経済はコントロール出来ない2007/03/01 00:34

 今日は校正の日だ。どういうわけか、校正原稿が三本も集中した。科研の報告論文の校正と、岩波『文学』の座談会の校正、それから、これは私の原稿ではないのだが、学会誌『アジア民族文化研究』の校正。校正の苦手な私としては、ミスのないように何度も読み、そのうち二本を送った。

 昨日疲れてしまって、今日は家で休養。といっても、校正とヤマトタケル関係の資料を読む仕事はしなきゃいけない。床屋というほどではないが、薄くなった白髪頭でもそれなりに短くしなければならないので、近くの温泉にある千円でやってくれるカットの店に行く。その後温泉に入って帰る。こういうのも悪くはない。

 夕食後、借りてきたDVD「チェケラッチョ」を観る。疲れている時はこういうバンドものの青春映画なら間違いない。けっこう楽しめるし、見た後に疲れが残らない。沖縄の海が美しかった。井上真央も良かった。先週、テリーギリアムの「ローズ・イン・タイドランド」を観たが、これには後悔した。不思議の国のアリスといった趣というコピーを読んで、面白そうだなと思って借りてきた。テリーギリアムだから不安だなと思ったが予感は的中した。ほとんどグロテスクなファンタジーで、救いのない映画だった。アメリカの絶望は根が深い。

 上海で株が下落し世界同時株安が今日のニュースだ。内の奥さんは勤めていたときに薦められて買っておいた株がほんの少しばかりあって、こういうニュースも我が家には関わりがあるというのも面白い。大した額ではないので余裕だけれど、何億も動かしている人は気が気ではないだろう。

 上海のインタビューで、暴落で損をしたらしい中国人が、中央がもっとコントロールしなきゃだめだと言っていた。いかにも共産党と資本主義が一緒の中国らしい発言だ。資本主義的市場経済のいいところは、党にも政府にもコントロールできないというところだ。われわれが手にしている自由は、実は、この市場経済のわがままさに負うところが大きい。

 ファシズムはいずれも反資本主義である。共産主義もそうだ。権力は本来市場経済を嫌うのだ。コントロールがきかないから。そういう意味では、こういう突如として起こる株の暴落は、権力というものの無力をさらけ出す。それなりに良い効果もあるというわけだ。
     
 ただ、市場経済での利益を一部が独占し市場経済に参加出来ない貧困層がたくさん出てくるとなると、市場経済は暴走しない。一部の富の独占者に富を供給する場になる。権力が市場経済を好むのはこういう場合だ。

 今度の暴落が9.11以来というのは象徴的である。市場の暴走は国家にとってはテロに匹敵するのだ。大国間の経済の安定を図る会議は、軍事力の均衡を図る会議より優先する。豊になればなるほど経済の不安定がもたらす危機は深刻になる。その解決は、多国間の経済政策の摺り合わせしかしかない。軍事力ではないのである。

 つまり、平和を脅かす危ない国があるなら、早く豊かな国にしてしまうことが一番よい解決策なのだ。豊になってしまえば、コントロールの効かない経済というものが最大の脅威となる。そうすれば、かつての敵国と協力せざるを得ないのだ。

 それは日本の隣国だって例外ではないということである。

    春の風まだ北風の硬さあり

懇親会2007/03/02 00:54

 昼頃出校。会議が続く。教授会の後は向かいの学士会館で文科の懇親会。今年度でご退職の先生や助手さんを送り出す送別会でもある。一番長く勤めた方は43年。いやはや凄い。私など、今の職場に勤めて12年ほどになるが、これは私の同一職場での勤続としては最長記録である。職を転々としていたこともあり、一つところに4年以上いたことがない。いろいろと事情もあったが、まあそんなものだと思っていた。

 20代になるとき、定職につくような生き方はしたくないと、たぶん、若いときに一度は誰もが思うように私も思った。普通は、そういう願望はあきらめるのだが、私の場合、学生運動をしていたということもあって、定職につかないというかつけない人生を歩んでしまったというところだ。

 私みたいな生き方をしているのは、同世代の団塊世代には掃いて捨てるほどいる。だからそれが当たり前だと思っていたのだ。そういう私から見れば同じ職場に40年も勤めていたというのは、まったく想像できないし、感動すら覚えてしまう。そういえば、昨年お辞めになった短大学長は50年勤めていたという。これも凄いと思った。

