今年もよろしく2007/01/01 23:57

 正月元旦。みなさんあけましておめでとうございます。今日は、知り合いのログハウスにいって、酒を飲み鍋をつついてぐだぐたと過ごしました。犬が二匹と一歳半の赤子が一匹ではなく一人。大人八人。なかなか賑わいのある正月でした。

 犬と赤子はわがままで甘えん坊。どちらも好奇心いっぱいで、目が離せません。でも、手がかかるということはとても大事なことです。自分も昔は手がかかったに違いない。親に感謝です。この赤子が成人する頃、私が生きているかどうかはわかりませんが、今よりはいい世の中であってほしいと思います。

 この日記もいつまで続くことやら。最近、物忘れがひどく、せっかくですから備忘録として日記を使ってます。考えたことを忘れないために、とりあえず日記に書いておいて、あとで利用しようという魂胆です。俳句はことばへの感覚を磨くためです。これでも文章を書くことを職業にしているので、ことばを失わないための遊びです。

 ということで、今年もよろしくお願いします。

  正月や赤子も犬も歳を取る

  出さぬ人から賀状来て年新た

初夢2007/01/02 23:50


 どうも頭が仕事モードにならない。新年二日から仕事モードにしなくてもいいのではないかと思うが、習性とは辛いもので、一日何も読まなかったり書かなかったりすると落ち着かないのだ。

 かといって、仕事の気分にもなれず、頭がとてもだるくなったままで過ごしている。まあこういうときも必要なのだろうが。

 今日は初夢を見る日。次の歌を書いた紙を船の形に折って枕の下に置いておくといいと聞いた。

  ながきよの とおのねふりの みなめざめ なみのりふねの おとのよきかな

 意味は何となくわかる。実はこの歌は回文になっている。つまり反対から詠んでも同じである。呪文みたいな歌だ。もう寝てしまった人のいるかも知れないが、試してみたら。
 
 今朝ベランダにリスが来ていた。滅多に来ないのだが、山は木の実が少ないのだろう。野鳥用に蒔いてあるひまわりの種を食べに来たのである。とても可愛らしかった。本人は必死なのだろうと思うが。

    初夢を見ている神の夢の中

読み初めの本2007/01/03 16:27

 正月も三日目になると飽きてくる。ぼんやりと箱根駅伝を見ているような時間の過ごし方はいけないのではないかと思うこと自体がいけないのだが、昼頃から読みかけの斎藤君の本を最後まで読んだ。

 斎藤英喜著『読み替えられた日本神話』はなかなか面白かった。こんなことを言ったら斎藤君が怒るかも知れないが、斎藤君の書いたものの中で一番面白いのではないかと思う。全体としては、古代から現代までの『古事記』の享受史という展開だが、時代時代に日本の神話がどのように生み出されてきたか、より正確にはとのように読み替えられてきたか、ということであろうが、このように通史的に扱った本がいままで無かったので(たぶん)、勉強になったし、神話というものを考える意味で参考になった。

 この本の功績は、古事記がいくつかある神話の一つに過ぎないこと、近代以降の国民国家にとっての神話を、中世日本紀の「トンデモ本」的な自由なもしくは解釈の秩序を乗り越えていくような奔放さの前では、きわめて貧しい神話の読替に過ぎないこと、神話とは固定したものではなく常に読み替えられるものだと断定したことにあろう。最後に神話をグローバリズムの混沌とした現代社会において中世日本紀的なところから発想されなくてはならないと締めくくる。この結論については、異論はあるだろうなと思う。

 結局問題は神話って何なのだろうということに尽きるのかも知れない。斎藤君の中にはやはり神話は宗教だという捉え方が根強くあるという気がする。宗教の内部に入ってしまえば、宗教の自己言及的な言語運動によって、言説はたがを外され超越的な世界に向かってどんどん想像(妄想)をふくらませていく。身体内部の感覚や無意識の領域をメタファーで言語化し、その言語化されたイメージを論理の言説で体系化する。そうやって生まれる宗教的な言説は、宗教の外側から見れば、とても自由で可能性に満ちたものに見える。

 つまり、斎藤君は、そういうように神話を見ている、ということである。だから、宗教的な言説と神話とが一体化した中世を神話にとってのもっとも豊かな場所として位置づけるのである。

