台湾と折口と残虐性2010/03/01 01:27

 今日は日曜だが研究会。2月だがほぼ毎日出校。雑務と原稿と研究会で、休む暇なし。基礎ゼミのテキスト、文章表現のテキストと、私がとりまとめ、また改訂版の執筆を行っている。月曜に印刷に回さなきゃならないので、大変である。

 今日は、アジア民族文化学会関係の研究会だが、関口氏を招いて、氏のA氏に対する批判の論について語ってもらった。彼の話によると、A氏の本が出たときに、こういう本は批判されてすぐに絶版になるのではないかと思っていたそうだ。ところが、賞をもらい、しかも、折口研究者は何も言わない。こんなことがあっていいのか、折口研究者が何も言わないのなら、門外漢の私が書かなきゃということで書いたという。

 本人には送ったのかというと送っていないという。ただ、折口の弟子で歌人の岡野さんには送ったが、好意的な反応が返ってきて、岡野さんは折口の研究会のときに発表者のA氏にこの論文を読みなさいと、本人に渡したそうだ。だから、本人も読んでいるだろうという。なかなか、この論あちこちで話題になっているようだ。

 ハイデッガー研究者がなぜ折口なのかと聞いたところ、ハイデッガーはギリシアの古代に関心を持っていて、プラトニズム以前の非合理主義的な世界を抱え込んでいるのだという。それで、自分は日本の古代をやらなければならないと考え、それなら折口を読み始めたという。そこで出会ったのが、A氏の本で、これは違う、基礎的な文献研究もないし、自分の思い込みの側に、強引に結論を持って行くやり方反発を覚え、それで、台湾の蛮族調査研究を読み込んだということだ。

 折口についてはあまり述べていないが、と質問したが、今回は序であって、これから取り組みたいと言っていた。私は折口が台湾の蛮族調査報告を誤読しているということはないのか、と聞いた。問題なのは、A氏が折口をきちんと読んでいないことだ、と言う。たとえばそれを「残虐性」というキーワードの問題として語った。たとえば万葉人は、英雄としての王が象徴的に持つ残虐性を失い、言わば幻想として疎外する(彼は物語というが)ことで、歌が成立していると折口は言っているはずで、A氏のように台湾の首狩り残虐性と同次元で万葉人には残虐性があるというように語るのは、折口の誤読だという。正確に聞き取ったかどうか自信はないのだが、このようなことを言っていた。

 残虐性と言う言葉は、私も気になっていて、首狩りそれ自体は当事者にとって残虐ではない。多くの供儀儀礼の一つであって、ただ、人間が対象になるために、通過儀礼といった意味付与がされる。それを外部の人間が見るから残虐性という評価がなされる。折口は、フレーザーの王殺し(共同体の死と再生)のことや、英雄の持つ王であるが故の残虐性(エロス)を魂の死と再生の問題として語っているはずで、一般的な供犠のレベルでの残酷さとは違う次元のことのはずだ。ところが、A氏の本は、そこの区別がなく、折口の述べる残虐性が、外部から見てなんて残酷なことをしているんだろう、という次元のことと同じように語られている。私もそこ所に違和感はもっていたので、関口さんの話に納得はした。

 関口氏によると、どうもA氏は、折口全集を丹念に読んでいないのではないかという。良く引かれるのは、対談ばかりで、確かに分かりやすいのだろうが、誤読の危険性もあるという。この指摘、私にもあてはまりそうで、恐縮した次第である。

 ただ、関口氏との話で改めて気づいたのは、マレビトの曖昧さであり、折口的な、神と巫女との、暴力的でエロス的な関係の描き方というのは、部族王的な、権力の発生という問題が無ければ成立しないのではないかということであった。

 権力の発生の起源を折口は神と人との暴力的な関係において解釈しようとしたと言ってもよい。言い換えれば、権力の発生が特にないところでの神と人との関係は、折口の興味の範囲にはない。が、実は、柳田はそこに、民俗学の世界を求めようとしていた。そこに折口と柳田の違いがある。だから、折口は、神は王にスライドするところがあって、その意味で、王を生まなかった台湾原住民の閉じられた世界の報告書に対して、折口がどの程度の影響を受けたかは、ある程度想像できる。逆に、A氏は折口の神の世界と台湾原住民の世界を同一次元であるかのように語るのであるから、関口氏の言うように、折口が読めていないと、言われても仕方がないのかなと思う。ただ、一方で、それなら、権力の発生までいかない古代の、神と人との関係には、折口の言う暴力性やエロスは本当にないのか、という疑問にかられる。A氏が台湾原住民の首狩りを折口論として展開するなら、そこを問題にするべきだったのではないか。