 まるで定点観測みたいな生き方だと思う。私などはふらふらあちこち旅して回る、フーテンの寅さんとまではいかないが、まあ一カ所にとどまることが出来ないのという意味では、同じだったと思う。今の職場に12年勤めているのは、さすがに若くはないということだ。たぶん人よりは起伏の激しい人生だったと思うので、晩年くらい同じ職場で過ごしたいと思うのだが、ただ、もっと面白そうなことが出てくればどうなるかは分からない。

 懇親会でビールをコップ一杯ほど飲んだら貧血気味になってきた。やばいと思い、ウーロン茶に切り替える。終わったあと、新宿に出る。昔の知りあい達との月一の飲み会に顔を出す。ここでもウーロン茶だけ。最近忙しいので久しぶりである。だいたい同世代だが、会えば病気の話ばかり。友人が二人末期癌になったことが話題の中心で、明るい話題はない。早々に切り上げ、帰宅。奥さんは今日山小屋に出かけて、家には誰もいない。

 私は明日は仕事、明後日は学会の例会で、山小屋には土曜の夜にでも行こうと考えている。帰りの電車で、大野晋『考古学・人類学・言語学との対話』(岩波)を100ページほど読む。帰りの電車で100ページ読めるくらいたいしたことのない本だった。買って損した。

    遠くて見えぬあの山も笑うか

明日やろう…2007/03/03 01:31

 会議で出校。ついでに近くのM書院にポスターを取りに行く。ところが、重くて持てない。A3の大きさで300枚はさすがに重量がある。どうしようかと悩んだが、刷り上がった学会の雑誌と一緒に明日、学会の例会会場に送ってもらうことにした。持って帰る奴が気の毒だが、仕方がない。

 ただ、シンポジウムの発表者がお一人都合悪くなったということなので、一人の名前が違ってしまうことになる。代わりの人の名前を入れないとまずいだろう。これもまた大変だ。

 それにしてもこの時期毎日のように勤め先に出かけるのは初めてだ。これも管理職の辛いところか。なかなか自分の仕事が出来ない。

 三浦さんから『古事記講義』(文春文庫)の贈呈。以前出された本の文庫版である。さっそく、ヤマトタケルのところを再読。スサノオやヤマトタケルには翳りがあるとか、語りというものはどうしても逸脱に向かってしまう部分があって、それが古事記の英雄伝承には反映しているという指摘など、面白い指摘だと思う。

 福島泰樹からは『中原中也帝都慕情』(NHK出版)が贈呈。ありがたいことです。中原中也の東京時代を丹念に追いかけた本だ。福島さんの本を出すペースは衰えない。著者紹介を見たらすでに著作は80冊になると書いてある。すごいものだ。

 読まなきゃいけない本や、読みかけの本ばかりたまってきて、どうも前へ進まなくなってきた。気分転換が必要なのか、そんな暇もないのか、とにかく、明日になったら、きっと、いいアイデアも浮かんで、集中力もついて、原稿もはかどるだろうと、期待して、寝ることにしよう。

    啓蟄や眠たくて眠たくて本を閉づ

めげなければいいが…2007/03/04 02:02

 昼頃、古代の学会に出かける。いつもと違って東武練馬でやるので近くて助かる。川越駅で、夜9時発の梓の特急券を買う。ついでに、駅の本屋に寄って、日本書紀の文庫版がないか探す。研究室に置いてあるのだが、持ってきておくのを忘れた。岩波の大系本はあるのだが、重いので持って歩きたくない。今日、明日読みたいので、買ってしまおうというわけだ。が、置いてなかった。さすがに都心の本屋にいかないと置いてない。ついでに、西郷信綱『古事記注釈』の文庫版第六巻を買う。これも家にあるのだが、持ち歩くのに文庫版はそろえておきたい。

 学会の例会は、日本書紀歌謡についての発表。若い研究者だったが、この例会は一人3時間の持ち時間がある。発表は二時間近く、質疑応答一時間。一時間みっちり批判的意見にさらされた。昔からこの例会は若手にとっては通過儀礼みたいな場所だ。いいかげんだったり、テーマが甘い論だと、一時間絞られる。むろん、アドバイスももらえる。つらいと思うが、自分の研究を客観視するにはよい機会だ。めげないことを祈る。