 それはそれでいいのだと思う。が、神話というものは、それだけで語られるものでないことは当然だ。現代のこのグローバリズムの時代の中で、神話とは何なのか。仮に生まれるとするなら、それはどういうものなのか。それを中世日本紀的神話に可能性がある、と言われてもどうもピンとこない。

 この本が描いたのは、ある意味では、世界を普遍的に理解したいと思う知識人たち(政治家・宗教家も含む)にとっての神話解釈の歴史である。つまり、そういう層を前提にすれば、最初から神話が何故必要とされるかを論じる必要はない。神話そのものは、世界を把握し超越的な世界に行きたいものにとって、何故それが必要なのか疑う必要のないもの、とされているということだ。

 神話を現代の問題として語るのならば、まずそこを疑うところから始めるべきではないかという気がする。神話もまた社会的な言説であり、それを必要とするもの、同時に必要としないものによって支えられた言説であろう。神話は物語だが、物語は神話ではない。その区別も現代の神話の流行を論じるには必要だ。神話というターム自体が、物語に飽き足らなくなった現代人の欲望の所産であるということも言える。要するに、神話を現代の問題として語れば語るほど、神話という概念は拡散し、神話とは何かという問いが何度も要求されるということだ。

 斎藤君は中世日本紀の豊かな神話が近代になって貧しい神話になっしまったという。が、神話の豊かさや貧しさとは何なのだろう。神話を必要としないものにとって神話は貧しい方が豊かではないのか。神話とは何かという問いが検討されずに、神話の存在がアプリオリに前提となったまま、神話の貧しさや豊かさを語ることは危ういのではないか。

 というようにそれなりにいちゃもんをつけられないわけではないが、それは、いままでに斎藤君に対して言ってきたことの繰り返しであって、その意味では、斎藤君は一貫して我が道を行っているわけである。その成果がこの本なわけでそれは間違いではなかったということである。ここまで自分の方法を貫けるのはたいしたものだと思う。 

      読み初めのまっすぐな本に気圧される

初仕事なのだが2007/01/04 23:54

 今日から真面目に仕事をしようと思ったのだが、午後に知り合いの食事会に呼ばれて結局は夕方まで。イ族関係の資料や、去年の三月に調査した火祭りの記録などを昨日あたりから整理し始め、今日集中してやろうと思ったのだが、そうはうまくはいかない。

 どうも集中できないので『わが高原霧ヶ峰』(手塚宗求著 山と渓谷社)を半分ほど読み、それから、奥さんが買ったマンガ『西洋骨董洋菓子店1』(よしながふみ)を読んだ。

 『わが高原霧ヶ峰』は車山肩にあるコロボックル・ヒュッテの主人によるエッセイである。いわば霧ヶ峰の半世紀にわたる記録や車山や霧ヶ峰の地形などについて書かれていて、なかなか面白い。

 霧ヶ峰一帯は現在草原になっているが、実は、これは江戸時代あたりから地元の農民が牧草や堆肥のための草刈り場として、何度も火入れを行った結果森林が失われたのだという。それでようやく合点がいった。車山一帯はかつては針葉樹の森だったのだ。そうでなきゃおかしいと思っていたのだが、やはり、霧ヶ峰の草原は人為的なものであったのだ。

 霧ヶ峰には旧御射山の祭祀跡がある。諏訪神社下社の御射山祭が行われたところで、私も何度か行ったことがある。今は草原地帯になっているが、当時は森林地帯だったはずだ。ただ、ここは狩り場であり、八島湿原の近くであるから、多少草原は残っていたのかも知れない。御射山祭祀は、山上の広場のようなところで行われたと思われるからだ。ここには階段地形があって狩りの様子を観覧する場所だったのではないかとある。

 いずれにしろ、ここで御射山祭が行われる時は、この地の武将は、鎌倉時代、戦争をしていても特別に祭祀のために帰ることを許されたそうである。それくらい、全国的に名の知られた祭りだった。数万人は集まったのではないかと言われている。とすれば、ほとんど泊まりがけだから、霧ヶ峰一帯には臨時の売店や食堂が並び、そしてあたりは排泄物だらけだったのではないかと本にある。たぶんそうであろう。

