バレンタインデー2007/02/15 01:03

 私は2月14日は毎年家に居るのでチョコレートなぞいただいたことがない。実は、家に居なくてももらったことがあまりないので関心を持っていない。この習慣は、私が学生の頃からあったと記憶しているから、少なくとももう37、8年は続いていることになる。菓子会社の戦略とはいえ、贈答文化として定着してしまったようだ。

 今日は雑務で出校。チョコレートが一つ届いていた。この時期、試験も終わり、大学には人がほとんどいない。だから義理チョコとかというよりバレンタインデーという雰囲気がない。ともあれもらえたのだからめでたいことであった。

 「国文学 解釈と鑑賞」3月号は和歌文学の特集である。その中で東歌と防人歌についての論があった。そこでは、東国歌の東国は、王権によって歴史的に形成された辺境に過ぎなく、そこに在地性を認めるのは間違いだと明確に述べられている。さらに、「防人歌」や「東歌」は大和帝国主義の作為なのだとして、そこに「人間的共感」を認めるのは、辺境の他者を帝国主義に包摂していく王権の策略であるから、それに乗ってはいけないという。

 実はこういう意見が今の上代文学会の主流らしいのだ。防人歌に感動したら国家に取り込まれるぞ、と言っているようなものである。まあそこまでは言っていないにしても、そこには感動という表現の本質を、王権や国家の作為と安易に決めつけるイデオロギー的思考がある。こういうのは滅んだと思っていたら、まだ生きていたのだ。そのことに驚いた。

 防人歌が貴族の作為であろうと幾分なりの在地性が認められようと、その表現に感動があるということを認めるところからしか研究は始まらないだろう。仮に感動が国家の作為だとしても、東国の人たちに、恋や防人の悲しみを表現する力が無かったなどとどうして言えるのか。それは逆に東国の人に対する差別なのではないだろうか。

 国家という次元とは別のところで何かを表現してしまうのが、われわれが研究対象にしている歌や物語と呼ばれるものである。それらは、確かに、国家という普遍的なシステム無しには成り立たないし、その内部で広がりをもつのは確かである。だからといって、それらの表現が国家に包摂されるから、限界があるのだとは言えない。

 防人歌が、国家に包摂される歌であるから、感動的に読んではいけないというのは、感動の表現史的な位置づけに注意しろということであって、感動するなということではない。仮に感動が一つの普遍的な言葉の力として当時あり得たのなら、それが東国に受けいれられない理由はない。東国の人は大和地方の歌などわからなかったはずだというのは根拠のない偏見だろう。感動を帝国主義が地方を包摂していく作為なのだとして片付けるのではなく、何故東国にそれが受けいれられたのか、その言葉の国家を越えた拡がりを探る方がどれほど生産的か。

     バレンタインデーという日に紛れいる

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