 神と人との関係には命のやりとりがある。それは王(権力)を生み出す以前から、ずっとそうだったはずだ。なぜなら、神と人との間には断絶があるからで、その断絶を越えるには、命のやりとりを必要とするほどの「命がけの飛躍」が必要だからだ。そこまで、問題を抽象化できれば、A氏は、台湾の首狩りを通して折口を相対化できたののではないかと思う。そうであれば、誤読ではなく、Tさんの言う創造的誤読になったのになあと思うのだ。

 K氏とA氏がやりあったイタメシ屋で飲み会をひらき、そのまま関口さんと地下鉄に乗ろうとしたら、後ろから声がかかり、振り返ると、歴史家で「食文化史」の権威Hさんである。ひさしぶりである。彼とは同郷(同じ町内に住んでいた)年齢も同じ、同じ研究会にいて、中国の調査にも一緒に行った。

 彼はここのところ、台湾に何回も通っているというので、関口さんを紹介し、関口さんはHさんに論文を渡した。この論文、こうやって人から人に広がっていく。Aさんも大変だろうなと思う。

人と人とはつながっている三月

伊豆高原で2010/03/04 00:45


 月曜、火曜と、二つのテキストの原稿を印刷所に渡して、一段落。とはいえ、二月末締め切りの短歌評論の原稿をまだ書いていない。今週中に書かないと行けないと思う。勝手に思っているだけだが。

 四月に穂村弘とシンポジウムをやるので彼の本をいくつか買ってきて読んでいるのだが、やっぱり、現代の歌人のなかで彼はとても優れた言葉への感受性を持っているとあらためて感心した。私は現代の若い人の短歌はほとんど彼の本から情報を引き出しているが、それで間違いはないと確信した。

 定型についても、彼は、一度定型によって自分を肯定しないと自分の居場所がなくなってしまうようで不安なる、という言い方をしている。これも、なかなかいい言葉だ。定型を秩序や制度に見立てて、それへの反発に自分の居場所を見いだす、という近代の典型的な定型論から自由になっている。

 今日は、伊豆高原に住むN先生を奥さんと訪ねる。実は私の還暦祝いにごちそうしてくれる、というので、出かけたというわけだ。河津桜が有名だが、もうだいぶ散り始めている。写真は大室山の河津桜。

 天気はまあまあだったが、まだ肌寒い。それでも、伊豆はこちらから比べれば暖かなところだ。山があり、海がある。久しぶりに伊豆の海沿いの道路を走り、気分が良かった。チビも連れて行ったのだが、車の窓から海を見ても感激はしない。風景としての海を見ても何の風景なのかわかっていないのだろう。

 N先生は、喜寿を過ぎた年齢だ(そういえばお祝いしなければ)。まだお元気で、同じ歳の旦那さんと、一年の半分は伊豆で、後の半分は蓼科で暮らしている。私もそうしたいところだが、仕事もあるし、そんなお金も余裕もない、というところだ。

 N先生は近代文学研究者だが、大学院の教え子(実は古代専攻の私も教え子の一人に入れてもらっている)のうちほとんど、13人が大学の教員になったと言う。この就職難の時代にたいしたものである。   

 伊豆高原の別荘地内にある和風旅館で食事。温泉にも入った。なかなか良い温泉であった。食事を終えて、東京に帰る。車で2時間とちょっと、家は用賀インターの近くなので、けっこう早く着いた。ほんとうに久しぶりに仕事をしないで一日を終える。何か良くないことをしている気がする。これがワーカホリックの良くないところである。

