セミナーから帰る2007/08/22 23:39

 学会のセミナーを終え帰宅。今年は箱根も暑かったが、それでも山のなかだけあって、風があれば涼しくなるし夜は過ごしやすい。川越はまだ猛暑である。夕方日が落ちてからチビの散歩に出たが、地熱が残ってまだ暑い。チビも足が短いので、アスファルトの熱をもろに受けるので、ハアハアいいながら歩いている。

 セミナーでのシンポジウムはまあまあ責任は果たせたのではないか。このセミナーへはもう20年以上、ほぼ毎年(最近は中国調査と重なるので欠席が多い)参加しているが、いつのまにか私は最年長の部類に入ってしまった。古代文学の学会はなかなか若手の研究者が出てこない。この学会も、平均年齢はだんだん高くなってきている。このセミナーに参加している若い人達はとても貴重である。

 そういう人達に刺激になる発表だったかどうかはわからないが、私のように、言語学や哲学の理論を自己流に使いこなして発表するのは、あまり参考にはしてほしくない。まあ参考にするものはいないだろうが。和歌(詩)の言語をめぐるシンポジウムだったが、折口信夫の『言語情調論』を正面から取り上げたことが、参加者には斬新だったようだ。

 学生の合宿のようなセミナーで、夜は部屋で飲み会になる。だいたい明け方まで酒を飲みながら話をするが、体力のないものから先に寝る。私は2時くらいでダウン。何人かは4時まで起きている。朝8時には朝食。9時から発表、それを二日続ける。シンポジウムは、午前、午後、夜があって、夜は11時近くまでやる。8人の発表者の話を聞いて、討論してと、このセミナーは体力がないと持たない。このセミナーに来なくなった研究者は大抵もう体力的にきついので、と言い訳を言う。私ももうそろろそきつくなってきている。

 でも、畳の部屋で酒をのみながら研究者同士でいろんな話をするのは貴重な機会である。たとえ馬鹿話でも。これが楽しみで参加する人もいるだろう。大学院生などはばりばりの研究者と直に話ができる良い機会でもある。今年は30人弱だったが、これからも続いていくことを願う。

 それにしても、圏央道が中央高速につながって、川越から箱根まで2時間ちょっとで行ってしまう。御殿場まで全部高速でいける。かつては、16号で厚木まで行き、そこから高速で小田原、そして箱根、というルートで行ったが、6時間かかったこともある。便利になったというか、味気なくなったというか。帰りは、埼玉組を私の車に二人ほど乗せて箱根から川越駅まで送る。

 ベンツのオープンカーに乗ってきた研究者がいてこれには驚かされた。中古で買ったと言っていたが、それにしても目立つ。ただ「柏」ナンバーだったのが悲しい。夫婦で来ていたが、古代文学の研究者の夫婦がベンツのオープンカーに髪をなびかせて帰って行く姿を見て、貧乏な若手はカッコイイと叫んでいた。

 帰ったら、旅行会社から中国行きのチケットが届いた。そろそろこっちの準備を始めなくてはならない。

    山降りて残暑の街やひびの入る

AO入試2007/08/25 00:46

 今日は朝から夕方までオープンキャンパスで出校。受験相談に、午後はAO入試の一次面談。オープンキャンパスの相談者は去年よりは増えている。短大の場合、相談者はほぼ推薦入試に応募する人達なので、来年の志願者は増えるかも知れないと期待を抱く。

 AO入試を私の学科は「コミュニケーション入試」と名付けているが、一般的には、早い時期の推薦入試のことである。推薦入試の合否は11月以降と決められているが、AO入試の場合は、内定という形で早めに合否を決めてしまう。大学によっては7月に合否を決めてしまう場合もあると聞く。要するに受験生の青田刈りということである。

 高校側では早く合否が決まると高校の勉強や受験勉強をおろそかにするので、余り歓迎していないが、短大や大学側は、早めに一定の入学者を確保出来るので力をいれている。特に、短大の場合、推薦入試で入る学生の割合は、全入学者数の100%でいいことになっている。ちなみに、大学は50%という制限がある。だから、定員割れの危機がさしせまっている短大は必死に推薦で学生を確保しようと努力する。私のところも例外ではない。

