英語のレッスン ― 2008/11/23 00:14
連休というのに今日は一日原稿書き。奥さんはチビと山小屋へ。林檎の樹のオーナーになっているので、今日は林檎の収穫であろう。手伝いに奥さんの妹が来ているらしい。たくさんなれば300個は取れる。値段的には安いのだが、結局そんなに食べられるわけじゃなく、人にあげたりジャムにしたり、そして、傷んでダメになってしまうのもけっこうある。来週からは毎日林檎だ。私は、嫌いじゃないが剥くのが面倒なので余り食べない。ただ、血圧にいいので、奥さんは毎日食べろとうるさい。
明日は指定校推薦の入試、明後日は授業。今日書いていた原稿は笙野頼子論だが、何とかなりそうだ。今年は私が編集委員なのでその私が原稿をかなり遅らすのはよくないので、必死に書いている。
歯の治療で化膿止めの薬をいまだ飲んでいる。それでアルコール無しでいるのだが、この生活も一ヶ月近い。最初はものもらいで目の縁を切開し、今度は歯肉である。抗生物質をこんなに長く飲んで大丈夫なのか、と心配になるほどだ。歯肉とは言え切開するとなるとやっぱり回復までには時間がかかる。抜糸は来週になる。それまではアルコールは飲めない。別に中毒じゃないからどうってことないが、食事の時間が短くなったのは確かだ。
それが、体にいいことなのかどうか。何となく基本的な人間の愉しみが無いような気はしないでもない。
昨日は午前中歯医者、昼に英語のレッスン。午後会議。実は、中国人の学生がいて英語はまったく習っていない。日本語は文章が書けるほど達者である。が、必修で英語の授業を受けなくてはいけない。実は、何処の大学でもそうだが、英語を初習外国語としては想定していない。基礎英語といっても高校基礎程度の英語は習っていることを前提とした授業である。
その学生に相談されてみんな困ってしまった。短大では、以前は、外国語の単位として、ドイツ語やフランス語を外国語として英語の代わりに受けることが出来た。が、制度がかわって、新入生は英語が全員必修になったのである。しかも大学も短大も区別なく、能力別に応じてクラス分けされる。英語をまだ習ったことのない人のクラスはない。
相談されて英語の教員はどうしようか悩んだ。制度を変えて例外を作るわけにもいかない。一番低いレベルのクラスに入れるしかないが、それでもついていけないだろう。とにかく解決策としては、その学生に特別の補習授業をして英語を最初から教えるしかない。が、問題は誰がやるかである。正規の授業ではないので、それこそボランティアである。英語の教員はみんな忙しくて誰もやりますと言う者はいない。それで、学科の長である私がレッスンをやるということになったのである。
私は英語は得意ではない。語学は基本的に苦手である。中国語もいまだにだめである。私が引き受けたのは、中学程度の英語なら何とかなりそうだというのと、私が中国語を習うというのもあるよな、ということでだった(このこと確か以前ブログで書いた気がする。どうもおなじ事を何回か書いている。惚けてきたのか)。
私も忙しいので、週二回昼、30分ずつレッスンしている。もうすぐ、中三が終わる。学生も何とか授業に出てくる英語が全く分からないということはなくなってきたと言っていた。私も中一の英語から復習しているということになる。けっこう忘れていたことに気付いた。
ふと西暦の読み方がわからなくなった。確か、二桁ずつ読むはずだよな、と思いながら、でも2008年は何と読めばいいのか、などと混乱してしまった。だいたい忘れているからこういう混乱はよくある。調べたら、基本は二桁ずつの読みだが、2008年はだいたいツウーサウザンドエイトの読みらしい。まったく冷や汗をかきながらのレッスンである。
神楽舞う山里のこと聞かせたり
明日は指定校推薦の入試、明後日は授業。今日書いていた原稿は笙野頼子論だが、何とかなりそうだ。今年は私が編集委員なのでその私が原稿をかなり遅らすのはよくないので、必死に書いている。
歯の治療で化膿止めの薬をいまだ飲んでいる。それでアルコール無しでいるのだが、この生活も一ヶ月近い。最初はものもらいで目の縁を切開し、今度は歯肉である。抗生物質をこんなに長く飲んで大丈夫なのか、と心配になるほどだ。歯肉とは言え切開するとなるとやっぱり回復までには時間がかかる。抜糸は来週になる。それまではアルコールは飲めない。別に中毒じゃないからどうってことないが、食事の時間が短くなったのは確かだ。
それが、体にいいことなのかどうか。何となく基本的な人間の愉しみが無いような気はしないでもない。
昨日は午前中歯医者、昼に英語のレッスン。午後会議。実は、中国人の学生がいて英語はまったく習っていない。日本語は文章が書けるほど達者である。が、必修で英語の授業を受けなくてはいけない。実は、何処の大学でもそうだが、英語を初習外国語としては想定していない。基礎英語といっても高校基礎程度の英語は習っていることを前提とした授業である。
その学生に相談されてみんな困ってしまった。短大では、以前は、外国語の単位として、ドイツ語やフランス語を外国語として英語の代わりに受けることが出来た。が、制度がかわって、新入生は英語が全員必修になったのである。しかも大学も短大も区別なく、能力別に応じてクラス分けされる。英語をまだ習ったことのない人のクラスはない。
相談されて英語の教員はどうしようか悩んだ。制度を変えて例外を作るわけにもいかない。一番低いレベルのクラスに入れるしかないが、それでもついていけないだろう。とにかく解決策としては、その学生に特別の補習授業をして英語を最初から教えるしかない。が、問題は誰がやるかである。正規の授業ではないので、それこそボランティアである。英語の教員はみんな忙しくて誰もやりますと言う者はいない。それで、学科の長である私がレッスンをやるということになったのである。
私は英語は得意ではない。語学は基本的に苦手である。中国語もいまだにだめである。私が引き受けたのは、中学程度の英語なら何とかなりそうだというのと、私が中国語を習うというのもあるよな、ということでだった(このこと確か以前ブログで書いた気がする。どうもおなじ事を何回か書いている。惚けてきたのか)。
私も忙しいので、週二回昼、30分ずつレッスンしている。もうすぐ、中三が終わる。学生も何とか授業に出てくる英語が全く分からないということはなくなってきたと言っていた。私も中一の英語から復習しているということになる。けっこう忘れていたことに気付いた。
ふと西暦の読み方がわからなくなった。確か、二桁ずつ読むはずだよな、と思いながら、でも2008年は何と読めばいいのか、などと混乱してしまった。だいたい忘れているからこういう混乱はよくある。調べたら、基本は二桁ずつの読みだが、2008年はだいたいツウーサウザンドエイトの読みらしい。まったく冷や汗をかきながらのレッスンである。
神楽舞う山里のこと聞かせたり
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