 終わってから近くの中華料理屋で食事。ビールと紹興酒を少しばかり飲んだ。私は、梓にのるので途中退席。新宿に向かう。梓の車中で講談社『日本の歴史03』「大王から天皇へ」(熊谷公男)を200ページほど読む。飲んだあとだからさすがに集中できなかった。古墳時代と言われる4・5世紀についての最近の歴史認識を確認するための読書。

 4・5世紀は思ったより中国や朝鮮との緊張関係にあったことを理解した。日本が任那に執着したのは、進んだ文明の取得と鉄にある、ということらしい。この時期日本に竈が入ってきて、生活がかなり文明化した。ヤマト政権は、国内での権力の維持のために、それらの文明と鉄を必要としたということだ。

 ヤマトタケルの英雄伝承にはこういう対外的緊張は一切出てこない。なぜなら、ヤマトタケルが戦う相手は、野蛮で未開のイメージでなければならないからだ。中国から見ればそれは日本だが、日本から見れば、それは、日本の中の蝦夷なのである。自分のなかの野蛮を見出しそれを滅ぼすことは、自分が野蛮でないことを証明することだ。でも、自分が野蛮だったらどうするか。自分を攻撃し自分を排除するしかない。

 その役割を担わされたのがヤマトタケルということになろうか。そんなことを考えているうちに眠くなり、茅野に着いた。迎えに来た車に乗り山小屋に向かった。山は、月明かりで明るく、雪もこのところの暖かさでだいぶ消えたという。それでも、月明かりの中に雪のまだ残る山が鮮やかに見える。

    月と雪に幽明なり山笑ふ

啄木鳥にやられる2007/03/05 01:01

 今日は山小屋にて一日過ごす。キツツキが西側の板壁に穴をあけてしまった。幅が3センチ長さが5センチくらいで、中の断熱材が少し外側に飛び出ている。このままにしておくと、雨が入ったり、ネズミなどの小動物が入り込んでしまう。すでに壁の中ネズミ(ヤマネかも知れない)が走り回っているが、これ以上侵入されたらかなわない。

 そこで、防水シールを穴のなかに詰め込み、杉板を適当に切って防腐剤を塗り、他の板壁と同じ色にして、穴の上に打ち付けた。本当は、周囲の板の壁を切り取って、新たな板壁を張るのが綺麗でよいのだが、そんな暇も技術もないので、とりあえずは応急措置ということで修理した。

 ところが、今度は、トタン屋根の垂木の凸部分を覆っていたトタンが二カ所ほど滑り落ちていて、木の部分がむき出しになっているのに気づいた。これは、屋根に積もっていた雪が滑り落ちるときに、その重量で垂木のトタンを引っ張ったからである。明日から雨だということで、これも放っておけない。放っておけば雨漏りの原因となる。そこで、屋根によじ登り、板金の工事。ずり落ちた凸の部分のトタンをスライドさせて引っ張りあげ、釘を打ち付ける。何とか修理を終えた。

 山の家は手を入れないとすぐにぼろぼろになる。それがよくわかる。何せ、樹木と動物のすみかにムリヤリ人間の家を建てているのだ。人が住まなくなればあっというまに廃屋になる。それが自然の摂理というもので当然なのだ。

 ヤマトタケルの資料を読み、そろそろ書き出さなくてはと思いつつも、出来ず。明日帰ってからだ。今日は例年より10度ほど暖かい。そのせいか何となく一日眠たい。チビのようについごろごろ寝てしまう。疲れもで出来ているか。

     瓶に立つ猫柳ゆらり和みたる

高速料金が高い2007/03/06 01:24

 今日は移動日である。山小屋から川越まで、佐久平インターから高速道に入り関越自動車道川越インターで降りる。料金3400円。所要時間、山小屋から川越の自宅までスムーズにいけば2時間半。途中休憩など入れると3時間かかる。今日は、3時20分に出て、6時半頃についた。途中休憩や寄り道もあったので3時間弱というところか。まあまあである。