                 春来れば山せまるごとく人老ゆ

FD活動2010/03/08 00:51

 金曜日に何とか短歌の時評を書き上げた。寺山修司の未発表歌集『月蝕書簡』を読み、寺山修司にとっての定型の意味について書いてみた。晩年に寺山は短歌を書き始めたが、結局、発表にはいたらなかった。その理由は、寺山自身が定型にたいして構えてしまったのだと考えられる。歌人としての若き寺山は、定型の力でそれこそ新鮮なことばを次から次へと生み出した。ところが、短歌を止めてからは、その定型に対して、自分を反復するだけではないかとか、個を失わせるとか悪口を語る。

 晩年の未発表短歌はある意味でその悪口の対象となるような歌である。が、問題なのは、それでも、歌作りを続けていたということだ。結局、寺山はどこかで定型の力に期待したのである。が、表面では定型を批判的に語る。晩年はどうもそういう分裂をかかえこんでいたようだ。そんなことを書いて見た。

 土曜、日曜と、京都同志社大学でのFDフォーラム研修会に出席。校務の出張である。勤務校のFD委員と一緒に参加。勤務校のFD活動(いわゆる授業改善運動のこと)をいかに盛り上げるかというテーマを抱えて、FD活動の先進地、関西圏の大学のFD活動の報告を聞いた。この研究会への参加は私は3回目になる。

 最初に参加したのは7、8年前たった気がするが、それにしても日本のFD活動もかなり進んできたなと実感。岡山大学の報告を聞いたがこれはかなり過激なものであった。というのは、大学のFD活動の委員会の委員長は学生なのである。つまり、学生と、教職員で委員会を構成しているのだがあえて委員長を学生にしたというのだ。30名以上の学生が委員になり、教師の授業改善運動をするのである。これってすごくない?

 FD活動だけではなく、学生が受けたい講座を企画して学校側に提案できる、という。そして、それを教える教員も学生たちが指名するか、公募するというのだ。その講座の教員は、教える技術や知識があれば職員であっていいという。ある講座の教員を学内公募したところ、ある職員がそれなら教えられると手をあげ、他に誰も手を挙げなかったので結局、職員がその講座を持つことになったという。

 いやはやここまで行ってしまったのかと驚いたが、シンポジウムのパネラーの一人山形大学の教授が、自分が学生の頃、教員の授業改善に加われなんて言われたら、自分のことを考えるだけで手一杯で、何で教師の手助けをしなきゃいけないのだと絶対に断っていたろう、と語っていた。同感である。ただ、20人に一人くらいはそういうことが好きな学生がいるかもしれない。そういう学生を育てる意味はあるかもしれないがとも語っていた。

 今や、アンケートをとるなんていうのは当たり前。アンケートをとらない大学は旧石器時代くらいの大学になってしまっている。大学はただ通過すればいい、学問は自分でするものだ、などと言うのもかなり昔の懐かしい話題である。

 ただ、おもしろいと思うのは、こういうFD活動もまた研究の対象になってしまったということだ。学会が出来、これを専門に研究して飯を食っている奴がけっこういる。嫌々渋々つきあいながら、でも、それを専門にしてしまう、というところが、何でも商売にしてしまう資本主義とよく似ているなあと、感心する。自分の授業をおもしろくしようと努力するより、どうしたらおもしろくなるのか、研究したり議論したりする方が楽しいのである。これは、われわれの業というものなのかもしれない。

                        春めきてもつれた思考風通す

研究室の引っ越し2010/03/11 00:03

 ここのところ毎日出校。研究室の引っ越しのためである。この四年間私は学科長室というところにいた。そこでほとんど仕事をしていて、私の研究室は倉庫代わりになっていた。だが、四月から、私は学科長でなくなるので自分の研究室に戻らなくてはならない。本や書類や四年間貯まったものを移動するのである。これがけっこう大変で、あと数日はかかる。何が大変かというと、四年間使わなかった研究室はあまりに雑然としていてそれにスペースがない。そこに、こちらの四年分を移すのは無理な話なのだが、移さないといけない。それが大変なのである。

 毎年確実に本は増えていく。研究書を買うことが研究をしている証明なので、教研費から本を買うのだが、置く場所がない。どうなることやらである。

 どうもわが学科の「日本文学」の人気がないので困っている。まあ以前から人気は無くなってきたのだが、今年がくんと落ちた。理由は、おそらく、就職には向いていなさそうだと思われていることのようだ。とにかく、今社会では就職できるか出来ないかが大きな関心事になっていて、それが、短大を直撃している。むろん、わが学科をもである。