 霧ヶ峰の御射山祭祀は江戸時代頃には行われなくなるが、1518年に下社の金刺氏が上社によって滅ぼされ、それがきっかけになって江戸時代には里に移して御射山祭祀が行われるようになったということだ。この本は歴史についてもいろいろと書かれていて勉強になる。もうだいぶ前になるが、斉藤英喜らと御射山祭祀の勉強会をしていた頃を思い出した。

 私の山小屋から40分ほど歩くと、車山のスキー場に着く。昔は別荘地からスキーをかついでスキー場に歩いていったそうだ。そこまではとてもできないが、時々は、車山に遠出の散歩に行く。夏は、レンゲツツジ、ニッコウキスゲ、コバイケイソウなどが咲き乱れなかなかいいところである。観光客も多いけれど。

 『西洋骨董洋菓子店1』はストーリーの展開がうまい。けっこう笑えた。    

       身体が動いてくれぬ初仕事

       集まりて笑い飲み喰い初仕事

備中神楽を見に行きます2007/01/06 00:23

 今日川越に戻る。昼に出て、3時頃には着いた。夜に、ホームページ作成ソフトをホームページビルダー11にバージョンアップ。さっそくホームページにフレームでもつけようとしたのだが、どうも上手くいかない。どこかで単純なミスをしているらしい。悪戦苦闘したのだが、時間もかかり、結局、壁紙を換えただけであきらめた。壁紙は今年、中国の大理で買ってきた苗族の民族衣装の写真である。山小屋の壁に飾ってある。

 川越の家に帰ると、郵便物が山のように届いていた。何しろ、12日間いなかったのだから。年賀状もけっこうあって、出していない人からも何通か来ていた。7日を過ぎると寒中見舞いになるそうで、あわてて後出しの年賀状を書いて出す。

 明日は、説話伝承学会が、岡山の高梁で開かれるので行く予定。従って、古代文学会の例会は行けない。大会の発表で廣田律子氏による中国の儺戯の話が聞けるのと、7日には備中神楽を一日見学するというので行くことにした。備中神楽は見に行こうといつも思っていたのだが、なかなか機会がなかった。今回はいいチャンスである。

 ということで、明日の旅の準備でほとんど時間を取られる。仕事は出来なかった。ホームページビルダーをバージョンアップしなけりゃよかったのだ。

 ということで、この日記は、8日に帰ってくるので、8日まで休みです。

    待ち人をくたびれさせて寒の入る

    小寒や蹴られしボール加速する

託宣がよかった2007/01/08 22:55


 疲れたが、何とか備中高梁から帰ってきました。高梁市は小さな街だった。でも、江戸時代は、この藩の藩主が老中も勤めるなど、中国地方では重要な地域だったようだ。山陰への通り道といいうこともあり、交通の要衝だったということらしい。でも、今はとてもひなびた町である。寅さんの映画の舞台になったと地元の人が自慢していた。寅さんは昔の面影が残る寂れた田舎町に行くのが好きなのだ。昔の人情が残っているから。その意味では寅さんのロケ地にはぴったりだと思った。もっとも、高梁市に合併されて今は高梁市になっているが、近くの吹屋という町は、ベンガラ塗りで統一された昔の家並みが残っているので有名だが、映画「八つ墓村」のロケ地だと宣伝していた。こっちはおどろおどろしい。

 岡山から伯備線で30分ほど。駅は「備中高梁」。高梁市は人口2万の小さな町である。この駅前に高梁国際ホテルがあって、ここで、説話伝承学会の大会が行われた。50名ほどの参加者だったが、市長さんも挨拶に来て、なかなか盛況だった。

 6日の大会の発表は、渡部伸夫氏と廣田律子氏、それぞれ神楽と中国仮面劇の研究者。懇親会でお二人からご無沙汰してますと挨拶され、こちらはひょっとすると初対面かも知れないなどと思ってたので慌てた。まあ、会ったとしてもたぶん何処かの会でちょっと話を交わした程度なのは確かで、そういうことはすぐに忘れてしまう。いずれにしろ、今回はお二人と話が出来てとても良かった。もう忘れることはないはずだ。