 高速道路の料金がけっこう高い。往復6800円になる。月3回往復すると2万円を越える。何とか安くしようといろいろ工夫している。ETC割引もその一つだ。例えば、深夜0時を超えて入るか出るかで料金がかなり割引になる。時々これを使う。ただ疲れるのでめったに使わない。それから通勤時間帯割引がある。朝9時までと、夕4時以降3時間、郊外区間百キロ以内なら半額割引である。例えば、朝か夕方東松山から乗って軽井沢で降りると半額になる。だが、急いでいるときはやっぱりこれは使えない。

 後は、下の道を走ってなるべく高速を使わない方法。一番安いのは、東松山から乗って下仁田で降りる。これだと片道2千円を切る。かなり安い。時間的にも40分ほど余計にかかる程度だ。時々使うが、やはり、時間がないときは使わない。

 結局、安くあげるには時間がかかるということ。それなりに暇と余裕がなきゃできないのだ。一番安いのは下の道だけを通って行くことだが、一日かかってしまうだろう。でも、私が若いときは、そうやって車で信州に行ったものだ。いったん高速ができるとそれが出来ない。便利さやスピード化というものには逆らえないのだ。

 6月には圏央道が中央高速とつながる。川越から圏央道を通って中央高速に入り、諏訪南インターで降りて、そこから山小屋まで30分。ほとんど高速で行けることになる。ただし、料金は片道4千円を超えてしまうだろう。いつか小沢一郎が、公約で高速道路料金をタダにすると言っていた。こんどの選挙で言ってくれたら絶対に投票する。

 ガソリン代も馬鹿にならない。川越では今1リッター123円ほど。セルフで安いところは121円。長野は、129円、セルフで安くても125円。だから、川越で満タンにして、向こうでは最小限度しか入れない。川越から山小屋まで200キロちょっと。往復500キロとして、50リッター消費する計算だ。それだけで、6千円。3往復して、しかも、それ以外に車を使うとすればガソリン代も3万近くはかかる計算になる。

 私はまだ働いているからいいが、定年後年金で別荘に通っている人たちは大変だ。でも、そういう人たちは時間があるから下の道を通って来たり深夜割引で来る。そこまでして山小屋を持つのはそれだけの理由があるからだが、できれば、向こうに住んで、東京に時々来る、というのが私の理想である。そう上手くいかないことは承知しているが。

     誰の咎手向け祓われ流し雛

縄文語…2007/03/08 00:36

 昨日、今日と出校。昨日は会議日で朝から忙しかった。今日は、午後出校。二部の学生のガイダンスがある。二部は来年度は募集停止なので二年生だけが残る。早めに履修登録をしてもらい、必要なコマ、必要でないコマの見極めを早めにしておこうと、開かれた。

 文科の二部の二年生は全部で30数名ほどである。だが、授業だけは、全員が卒業できるように揃えておかなくてはいけない。たとえ受講生が一人でも授業は行う。そうしないと、留年生が出てしまい二部を廃止出来ないからである。一つの学科を廃止するというのはなかなか大変なのである。

 実は、大学というのはお金がないと倒産出来ないのである。なぜなら、募集停止をしても、学生は残るからであり、例えば四年制大学なら、2年生が卒業するまでの3年間は潰せないのである。その間、教員の給料も払わなければならない。給料が払えないので潰れるのに、3年間払わなきゃいけないのだ。そこで、倒産する大学に文科省が補助金を出すという制度があるのである。きちんと潰れてもらうために補助金を出すというのだ。おかしな話だが、大学とはそういう社会的責任を負っているということである。

 昨日は四時間しか寝ていない。原稿を書いていたためだが、夜中の3時につい松坂のオープン戦中継を見てしまった。それで余計に寝るのが遅くなった。おかげで一日寝不足で調子が悪い。

 それでも、合間に読書。大野晋・金関恕編『考古学・人類学・言語学との対話』を読了。最初は面白くなかったが、アイヌ語の研究者中川裕氏との対話あたりで面白くなった。大野晋は弥生時代にタミル語が日本に入ってきて、縄文語を変化させていったと主張する。