 日本文学は、資格がとれるわけではない。最近創作も学べると売り出したのだが、これはある意味で就職と関係ないよ、とアピールしているようなもので、就職したいと切実に願っている受験生には、何の魅力もないようである。ただ、文章を書いたり文学好きな人たちが入ってはくる。問題は数が少ないということだ。こういう文学好きな少女はあまり就活には熱心ではない。就職率は上がらないので、たくさん来られても困る、というジレンマがある。

 来月の二つのシンポジウムの準備をしなきゃならないのだが、何となくその気にならなくて、ここんところちょっと古めの映画を借りてきて観ている。何作か観たが、面白かったのは「女はみんな生きている」、「リリィ はちみつ色の秘密」である。前者はフランス映画、後者はアメリカ映画だが両方ともミニシアター系の佳品。私は「リリィ」のような泣かせ系の感動的映画は苦手で、どちらかというと、ひょんなことから主婦が娼婦をギャングから助ける、という痛快な「女はみんな生きている」の方が好きだ。

 三月は、四月から始まる新年度の授業に向けての大切な準備期間で、遊んでしまうと四月からの授業が辛くなる。そう思いつつも、たいして準備もしないで過ごしている。新しい授業もあるのだが、どうも直前にならないと気分が乗らない。そうやって20年近く教員やっている。困ったものである。

                          三月や上書き保存繰り返す

明日は卒業式2010/03/15 00:13

 今年の入試が終わった。私の学科はどうやら定員ぎりぎりというところだ。原因は、いろいろあるが、たぶん去年の一般入試の倍率が3倍だったことが響いている。短大で3倍なんてあり得ない数字である。今年は、やはり、世間の短大並みの倍率、つまり1倍ちょっとに戻ったということである。

 相変わらず毎日のように出校しているが、今日教授会があって、私が司会であったが、これが最後の司会。ようやく肩の荷が下りたというところである。今年度最後ということで、退職なさる先生に挨拶していただいた。お一人は、47年つとめた女性。本学園が母校であるというから半世紀過ごしたということになる。女子大にはそういう先生がけっこういるのである。

 明日は卒業式。教員にとってはあわただしくそして寂しい日である。最近は、経済状況の厳しさもあって社会に送り出すことに一抹の不安を覚える。われわれが心配するまでもなく彼女たち自身は充分にうまくやっていくだろうとは思うのだが。ただ、なかには、誰かに頼りながらでもいいから、何とか普通に生きて行けよ、といいたくなる学生も少なからずいる。こういう気持ちにさせられるのが、現代的、ということなのだろう。心が少し不安定になっている学生も否応なしに卒業していく。社会は彼女たちをどう受け入れるのか、これもまた不安なのである。

 穂村弘本を何冊か読んでいる。実は16日に穂村氏と学会のメンバーとでシンポジウムの打ち合わせがある。私は穂村氏のファンであるので、こういう時に何を話していいかとても困る。それにしても、忙しい人がよく学会のシンポジウムに出てくれたものである。話題は定型のことになる。とても難しいテーマである。どんな風にも話せるし、同時に、どう話しても本質にはたどり着かないことがわかっているテーマである。定型ってこういう機能を持ってますよね、とか、こういうようにとらえたら面白いかも、とか、そんな話をくりかえすことになるだろうと思う。それでも、いいのではないか。どちらかというと私がメタ的に語り、穂村氏は体験的もしくは感覚的に語る、ということになろうか。噛み合わないとは思うが、この学会のシンポジウム、パネラー同士が噛み合うことはめったにないので、気が楽である。

                        紅梅や誰にも気づかれず咲く

卒業パーティ2010/03/18 00:20

 15日から16日にかけて卒業式、コースの教員の懇親会、卒業パーティと学年最後の行事が続いた。卒業式は私は学科長なので、全コースの写真撮影では真ん中に座らされた。こういうのも今年で終わりである。