 7日は朝から雪。嫌な予感がした。全国的に荒れ模様の天気である。雪の中を、二台のバスで出発。荒神神楽を行うのは、備中神楽を創始したと言われている18世紀の国学者西林国橋の生家である。この西林家で7年に一度の式年神楽が行われるというので、学会の方で見学をさせていただくことにしたのである。むろん、50人近いよそ者が行くのだから、学会の事務局と、地元の役所の人と、西林家や村の人たちと何度も打ち合わせをして入念に準備をしたということである。そうでなければ見ることは出来なかったろう。準備をしてくれた方に感謝である。

 村のそれまでの素朴な娯楽的神楽を、古代の神話の物語をベースに、神秘的な宗教儀礼と芸能とに総合したのが西林国橋で、それ以来中国地方に備中神楽として広がっていったという。われわれが見た神楽は、ほとんどが記紀神話の「天の岩戸」「国譲り」「八岐大蛇退治」などの場面を、くだけた歌舞伎風にアレンジした仮面劇であり、そのストーリーは記紀神話とは細部が微妙に違ったりしているのが面白い。齋藤英喜『読み替えられた日本神話』ではないが、ここでも神話が読み替えられていたというわけだ。

 ここの神楽は舞よりも当意即妙のアドリブなどを交えた会話劇の要素が強い。ある意味では、同じ舞を何度も繰り返す神楽とは違って、プロの神楽集団が、村人をいかに飽きさせないで長時間引きつけるか、ということにその技を使っていて、ほとんど漫才や漫談ののりで仮面劇を演じていた。時には、時事放談や演歌を歌ったりと、その芸は吉本興業と言ってもおかしくないほどだった。神楽を舞っていたのは、この地の神楽のプロ集団であるということだ。

 それでも神秘的な神楽の舞はちゃんと用意されていて、神の宿る頭上の「白蓋(びゃっけ)」を揺さぶる白蓋神事や、荒神(太縄で作った蛇)に身体を預けて神懸かりをし託宣をする、「託宣」など、荒神神楽が神との交流を失っていないと思わせる神事はさすがに迫力があり、感動さえした。写真は荒神の太縄に揺られて神懸かりをする大夫である。

 7日の昼から始まり、夜中の午前1時頃に神楽は終わった。かつては明け方までかかったという。雪は昼頃で止んだが、風はあり、さすがに夜は冷え込んだ。われわれは家の中で見学していたが、私はビデオカメラを部屋の端に据えたために障子一枚で外と隔てられた隅っこに坐っていた。いやあ寒かった。

 ホテルに帰ったのは一時半頃で、8日は、午前中、知りあい達と高梁市の資料館や美術館を駆け足でめぐり、私は昼の特急「やくも」で岡山へ。新幹線に乗り換え4時には東京に着いた。祭りの時に紅白の餅やお菓子を「福の種」と言って観客に撒く。それが半端ではない、みんな袋いっぱいにもらった。私も餅をけっこうもらったが、これが重くて、どうやって食べたらいいのか思案しているところだ。

 神楽はたくさん見てきたが、こんなに楽しいあっという間に時間の経つ神楽は初めてだ。さすがに、知識人の手が加わっている、きちんとした構成のある神楽だと感じた。私のよく通った南信州の霜月神楽は、同じ舞を何時間も舞う。やっているほうも見ている方も意識がもうろうとしてくる。それが神に近づくのでいいのだというものもいる。

 が、この荒神神楽には、招いた荒神を喜ばし、また村人を喜ばすエンターテインメント性と、神との交流を図る神事の部分とが、きちんとわけられ、それぞれが洗練されている。その意味では、歌や舞という身体の古代的なパフォーマンスに頼らずに、演劇的な構成によって古代性を再現しようとする“仕組み”を感じた。そこに、国学者の影があるように思えた。   

  正月や荒神降りて震えたり

  初雪や神の御影をつつむ朝

  神楽宿出番を終えて神火照る

保守主義革命なのか…2007/01/10 00:33

 今日は本格的な初仕事。でも難問山積で頭が疲れました。帰ってきて、授業の準備やら、論文の準備やらと思っていたのですが、ついつい、時評の文章を書いてしまいました。これも評論家の業みたいなものでしょうか。

 ワーキングプアという言葉がかなり有名になった。仕事を持っていても生活保護以下の収入しかない層のことである。この層が、バブルの崩壊した頃から社会に出て行った30歳前後に集中していて、その層をロストジェネレーションというらしい。