 そこで問題になるのは、縄文語と弥生語(日本語)は連続性があるのか断絶があるのかという問題である。そこで、クローズアップされるのはアイヌ語と日本語との関係である。  

 アイヌ人と縄文人は共通の遺伝子を持つという最近の説から言えば、アイヌ語は縄文語と似ていなくてはならない。とすれば、縄文語と弥生語に連続性がある場合、弥生語とアイヌ語は似ていなくてはならないのに、実際はそうではない。とすれば、縄文語とアイヌ語は関連性がないということなのか、それとも弥生語と縄文語との間に連続性がないということなのか。

 よくわからないという結論だが、問題はやはり縄文語というものがあるとした場合、その言語がどのようなものだっのか分からない、ということに尽きる。縄文時代の言葉とはいったいどういうものだったのか。神話も歌も確実にあったはずだ。興味を掻きたてられた。

     水温む朝言の葉も軽やかに

俺は職人か…2007/03/09 22:22

 昨日、朝10時から夜中の2時半まで原稿を書いていた。当然、途中チビの散歩をしたり食事をしたりだが、こんなにワープロに向かって仕事をしたのは久しぶりだ。お蔭で、原稿が何とか仕上がった。この四・五日で40枚の原稿を書いたことになる。昨日だけで20枚近く書いたのではないか。

 脳を絞りきった感じで、さすがに今日はふらふらである。古事記のヤマトタケル英雄伝承について、研究者の説を紹介しながら、ポイントを押さえつつ、自分の考えで最後はまとめていく、という定石通りの論だが、何とかまあまあ書けたとは思う。

 ただ、あとコラムの原稿が五枚分ほど残っているので、それを書いておかないと完成にならない。締め切りは今月末だが、20日から29日まで中国に行くし、万葉の歌の発表資料をやはり作らなきゃいけないし、なによりも、入試、卒業式と校務も重なって暇などない。だから、今書かないと間に合わない。

 中国から帰ってきたら、今度は、4月10日までに、白族の歌垣論を書かなきゃいけない。そしたら昨日、10月末までに50枚の歌垣論を書いてほしいという依頼があった。どうも最近、私は歌垣研究者として有名らしい。確かに、あっちこっちに書いているので当然だと言えば当然なんだが。

 今年はどういうわけか依頼原稿が多い。といっても投稿なんてほとんどしないのだが。本当は、自分の研究テーマを熟成させ、こつこつ研究して書いた原稿を投稿する、というのがあるべき姿であり、そうしたいのだが、出来ないのはどこか論文を書くことがルーティン化しているからだ。あまりいいことではない。私は今のところ、論文を書く職人のようなものだ。それはそれで悪くはないと思うが、やっぱり創造的じゃないよな、とは思う。

 今日は昼に出校。雑務でてんてこ舞いだ。何でこんなに忙しいのだ。13日はB日程の入試。明日は、山の上のホテルで知りあいの娘さんの結婚式。夜は、お台場の日航ホテルで二部の卒業パーティ。結婚式は礼服だから夜は替えなきゃならんだろう。何よりも、昼と夜にコース料理を食べる。これはかなり危ない。コレステロールを下げる薬を飲んでいる身としては辛い。   

     春なれどてんてこ舞いを踊りけり

ハレの一日2007/03/11 01:04


 今日の結婚式はまず午前中に神田のカトリック教会、正しくは聖フランシスコザビエル教会の聖堂で式があり、その後で山の上ホテルで披露宴があった。この聖堂は明治7年頃に建てられたらしく国の文化財に指定されているという。なかなか立派な教会である。牧師さんがいろいろと宣伝していた。フランシスコザビエルの遺骨が祀られているということだ。

 知りあいの娘さんの結婚式で、彼女は赤ん坊のころからその成長を見ていたので、少々親のような気分になる。大学に入るときに小論の指導をしたことを思い出した。山小屋にも何度か来ている。

 それにしても彼女はかっこいい。身長は父親より高く美人である。W大の文学部に入り、大学院は建築科。この転身がすごい。学生時代は大学のオーケストラでビオラ奏者として活躍。世界ユースオーケストラの日本代表にもなった。オランダに留学し建築史を勉強、博士号も持つ。日本では、建築キュレーターとして、美術館や建築事務所で働き、今は、外国の某有名ブランドの日本支社文化事業部で仕事をし、仕事の合間に、演奏活動も続ける。たぶん、誰もが憧れる女性だろう。