 講堂で行われる卒業式は、30分ほどの短いものだが、看護の学生が謝辞を読み、途中で声を詰まらせたものだから、教員のほうも思わず目頭を熱くさせていた。こういう涙の卒業式もいいものであるが、久しぶりの体験である。

 翌日卒業パーティで、いつものようにディズニーランドホテルである。ここでやることがもう定番になってしまっている。オープニングに、ミッキーやミーニーちゃん、ドナルドがで出来て、会場は大騒ぎになる。これが魅力なのだろう。

 今年は人数が多くてなかなかよい卒業パーティだった。不況のなか、パーティ代を集めるのも大変で、参加者も何人になるか心配していたが、120名以上集まったので、盛況というところである。パーティ委員たちにはつまらないことにお金を使うなと言っておいた。たとえば、出席した教員に花束を贈るのは止めなさいと言った。花束の費用はけっこう高くなるし、だいたいあれは持って帰るのが面倒だから、手作りでお金のかからないものにしたらとアドバイスした。そのアドバイスのせいかどうかわからないが、花束はなしで、ハンカチと学生たちの感謝の言葉がたくさん入ったアルバムを贈られた。私が教えた学生たちの言葉がたくさん入っていて、他の先生たちも同じだろう。学生のメッセージを集めた手間暇は大変だったろうと思うが、こういうのを心のこもった贈り物と言うのだ。近年にないいい卒業パーティだったと思う。

 卒業パーティは2時で終わり、私はすぐ学校に戻る。基礎ゼミナールの初校校正をしなきゃならないのと、5時から、学会のメンバーと穂村弘が私の部屋に来ることになっていて、4月のシンポジウムの打ち合わせするのである。

 穂村さんが学会のメンバーとやってきて、いろんなことを話した。短歌の定型の話がテーマなのだが、結局、初対面の知らない者同士が、どういう話題で共感したり噛み合ったりするのか、まずは探り合いながらの雑談だった。

 穂村さんの話し方も話も対談集『どうして書くの?』とほとんど同じだった。むしろ、穂村さんは私の本など読んでいないだろうから、私が何者なのかわからず話をしていたのだと思う。私は短歌評論家ではなく、万葉集や中国少数民族の歌文化の研究者として話をしたのだが、興味を示してくれて、いつのまにか穂村さんが私に質問し私がそれに答えるという展開になってしまった。ただその質問が、本質的で、たとえば万葉の時代の人々にも所有欲はあるでしょう?とか、死は怖かったんでしょうか、とか、次から次へと率直に聞いてくるので、私は戸惑いながらも、こうなんじゃないですか、と何とか答えていたが、気がついたら二時間がたってしまった。

 あんまり打ち合わせという感じでは無かったのだが、とにかく、穂村さんといろんな話をして時間をつぶせるということだけは確認出来た。それだけ確認出来れば上々である。4月のシンポジウム何とかうまく行けばいいのだが。ただ、4月10日なので、授業もまだ始まっていないので、宣伝があまりできない。せっかく穂村さんを招くのに、参加者が少ないのではないかとそれが気がかりである。

                       乙女らは泣いて笑って卒業す

歌うネアンデルタール人2010/03/19 00:35

 相変わらず出校。校正やら、授業の工夫アンケートをまとめる作業とか、行けば仕事が待っている。このままだと3月はほぼ毎日出校となる。これじゃ、4月の準備も何も出来ない。何とか来週は出校しない日を作らないと。

 授業の工夫アンケートというのを教員対象に実施し、それをまとめて、教員に送る、ということを今やろうとしている。とにかく、教員に授業で心がけていることや工夫をしていることなどを書いてもらい、それを公開するというものだ。かつて、予備校で教えていたとき、講師同士の競争が激しく、ある講師はスパイを送り込んで人気講師のノウハウを盗んでいるなどという話が飛び交った。予備校は人気不人気が生活に直結するから講師も大変なのである。大学はそういうことはない。ただ、教員の授業がつまらないと今度は大学間の競争に負けてしまう。従って、教員同士が助け合って大学の教育の質の向上をあげていかねばならない。これをFD活動というのだが、授業の工夫アンケートもこのFD活動の一環である。