 NHKで先日特集番組をやっていたが、今週の週刊朝日で、小倉千加子が、ここに出演してもっともらしいことを言っていた大学教授を批判していた。どうやら、ワーキングプアを生み出している側に大学教授は属しているらしく、お前にワーキングプアについて語る資格はない、ということらしい。それならあんたにあるのか、ということになるが、それはおいといて、大学に属している私としても、こころ穏やかならざる文章ではあった。

 こういう社会的な貧困や格差を論じる時に、論じる個人の置かれた立場を問題にするのは間違ってはいない。だが、論理というのは発せられた立場がどうあろうと、正しいか違うかという判断が出来るものだ。だから論理なのであるし、だから、人は論理に従うことができるのだ。ただ、問題はその論理が脳天気なときにその脳天気さの原因として、その論理の発する場所が踏まえられていないということはよくあることである。そういうことで大学教授が批判されるなら、それは正しい。ただ、大学教授が属している場ゆえに発言の資格を最初から持たないというのは、間違いである。

 別にたいした文章じゃないのであまりこだわることはないのであるが、ただ、気になったのは、大学という産業が資格を乱発して若者に必要のない金を使わせて儲けているという批判だった。この批判は当たっている面もあるし当たっていない面もある。ただ、大学に幻想を抱きすぎてるが故の批判である気がする。成熟した資本主義は、モノではなくサービスを売る。それは大学だって同じなのである。ものつくりの知識ではなく、サービスのための知識を売る。サービスには物としての製品と違って品質の基準がない。だから、その基準を社会の側で作ろうとする。それが資格である。

 言い換えれば、無形のサービスがモノ化してきたということである。大学がその資格を獲得する場になってきているのは、社会人として必要な知識を獲得する場所として当然のことで、そのことをもって大学を批判するのは、どこかに大学というのは高尚な教養を学ぶべきだという幻想があるからである。その資格が役にたっているかどうかは、市場原理が決める。役に立っていなければ大学は潰れる。そういうことである。つまり、大学も必死なのである。だから、大学教授が偉そうなことをいったからといって、偉いわけじゃない。当たり障りのない見解を述べただけである。

 大学が潰れたら、教員はほとんど潰しがきかないから再就職は無理である。とすれば、大学教授だって、路上生活者に絶対ならないという保証なんてないのである。そういう時代になりつつあるのである。それを誰もいい社会と思わないのは当然で、何とかしろよといいたくなるのは、大学教授であろうと、魚屋のにいちゃんであろうと同じだろう。

 それにしても格差社会には困ったものである。原因は明確である。グローバリズム資本主義によって、安い労働力が日本の労働市場に流入したからである。むろん、それは労働移民だけをさすわけではない。労働市場自体が国内に限定されなくなることで、埼玉県の川越で働く人間と、インドで働く人間とが仕事の取り合いをしているということが現実に起こっているということである。

 それなら解決策はあるのか。基本的にはこのグローバリズムとは違う原理の経済構造にしない限りは無理である。が、現実には、国家や地域や生活というのは、グローバリズムではない。だから、ある程度の抑制は働いている。国家は税制によって、世界化した企業の利益を国民に再分配することが可能だ。その税金によってセーフティネットを作ることも出来る。

 地域経済は、相互扶助的な循環構造を持つ。地域が地元の生産物を消費することで地域循環型のささやかではあるが地域経済が成り立つだろう。生活という領域もまた、相互扶助的なネットワークを作り、仕事のない人を面倒見るシステムを作ることが出来るし、また実際に作られている。

 経済界は、法人税を増やすなら企業が日本から逃げ出し、国内産業は空洞化すると脅す。が、実際はそうはならないはずだ。地域や生活領域のない企業などないからで、それを捨てることは、何故企業で経済活動をするのかということ自身の根拠を崩すことになる。そこまで徹底して虚無的に経済活動できる企業があるとも思われないし、あるとしたら早くこの世から出て行ったほうがよい。

 要するに、経済的な領域では意識的に保守的にならざるを得ない、というのが、格差社会への対応策である。それは、地域や生活領域にある、相互扶助的な仕組みを見直すことであり、その仕組みを生かした税制などの国家の仕組みを作ることだ。

