京都から諏訪へ ― 2010/03/29 23:21
27日はガイダンス。立松和平をしのぶ会があったのだが、時間が重なり校務優先。ガイダンスが終わり、狭山丘陵近くの友人の家を訪れる。予定では花見なのだが、狭山丘陵の桜はほとんど咲いていない。それで、家で飲み会ということになった。
次の日28日は遠野物語の研究会があるので京都へ。27日の夜に行く予定だったが、宿が取れない。さすが春休みの京都は賑わっている。28日朝六時に家を出て、九時半には京都着。京大近くの稲森財団のビルに向かう。ここで朝から夕方まで研究会である。
臨床心理士の人たちと遠野物語を読んでいるのだが、なかなか面白い。島根県の女子大生惨殺事件の事が例として取り上げられていた。あの地域は、神話と神楽の里である。つまり異界の物語が、遠野のようになんとなく語られていそうな地域である。そこでカウンセラーをした体験によると、女子大生の事件を、山姥に追いかけられるような物語や、神隠しのように語る子供がいるという。そういう物語もしくはそれを語ることが子供の心にどんな役割を果たしているのか、という発表であったが、なかなか興味深かった。
人々に語られる異界の物語を、心理学的に扱うとけっこう斬新な切り口になることがわかる。むろんこれらは河合隼雄の『昔話の深層心理』の影響下にあるものなのだが、河合隼雄は、心理の主体を日本人として大きくとらえたために、ある意味で、日本の文化や日本人論になってしまった。むしろ、異界というゾーンに脅える共同体の一員の心理の問題として、物語の生成が語られる必要があろう。そういう意味で、遠野物語は、昔話に還元されない現実社会とつながったリアリティをもっているので、心理学の問題として扱いやすいのだと思う。
私なども、心理学と昔話や物語を結びつけた授業をしようと考えているのでこの研究会とても助かる。
次の日は研究会の予定だったが、中心のA氏が欠席しているということもあって、研究会は28日で終わることになった。それで、私は、茅野に向かう事にした。実は、奥さんが茅野の山小屋に来ることになっているので、茅野駅で落ち合って山小屋に行くことにした。名古屋で中央線の特急に乗り換え、木曽川沿いを塩尻まで行き、そこで今度は新宿方面に乗り換えて茅野で下りる。京都を十時に出て茅野着一時半である。
途中雪が強くなり、ほとんど真冬の雪景色である。山小屋のあたりもかなり雪が積もっている。しかも寒い。こういう時は暖かくしてじっとしているのに限る。
京都駅構内の小さな本屋にどういうわけか『葬儀の民俗学』(河出書房新社)という新刊があり、思わず買ってしまった。そして茅野に着くまでにほぼ読了。なかなか事例や資料を丹念に拾っている本なので参考になるところもあったが、それにもかかわらず、結論は学問的でない。が、だからこそ、こういう読み物としての本になったのだろう。
教えられたのは、楠神という信仰が土佐にあるということ。クスノキは大木が多く、聖樹として信仰されるが、クスノキの樹木そのものが神として信仰されるということはあまりないと思っていた。が、楠神というのがあるのである。
それから、全国に青島という小さな島が、河口や入り江にあるが、これはもともと葬儀とかかわっていたのではないかという。アオは境界的な色調。本来灰色に近い彩度であって、ブルーという色ではない。つまり、あの世とつながっているという意味の色である。このアオ島が、訛って大島になっていくという論理は、例もたくさんあって説得力があった。
諏訪も茅野も御柱で盛り上がっている。四月の二日から山出しが始まる。その準備で諏訪は大変だろう。私もシンポジウムを計画しているので、今度の御柱は、いつもよりは当事者気分になっている。それだけシンポジウムはしっかりやらないといけないということであるが。
柱曳く荒ぶる衆や諏訪の春
次の日28日は遠野物語の研究会があるので京都へ。27日の夜に行く予定だったが、宿が取れない。さすが春休みの京都は賑わっている。28日朝六時に家を出て、九時半には京都着。京大近くの稲森財団のビルに向かう。ここで朝から夕方まで研究会である。
臨床心理士の人たちと遠野物語を読んでいるのだが、なかなか面白い。島根県の女子大生惨殺事件の事が例として取り上げられていた。あの地域は、神話と神楽の里である。つまり異界の物語が、遠野のようになんとなく語られていそうな地域である。そこでカウンセラーをした体験によると、女子大生の事件を、山姥に追いかけられるような物語や、神隠しのように語る子供がいるという。そういう物語もしくはそれを語ることが子供の心にどんな役割を果たしているのか、という発表であったが、なかなか興味深かった。
人々に語られる異界の物語を、心理学的に扱うとけっこう斬新な切り口になることがわかる。むろんこれらは河合隼雄の『昔話の深層心理』の影響下にあるものなのだが、河合隼雄は、心理の主体を日本人として大きくとらえたために、ある意味で、日本の文化や日本人論になってしまった。むしろ、異界というゾーンに脅える共同体の一員の心理の問題として、物語の生成が語られる必要があろう。そういう意味で、遠野物語は、昔話に還元されない現実社会とつながったリアリティをもっているので、心理学の問題として扱いやすいのだと思う。
私なども、心理学と昔話や物語を結びつけた授業をしようと考えているのでこの研究会とても助かる。
次の日は研究会の予定だったが、中心のA氏が欠席しているということもあって、研究会は28日で終わることになった。それで、私は、茅野に向かう事にした。実は、奥さんが茅野の山小屋に来ることになっているので、茅野駅で落ち合って山小屋に行くことにした。名古屋で中央線の特急に乗り換え、木曽川沿いを塩尻まで行き、そこで今度は新宿方面に乗り換えて茅野で下りる。京都を十時に出て茅野着一時半である。
途中雪が強くなり、ほとんど真冬の雪景色である。山小屋のあたりもかなり雪が積もっている。しかも寒い。こういう時は暖かくしてじっとしているのに限る。
京都駅構内の小さな本屋にどういうわけか『葬儀の民俗学』(河出書房新社)という新刊があり、思わず買ってしまった。そして茅野に着くまでにほぼ読了。なかなか事例や資料を丹念に拾っている本なので参考になるところもあったが、それにもかかわらず、結論は学問的でない。が、だからこそ、こういう読み物としての本になったのだろう。
教えられたのは、楠神という信仰が土佐にあるということ。クスノキは大木が多く、聖樹として信仰されるが、クスノキの樹木そのものが神として信仰されるということはあまりないと思っていた。が、楠神というのがあるのである。
それから、全国に青島という小さな島が、河口や入り江にあるが、これはもともと葬儀とかかわっていたのではないかという。アオは境界的な色調。本来灰色に近い彩度であって、ブルーという色ではない。つまり、あの世とつながっているという意味の色である。このアオ島が、訛って大島になっていくという論理は、例もたくさんあって説得力があった。
諏訪も茅野も御柱で盛り上がっている。四月の二日から山出しが始まる。その準備で諏訪は大変だろう。私もシンポジウムを計画しているので、今度の御柱は、いつもよりは当事者気分になっている。それだけシンポジウムはしっかりやらないといけないということであるが。
柱曳く荒ぶる衆や諏訪の春
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