 山形大学などは、授業で教員がこういうことをしてはいけない、というチェック集をビデオにまとめて公開している。これが評判になっている。今、全国の大学ではこのFD活動花盛りなのである。わたしたちもその流れに乗り遅れないようにしている、というわけだが、ただ、自分なりに工夫しているものが、けっこうみんなもやっているんだなと改めて、他の教員の努力を見直すこととなった。

 『歌うネアンデルタール』という本を読了。厚い本だったが何とか読み終えた。考古学的な資料に基づきながら、ネアンデルタール人やホモサピエンスは歌をうたっていただろうか、ということを追求した本で、テーマは面白いのだが、結局、肝心なところは推測でしかないというところに、欲求不満か残った。

 ネアンデルタール人は、言葉を話さなかった。しかし、声を発して歌のようなものはうたっていたはずだ、と言う。われわれの祖先ホモサピエンスは言葉を話したから当然歌を歌った。

 ただ、感動したのは、ネアンデルタール人は、25万年間続いて滅ぶのだが、その間もほとんど同じ生活を続けていたということ。平均年齢は36歳くらい。世代交代を平和に繰り返していたと言うことだ。25万年というのはわれわれ人類の歴史の長さから比べると永遠と思えるほどではないか。

 ホモサピエンスも20万年前に現れ、4、5万年前にネアンデルタール人にとって代わった。それまではほとんどネアンデルタール人と同じく、狩猟、採集の同じ生活を繰り返していたのだ。が、農耕を始め、言語の情報量を飛躍的に高めることによつて、一挙に文明化していく。文字を発明してからまだ数千年なのに、その進化は累乗的である。たとえばあと1万年この調子で世界が発展しつづけるなどともう誰も思わないだろう。そう考えれば、25万年間同じような生活を続けたネアンデルタール人は偉いなと感動してしまう。

 そうすると言葉特に文字の威力というのはすごいと思う。恐竜の時代は1億6千万年続いたが、隕石の衝突で終わりを告げる。この1億6千万年という長さもすごいが、ある意味では、文字の発明は、この隕石みたいなものだ。何億年間の時間の進みを一挙に別の時間軸に変化させてしまう。文字をもった人間が1億年持つとは誰も考えないだろう。文字を発明してまだ5、6千年しか経っていないのに、もう文明の終焉などと言い始めている。だが、歌は、文字以前から、ネアンデルタール人も歌っていたとすると(われわれのような言語はもっていないからハミングみたいなものか)、歌は、何十万年、ひょっとすると一億年持つと言えるわけである。われわれの無意識の底にはネアンデルタール人の心の世界が記憶されている、と以前「脳と宇宙」という番組の解説にあった。つまり、歌うということは、文字という隕石を人類が手に入れるはるか以前のネアンデルタール人の心の世界に戻れる、ということでもある、ということだ。そう考えると、面白い。

                    花の下ネアンデルタール人も歌いけり

ラガーマンの結婚式2010/03/20 23:58

 今日は奥さんの姪の結婚式。奥さんはめったに着ない和服を着るということで、朝早くに渋谷の式場に。私も一緒に行ったが、時間が余ったので、近くのスタバで本を読んで時間をつぶした。おかげで読みかけの『巨木と鳥竿』を読了。

 昼からの結婚式だが、披露宴の客は二百名弱。私が今まで出た結婚式では一番盛大だった。何でこんなに盛大かというと、新郎は現役ラガーマン、元日本代表である。ラグビー関係者がたくさん来ていた。新郎側の挨拶は、新郎が勤めている某大手飲料会社ラグビー部の、成績不振の責任とって辞めたあの有名な監督。新婦はつまり姪は、新郎の大学時代のラグビー部のマネージャーをやっていた。

 とにかく、いかつい大男たちばかりである。監督がおまえらラグビーやっていなかったら、今頃なにやっていた、とラガーマンに向かって冗談めかして語っていたが、この結婚式、ラガーマンの集まりだと知らない人はどんな人の結婚式だろうかと、怖くなったのではないか。とにかく、日本を代表するようなラガーマンが何人も出席していて、ラグビーファンならたまらない結婚式だろう。ちなみに、新郎も、道を歩いていると熱心なラグビーファンにサインを求められることがあるそうだ。