 安倍首相は、理念は保守的なのに、経済政策は保守的ではない。むしろ、個人よりも企業の利益を優先させている。その意味では、現代の革命は、グローバリズムに立ち向かう保守主義ということになろう。何とも時代は変わったということか。

 安藤礼二「神々の闘争 折口信夫論」で、イスラム思想や、戦前の北一輝らの右翼革命に注目するのも、中沢新一が、反資本主義としてやはりイスラムやアニミズムに力を入れるのも、それなりの必然性はあるということである。

   仕事始め懸案事項を先送り

レポート集完成2007/01/11 00:47

 今日は、「遠野物語」演習の最後の授業。みんなに提出してもらったレポートを印刷し、それをレポート集としてまとめた。製本と言うほどたいしたものではないが、でも、それなりに見栄えのするレポート集が出来上がったと思う。

 レポートは約4000字で、A4縦に上下二段にワープロで打ちこむ。最低2ページを書かなきゃならない。それを印刷して重ね表紙をつけてレポート集の完成である。レポート集にすると教員の私だけがレポートを読むのではなく、全員が読むことになる。また、次の年次の学生に残すので、みんなに公開されるということになる。それなりに刺激になる。テーマは「遠野物語」にかかわるものであれば自由。

 みんなでレポート集を製本して、記念写真を撮って授業を終えた。ようやく一年が終えたという感じだ。この演習では、春には佐倉の歴史博物館に見学、夏には有志で遠野のフィールドワークといろいろとイベントを用意した。それなりに充実してもらえたのではないかと思っている。ただ、全員がレポートを出せたわけではないのが心残りである。

 来年は2年の演習を持たないので、「遠野物語」をやるかどうか迷っている。文学の作品論をやるというような授業じゃないので、どうかなと思うのだが、「遠野物語」はそれなりに面白い要素がたくさんあるので、1年次の演習のテーマにしてもいいかなとは思っている。

 学生は、そろそろ卒業のことを考えなくてはならなくなってきた。卒業パーティを企画しているものたちは何人参加するか不安げだ。かつては謝恩会といって義務のようにして出ていたものだが、今は、教員も会費を払って、それこそ学生が中心になって思いで作りとして卒業パーティを行う。だから、全員が参加するわけではない。ディズニーランドのホテルでやるので、それなりの人数が参加しないとミッキーマウスが来てくれないそうだ。大勢参加して楽しい卒業パーティになればいいのだが。

   携帯の寒見舞いには絵文字あり

感じる宗教2007/01/12 01:09

 年が明けていろいろ忙しくなってきた。来年度(4月)から大学のハード面や学科の構成が変わったり、短大二部を募集停止にするなど、大きく変化するので、その準備がここに来て待ったなしになってきたからだ。特に私の勤め先の大学・短大は八王子校舎を引き上げ神田に集中するので、その対策でてんやわんやである。今図書館が引っ越しの最中で、その後に教室を作ることになっている。とにかく教室が足りないのである。

 だから、来年度の時間割も大変である。教員の都合を一人一人聞いていると、時間割は作れない。教室数に限度があるから、月曜から土曜まで、朝から夕方まで、大学も短大も全部の授業がおさまるように、コンピューターで時間割を作っているそうだ。そういうソフトがあるらしい。ということは、専任教員の希望よりも、限られた教室に効率的に授業を配置することが優先されるから、当然、不都合な面が出てくる。今その調整で、大変なのである。

 そういうこともあって、今日は疲れた。今日は地域文化論の授業があったが、大涼山のイ族のビデオを見せ、宗教と自然の話をした。自然にあの世を見いだし、神の領域と考える、対称的な世界観では、あの世とこの世の媒介こそが重要な文化になる。それが、シャーマンであり、あるいは供犠であるという話をした。また、自然への感受性というのは、恐れや神秘感であり、見えない世界への感受性でもある。そういう感受性によって対称的な世界観は支えられている。つまり、それは感じるという感受性だ。信じるではない。