 もう三十歳を越えてしまったが、これだけ活躍していれば結婚する暇も無かったろうと思う。今回結婚する相手は、私の同郷の歯医者の息子で、3歳年下の大学の後輩だそうだ。チェロ奏者で、演奏活動で知り合ったということらしい。今は、映像制作会社で働いていて、CMなどの制作をやっているらしい。両者とも現代を象徴する職業である。たいしたもんだなあ、としか感想がない。とにかく、Yちゃんも何とか結婚出来てよかった。 

 ビオラ奏者とチェロ奏者の結婚だから、結婚式は演奏会になる。さすがにうまいなあと感心。当たり前だが。

 宴が終わってから、歩いて数分の勤め先の研究室に行って着替える。さすがに結婚式の服装で卒業パーテイは気が引ける。パーティ会場はお台場の日航ホテル。二部の卒業パーテイだから、人数は少ない。学生は10名ほどで、招待された教員はそのくらい。教員の数と学生の数が半々という珍しい卒業パーティとあいなった。

 でも人数が少ない分、和やかでいい雰囲気の会であった。社会人がほとんどで、私より年上の学生もいる。二部は来年には消滅する。こういうあったかい卒業パーティがなくなるわけだ。寂しいことである。

 お台場から東京テレポート駅まで歩き、川越行きの電車に乗って帰る。お台場から川越駅に直通で行けるのは便利でいい。それにしても、めでたい一日であり、疲れる一日であった。今日一日、人生儀礼とも言うべきハレの儀式に付き合って、こういうハレの儀礼も悪くはないと思った。ほとんど自分自身こういう儀礼をしてこなかった私には、生活というものの大事な何かを体験せずに来たのかなあという気がする。

 まあとにかくめでたいハレの一日であった。

    春やハレの日みな神のごと笑ひ

熱中人にはなれない2007/03/11 23:52

 午前中に、アジア民族文化学会ポスターの原稿を作り、それをメールで送った。学会の準備もそろそろ始めないといけない。それにしても、ポスター作りは頭が痛い。理由は金がかかるということ。学会のお金も潤沢ではない。ぎりぎりで運営している。なるべく安くあげたい。でも立派なものを作りたい。なかなか学会運営も大変である。

 それが終わって、古事記のコラムも5枚何とか書き終えた。これで明日から、万葉集の発表要旨に専念できる。といってもあと一週間だが。まあ何とかなるだろう。

 BSで「熱中人」という番組をやっていて、けっこう好きでよく見る。今日は、全国にある流行歌や民謡や童謡等の歌の歌碑を調べている熱中人の登場である。何と50年間、全国の歌碑を調べ歩いているという。そこにどんな研究価値があるのかなどと問うてはいけない。こういうのは、人がやらないことをやることに価値があるので、目の付け所の面白さなのだ。

 後は、情熱とどれだけそのために自分を消費したかその消費の多さである。要するに変わった人の特集なのだが、世の中に何の役にも立たない(むろんそんなことはないが)と見えることに、これだけ熱中する、今の言い方で言えば「おたく」あるいは「マニア」のプロみたいな人が世の中にこんなにいるのだということに驚かされる。

 私は絶対に出来ない。歌碑を調べる仕事が来たら数日何カ所かを調べて分析し、ある程度の共通性や特徴を導き出して、だいたいわかった、で終わりだ。要するにすぐに抽象化して結論を求める。それでは熱中人になれない。熱中人は、分析したり、抽象化したりして結論を出してはいけないと思っている人たちなのだ。ただ、ひたすら労力を惜しまずに具体例のみを蒐集する人たちなのだ。評論家の私とは全くの対極にある世界である。だから見ている分にはいつも面白い。

 ちなみに同じ歌で全国で一番作られた歌碑の多い歌は、一番が「越中おわら節」28基。「夕焼け小焼け」27基、三番目は「琵琶湖就航の歌」だったか。別にこの統計に大した意味はないと思うが、意味のないことって面白いものだ。

 今日は風が強かった。時々春の嵐のようだった。チビと散歩していると、郊外の畑の土が当たって痛い。チビは風に向かって負けまいと進む。その姿がおかしかった。

    春塵に吠ゆる犬はかん高し