 姪はほとんどギャル系の元気な娘で、見た目は美形なのだが、口を開くとやたらに超をつけてしゃべるので、結婚式の時ぐらいしゃべるなと言いたかったが、よくしゃべってよく笑っていた。こんなに笑ってキャーキャーいう花嫁は他におらん、と新婦の親族は恐縮していた。ちなみに、新婦も大手の事務機メーカーの営業をやっているが、その社長が熱心なラグビーファンで、新婦の側の祝辞の挨拶で、新郎は私が二番目に好きなラガーマンだと褒め、あこがれのラグビー部の人たちと会えてこんなにうれしいことはないと、新郎のことばかり言っていたのには笑ってしまった。

 今年は私は結婚式は二度目。式の最後に、今日の結婚式の様子や披露宴での映像が編集されて会場に映し出されたのには驚いた。ここまですすんでいるのだと技術の進歩に感心した。

 読了した『巨木と鳥竿』は、4月の御柱シンポジウムのための読書だが、あまり参考にならず。聖樹信仰は、自然の樹木に対する信仰だが、樹木信仰を背景とする日本は柱信仰なのである。つまり自然の樹木そのものを聖樹として祀る、というのがあまり見られない、というような気がしているのだが、そういう問題を考えたいのだが、それにはあまり参考にはならなかった、ということ。樹木の国日本では、どうして柱や杖の信仰ばかりで、聖樹そのものを祀らないのか。折口や、柳田は聖樹を神の依り代としている。つまり、依り代だから、神が寄りつくものであれば代替物でいいのである。どうもそういうことのようだ。聖樹でありながら代替可能、というところに、樹木信仰のおもしろさがある、ということではないか。
 
春一番新郎新婦に遅れけり

アニメの講座2010/03/26 00:20

 いよいよ新年度に向けたガイダンスが明日から始まり、今日はその打ち合わせ。我が学科の新年度の入学者がほぼ決定した。見事に定員割れである。去年、一昨年と1.3倍を越えていて、取りすぎとまで言われていたのに、今年は見事にその反動がきた。世の中厳しい。それにしても、受験生の動向を掴むのは本当に難しい。原因はやはり短大の就職率の低さが、短大への敬遠という動きになったこと。去年、一昨年と、一般入試が3倍という倍率だったことによって、短大志望の受験生は、わが学科を受けても受からないとして避けたこと。

 今年は、1.3倍くらいの倍率だから、来年はと期待するが、まったくどうなるかわからない。とにかく、いろいろい改革をやつてきて、今出来ることは魅力的な講座を作ったり、質の高い教育をすること位である。あとは、運命だと思うしかない。

 すでにブログに書いたことだが、授業の工夫アンケートというのを教員対象に行い、「授業間工夫集」と言う冊子を作って、学科の教員に今配っている。少しでも授業をよくするための努力である。それから、クリエイトという文学創作のカリキュラムがあるのだが、そこに「アニメの物語学」という講座を作ろうと計画している。ジブリの作品やディズニーのアニメを、物語学という観点から分析していこうというものだ。他の学科ではCGアニメーション制作の講座を作るというので、それに便乗したいとも思っている。

 文学の概念自体がすでに拡散し、物語は今アニメやマンガを無視できない。古事記の研究者が『千と千尋の神話学』という本を出すくらいである。とすれば、アニメの講座を作るしかないのだが、むろんもうあちこちの大学で似た講座は作られていて、漫画家が大学教授になっている。漫画家を迎えるほどの力はないので、こちらは、あくまでも、文学つまり、ことばや物語の問題として、アニメを扱う。まだ計画中で実現するかどうかはわからないが、実現したら、教えるのは私である。そういうことになっている。

 4月24日・25日に、諏訪市博物館とアジア民族文化学会共催でシンポジウムを行うが、そのチラシやポスターなどが出来上がった。諏訪市博物館もあまり予算がないらしく、手作りのポスターやチラシではあるが、だんだんと準備もすすんできて、すでに当日の宿とか昼をどうするという話をするまでになっている。