 宗教には感じる宗教と信じる宗教がある。自然を神とする宗教は感じる宗教であり、それを否定してあらわれたのが所謂普遍宗教、仏教やキリスト教だ。感じる宗教とは、見えない世界への恐れや神秘感に根ざす宗教だから、おそらくは、人類の発生以来の古さを持つ。その意味では、われわれの身体や無意識やあるいはDNAに深く刻まれているものだ。神を信じなくても、われわれは見えないものを恐がり神秘を感じ取ることは出来るしそれを疑わない。お化けを信じなくても夜のお墓は怖いのである。霊的な世界を信じなくても、「オーラの泉」はとても気になる。そういうものなのだ。感じることを私たちは止めることが出来ないのである。

 日本の文化とも言える宗教感覚は、この感じるところにあると言っていい。だから、教義や神の教えに従った生き方の問題にならずに、見えない世界への感受性にゆだねたものになる。ケガレを忌避し、占いを頼りにし、どんな神でもとりあえずは手を合わせる。無宗教だけれども信心深いのである。

 そういう感じる感性の宗教を生活の規範としていくと、それは少数民族の文化になる。そういうところでは、あの世との媒介者である宗教者が力を持つ。イ族ではビモである。

 日本では江原啓之か?日本の社会はすでに自然を失ったのに、日本人が自然への感じる感性を失っていないのは驚きである。そうでなければ「オーラの泉」が視聴率をとれるわけがないのだ。呪術を信じはしないがとても気になるのがわたしたちの感性なのだ。それは、自然を神としていた時代の精神世界の名残である、というよりは、そこに実は人間というものの本質があるのだと言ってもいい。

 自然への感受性、それは、見えない世界への恐れや神秘感といったもの、それがあるからこそ、言葉が生まれ、人間はこころを豊に複雑にしてきたのだ。文学の源もそういう感受性にある。

 そう考えれば、ああいう番組も馬鹿には出来ない。少数民族文化の呪術的な宗教世界も、現代のわたしたちとそんなに違いはないということなのだ。それを知ること、それが大事である。とまあ、そんなことをしゃべったのだが、何処まで伝わったかは分からない。

 家に帰ったら、BSで大涼山に住むナシ族の村、ウォーヤ村を紹介する番組をやっていた。近くの町から歩いて二日かかるというこの村は周囲と隔絶し、今でも、一妻多夫の婚姻制度がある。これは、男の兄弟が一人の妻を所有するというもので、チベット族にあることが知られている。

 貧しい社会では、大家族は労働力をプールするという意味で保持しなければならない。子どもがそれぞれ結婚し分家すると、労働力が失われ、財産も分割せざるを得ない。それを防ぐために考え出されたのがこのような婚姻制度である。男の兄弟は妻を共同で所有すれば親の家を離れなくてすむのである。

 雲南省電視台の作った番組だったが、けっこう面白かった。まだこういう村が中国にはあるんだなあと思った次第だ。中国のテレビ局も、NHKの作るような番組を作るようになったのである。そのことも感心した。

 町に出て外の世界を知った者は、一人の夫と結婚しその兄弟との結婚は拒否するという。が、外の世界を知らない村ではそれが幸福だったのだとナレーションは語る。この番組の題は「幸福山谷」である。なかなか微妙な面白いタイトルであった。

 ちなみに、ナシ族の葬式と結婚式の場面があった。映像で見られたのは収穫であった。
 
      路地無く萬歳も獅子舞も無く

      破魔弓を抱きしまま眠りいる

新年会と音数律2007/01/14 01:39

 忙しい一日だった。まず午前中に、今日上代文学会の例会で発表予定のS氏とそれからアジア民族文化学会のK氏とE氏と、秋のアジア民族文化学会の企画についてわたしの勤め先の部屋で打ち合わせ。K氏は、JRが人身事故で遅れが出ているとかでなかなかこない。

 やっと揃って、秋の大会について話し合った 。秋は企画ものなので、私の提案で「アジアの歌の音数律」というテーマでやろうということになっている。今日の上代のS氏の発表も、日本の歌の定型の成立についての発表で、音数律にこだわったものだ。とにかく、アジアの詩や歌はほぼ共通して5音・7音である。それは何故なのだろう。そこにどういう共通性があるのか、考え始めようという企画だ。

 何とか企画がまとまって、一時には、私は勤め先の新年会で東京ドームホテルに向かい、他は上代の例会(慶応)に向かった。私の勤め先からは、新年会の会場も、上代の会場も三田線で一本である。私は、新年会が終わったら例会に行く予定である。

