだ構想ができていない。いつもながら、引き受けるんじゃなかったと後悔の日々である。

                        めざめれば命短し蝉の国