 私は、「何故樹木は変身するのか」というテーマで話をする。日本の聖樹信仰は、アジアの聖樹信仰と違って、樹木そのものに動物を供え物として祀ったりはしない。むしろ、柱などに加工して、樹木を里に移動する。人為的に加工された柱の、その霊力は自然の樹木よりどうもパワーアップする。そこが面白いところだ。

 他の発表者の内容もなかなか面白い。当日どのくらいの人が集まるかまったくわからないが、興味のある人はどうぞ。

三月やアニメの授業企画する

京都から諏訪へ2010/03/29 23:21

 27日はガイダンス。立松和平をしのぶ会があったのだが、時間が重なり校務優先。ガイダンスが終わり、狭山丘陵近くの友人の家を訪れる。予定では花見なのだが、狭山丘陵の桜はほとんど咲いていない。それで、家で飲み会ということになった。

 次の日28日は遠野物語の研究会があるので京都へ。27日の夜に行く予定だったが、宿が取れない。さすが春休みの京都は賑わっている。28日朝六時に家を出て、九時半には京都着。京大近くの稲森財団のビルに向かう。ここで朝から夕方まで研究会である。

 臨床心理士の人たちと遠野物語を読んでいるのだが、なかなか面白い。島根県の女子大生惨殺事件の事が例として取り上げられていた。あの地域は、神話と神楽の里である。つまり異界の物語が、遠野のようになんとなく語られていそうな地域である。そこでカウンセラーをした体験によると、女子大生の事件を、山姥に追いかけられるような物語や、神隠しのように語る子供がいるという。そういう物語もしくはそれを語ることが子供の心にどんな役割を果たしているのか、という発表であったが、なかなか興味深かった。

 人々に語られる異界の物語を、心理学的に扱うとけっこう斬新な切り口になることがわかる。むろんこれらは河合隼雄の『昔話の深層心理』の影響下にあるものなのだが、河合隼雄は、心理の主体を日本人として大きくとらえたために、ある意味で、日本の文化や日本人論になってしまった。むしろ、異界というゾーンに脅える共同体の一員の心理の問題として、物語の生成が語られる必要があろう。そういう意味で、遠野物語は、昔話に還元されない現実社会とつながったリアリティをもっているので、心理学の問題として扱いやすいのだと思う。

 私なども、心理学と昔話や物語を結びつけた授業をしようと考えているのでこの研究会とても助かる。

 次の日は研究会の予定だったが、中心のA氏が欠席しているということもあって、研究会は28日で終わることになった。それで、私は、茅野に向かう事にした。実は、奥さんが茅野の山小屋に来ることになっているので、茅野駅で落ち合って山小屋に行くことにした。名古屋で中央線の特急に乗り換え、木曽川沿いを塩尻まで行き、そこで今度は新宿方面に乗り換えて茅野で下りる。京都を十時に出て茅野着一時半である。

 途中雪が強くなり、ほとんど真冬の雪景色である。山小屋のあたりもかなり雪が積もっている。しかも寒い。こういう時は暖かくしてじっとしているのに限る。

 京都駅構内の小さな本屋にどういうわけか『葬儀の民俗学』(河出書房新社)という新刊があり、思わず買ってしまった。そして茅野に着くまでにほぼ読了。なかなか事例や資料を丹念に拾っている本なので参考になるところもあったが、それにもかかわらず、結論は学問的でない。が、だからこそ、こういう読み物としての本になったのだろう。

 教えられたのは、楠神という信仰が土佐にあるということ。クスノキは大木が多く、聖樹として信仰されるが、クスノキの樹木そのものが神として信仰されるということはあまりないと思っていた。が、楠神というのがあるのである。

 それから、全国に青島という小さな島が、河口や入り江にあるが、これはもともと葬儀とかかわっていたのではないかという。アオは境界的な色調。本来灰色に近い彩度であって、ブルーという色ではない。つまり、あの世とつながっているという意味の色である。このアオ島が、訛って大島になっていくという論理は、例もたくさんあって説得力があった。

 諏訪も茅野も御柱で盛り上がっている。四月の二日から山出しが始まる。その準備で諏訪は大変だろう。私もシンポジウムを計画しているので、今度の御柱は、いつもよりは当事者気分になっている。それだけシンポジウムはしっかりやらないといけないということであるが。

                          柱曳く荒ぶる衆や諏訪の春