 嬉しいことに今のところAO入試のエントリー数は、去年をだいぶ上回っている。この調子だと、定員を楽に上回る数をとれそうだ。

 「コミュニケーション入試」の方法は、コースによって違うが、複数の面談を行い、レポートや授業体験、あるいはネイティブの教員との英語会話とかのハードルを課すというやり方である。学力より、人柄ややる気、基本的な文章力といったことを重視するが、やはり人柄の要素は一番大きい。長年教師をやっていれば、30分話をすれば、話の内容、話し方、態度、服装といったことで、授業を休まずに真面目に勉強をするかどうかはほぼわかる。だから、偏差値が高くても、遊びそうだなと複数の教員の意見が一致した受験生は遠慮してもらうこともある。

 もともと、AO入試はニューヨークのプリンストン大学で、ユダヤ人の入学者を制限するために作られた受験制度らしい。つまり、人種差別の意図があって、学力試験ではなく面接を導入したということらしいのでが、やがて、それが、入試方法として効果的だということになって、全米の大学に広がっていったということだ。

 その意味で、人柄で合否を判断するのはフェアではないという考え方もあろう。が、学力考査の一般入試もあるので、人柄に自信がない人はそっちを受ければいいのである。学力に自信は無いが人柄に自信があればAO入試に望めばいい。むろん、基礎的な学力はないとだめだが。

 相変わらず心理学コースは人気で、相談者も一番多い。私どものコースは心理学の専門家を育てるところではなく、心理学の基礎的な知識やその他の色々な教養を勉強して、社会に出たときに役立てて欲しい、という考え方なんです、と説明するが、7・8割は、それがいいと言う。

 最初、あまり心理学の授業が多くないので中途半端なカリキュラムだと批判されたが、どうやらその中途半端さがいいということらしい。一応、私の思惑は外れてなかったということだ。

 久しぶりの仕事で疲れ果てて帰る。口承文藝叢書とやらに書いた「ペー族の掛け合い歌」という文章の校正原稿が届いていた。締め切りは9月3日だ。中国から帰ってくる前の日だ。ということで、今日、明日に校正原稿を送らなくてはいけない。中学生にも理解できるように漢字にルビをふってくれと書いてある。中学生に理解できるレベルがよくわからない。私も中学生並みだと判断して(案外そんなところかも)、私が難しいと思う漢字だけルビを振った。

 中国行きの準備は明日だ。

      さて今宵冷やし小豆を喰う夫婦

「ミヨリの森」を観る2007/08/26 00:50


 明日から中国ということでいろいろと準備をしているが、あまりの暑さにさすがに音を上げた。旅行用のしなものを買いに、近くに出来たドンキホーテに行った。ホームセンターのドイトが潰れてドンキになったのだ。ドンキに入るのは初めてで、噂に聞いた通り、中は商品がぎっしりと並んでいて狭く、うるさい音楽と、芳香剤だと思うが強烈な臭いでとにかく頭が痛くなった。でも安いのでいろいろと買ったが、チビにバンダナを買った。

 チビの首にバンダナを巻いてやるとけっこう決まる。奥さんが三味線の稽古をしている隣でバンダナをしたまま寝ている。よくまあうるさくないものだと感心。チビは普通の犬が怖がる雷や花火の音は怖がらない。ただ、ビニールの袋のがさがさという音は苦手で、どうも音感がおかしいのだ。

 こんなに暑いと早く中国へ行った方がましである。雲南は高地だからけっこう涼しいのである。帰ってくるのは来月の4日になる。それまでには日本も涼しくなっていて欲しい。

 9時からアニメの「ミヨリの森」を観る。つい全部を見てしまった。トトロの森とモノノケ姫とを一緒にしたようなアニメだが、両親が離婚し、こころのすさんでしまった少女が、父の実家の山里に引き取られ、その森の精霊や妖怪たちと交流しながら森の守り主として成長し、ダム計画から森を守るというお話である。

 とてもわかりやすい今の時代らしいアニメだが、けっこう面白かった。授業で、「遠野物語」や「千と千尋の神隠し」を扱っているということもあるが、時々、すさんだこころの学生と接することがあるので、この娘たちのこころを癒すのはやっぱり精霊や妖怪たちなのかなあと思ったりもした。

 他人は信じないが霊は信じる、というのは、たぶんあり得る。そういう感性に素直になるということもありだなと思うことはある。私は、素直でないので霊は見えないが、霊の見える人には興味がある。民俗学や文化人類学のような研究をしているのもそういう興味からだ。霊が見えるというのはたぶん人間のもっとも自然的な感覚にかかわるだろう。そういう感覚が、この今の時代に何故もてはやされるのか。当然、それは、そういう感覚を人間が失いかけていて、そのことが危機的だと感じているからだ。

 時間的には「オーラの泉」のあとに「ミヨリの森」で、いずれも、霊が見える人達のお話や物語であった。  

     深き森妖怪たちも魂祭り