 新年会はたぶん立食形式だから、ちょっと顔を出して早めに退散しようと思っていた。だからラフな服装をしていったのだが、自分が管理職であることを忘れていた。まず新年会は、全員テーブル席のコース料理つき。私は、いきなり、胸に赤いリボンをつけられ、数百人いる大きな会場の来賓席に座らされた。さらには、壇上に並ばされ、しかも、はっぴを着せられ樽酒の鏡割りまでさせられた。くそ、こんなだと知ってたらもっとフォーマルな格好をしていったのにと悔やんだが、まあよくあることだ。卒業生や後援会の人たちがほとんどの新年会だったが、けっこう金がかかってんだろうなあ、などと思いながら、料理を平らげた。明後日は人間ドックなのだが、これじゃコレステロールの値はあがるだろうな、などと考えながら。

 3時半に新年会が終わり、慶応に向かった。4時ちょつと過ぎに着いたが、S氏の発表はまだ続いていた。発表の後質問があり、あの「万葉集の発明」の著者が真っ先に手をあげ、論理がおかしいと真っ向から反論する質問をした。S氏は、記紀歌謡の5音・7音の音数律が整えられていくのは、歌が音楽性を失っていって、声でヨムものになっていくからだと論を展開したがそれに噛みついたのだ。その理由としてソシュールを持ち出した。つまり、声という音声は、音を文節化して記号としての言葉を作っていくシニファンの働きに過ぎない。声とはただそれだけのものなのに、それが5音・7音の定型を作るというのは、S氏の言う声は、言語としての声ではない、という反論である。つまり、たかだか差異を生み出すものでしかない言語の音声に定型のような音数律を作る働きはない。だから、音楽性を失って、ヨムものになっていく時に定型が成立するという論理が間違いだというのである。

 たぶん、批判する彼の論理をこのように理解出来たのは、あの場で私だけだったのではいなかと思う。ほとんどのものは何を批判しているのかよく分からないようだった。私は、この批判は一理あるなと思った。ただ、ソシュールの論理を型どおりに利用して、つまり、批判のための批判として使っているなという気もした。

 音楽性を失って声でヨムものになっていったからと言って、その声が、所謂言語一般の音声になったわけではない。批判はそこを無視して、あえて言語一般の音声のことを言っているからおかしいといちゃもんをつけたのだが、S氏のヨムは、音楽性をまったく失ったわけではない。呪文を唱えたり、語ったりするような声の問題を言っているのは明らかだ。つまり、声がただ差異を生み出すものではなく、その声の抑揚や拍子自体がシニフェに影響を与える表情を持つという、問題を語っているのだ。だからこそ、面白いのであって、ソシュールの理論をそのまま型どおりに当てはめて批判するのは、S氏の提起した問題の面白さが分かっていないのである。あるいはそれを面白がろうとしていない。

 が、はからずも、この批判は、S氏の発表が、ソシュールでは説明できないような問題を扱っているのではないか、というように思わせてくれたという意味で貴重であった。そうなのだ。しゃべるときには誰もがそれぞれの拍子を持つ。それは、音声言語としては当たり前で、その拍子や抑揚の個性が、その言語としての基本的な原理を逸脱させたりすることはない。多少聞きづらくても意味は分かる、というような問題に過ぎない。

 が、その拍子や抑揚の個性そのものが音楽とまではいかなくても、自己表出性、つまり、それ自体に何らかの意味性を感じて自己目的化した場合、それは、意味の把握にとってただの個性であったり障害といったものではなくなる。そうすると、そのような拍子や抑揚は、ある法則性を指向し始めるだろう。それが音数律であり、その音数律が自己目的化していくことで、やがて、共通の形式が生まれてくる。それが定型ということになろうか。 
 つまり、定型とは、音楽と、ただの個性的な声の調子との中間の段階で成立したということだ。そのことが大事なのではないかと、発表を聞きながら、私などは考えた。

 とにかく、なかなか面白い発表であった。少なくとも私は面白がって聞いた。会が終わって久しぶりにあったGさんら5人と慶応近くの割烹料理屋で鍋を囲む。なかなか感じのいい店であった。

    冬旱の夕になりて鍋囲む

    外冬旱なれども論熱くなり