神無月2006/11/02 00:54

 白川静逝くとのニュース。時々漢字の語源を引用させてもらった。96歳という。「翁」と称せず白川静氏、という見出しが出ていた。でも翁だろう。

   木枯らしの音もせぬ間に翁逝く

 今日はわたしにとっては雑務というよりは授業の日で、演習と二部の授業「地域文化論」がある。演習は、それぞれ4千字のレポートを書いてもらいそれを発表してもらう。今日は二人の発表だったが、なかなか充実していた。一人は「稲荷と狐憑き信仰について」、もう一人は風水の神獣である「四神」について。両者とも、よく調べていてマニアックなレポートであった。
 後期に入って出て来ない学生がいる。心配である。授業をやっているとまたいろいろと心労はかさむ。
 今日、就職パンフレットの写真をとるというので、撮影があった。顔写真をとるのだと思っていたら大違いで、スタジオらしきものを作り、インタビューされながら周りからバシャバシャ撮られた。渋いですよなどとおだてられながら。
 いやはやである。
 ところで神無月は11月の季語であった。10月に使ったのは間違い。

    神無月何処へも行かぬ此処にいる

教材抱え汗ぬぐう2006/11/03 00:03

 とにかく忙しかった。原因は授業の準備だ。今日の地域文化論をいろいろと準備していて時間がぎりぎりになってしまった。ほとんど昼も食べる暇がなかった。
 この授業行は、DVD、パワーポイント、スライド、プリントととにかくいろいろ使う授業なのだ。今雲南省の怒江流域の少数民族文化を紹介しているが、実際に調査した神話や、テレビの番組、自分で撮ったビデオ、それから、旅行記、また学生の感想をプリントしたものと、配る資料も大変。手にはノートパソコンに、資料を抱え、授業の始まる10分前に行く。学生も迷惑だろう。そんなこんなで、今日はまいった。
 今日の授業で語ったことは、自然との関わり方には二つあるということ。一つは、どんなに厳しい自然でもそれを受け入れその上で豊かに暮らす方法を考える。もう一つは、自然を選択するか人間の都合のいいように手を加えて快適な環境を作ること。怒江流域の人々は前者であるが、実はわれわれだって前者である場合が多い。誰だって、好きな職業につけるわけじゃないし、理想の相手とつきあえるわけじゃない。そのように考えれば、怒江流域の過酷な環境で生きている少数民族が身近になる。どこまでわかったろうか。
 夕方、奥さんがチビを連れて車で学校へ来る。それに乗って山小屋へとむかう。明日は休みなので、山小屋へというわけだ。といっても、土曜日は古代文学会の例会で私は東京往復となる。
 途中ところどころ強い雨だ。山には霧がかかっている。暖かいのである。暖冬ならぬ暖秋である。地球温暖化はどうも嘘じゃないらしいぞ。

    立冬に教材抱え汗ぬぐう

    今日の咎あしたの咎も神送り

一人と二匹2006/11/04 01:11

 今日はいい天気だ。山は霞んでいる。暖かいせいだ。紅葉はここからでは下の方が見頃である。私の山小屋は標高1400㍍だが、すでに冬枯れが始まっている。
 奥さんと畑の始末。冬はニンニクなど以外は植え付けしないので、畑を掘り起こして来年の春の植え付けの時に土が硬くならないようにしておく。私はただ指示に従って労働しただけだが。
 知り合いが蓼科に山荘を購入するというのでその下見に行きがてら、蓼科別荘地内のそば屋で昼食。周囲は唐松の紅葉でこれもなかなかいい。
 恩師のN先生の畑に寄る。先生はいなかったが、よく手入れされた畑だ。近くの土手の茂みに蔓梅もどきがあったので切り取って持って帰る。部屋の飾りになかなかいいのだ。今年は山葡萄の収穫が出来なかった。毎年山葡萄のワインを作るのだが、2006年度のものはないことになる。
 山葡萄のワイン作りはなかなか難しい。山葡萄をビンに詰めて発酵させるだけだが、発酵する力より雑菌の力が勝って、たいてい黴びたりしてだめになってしまう。仕方なく焼酎をいれるとそれはもうワインではなく、ただの山葡萄の果実酒である。去年はワイン作りは成功した。今年もまたと思っていたのだが、残念。
 夕方教え子のOが一歳の子供を連れて来る。旦那は仕事で、明日の夜来るという。子供をあやしながら渋滞の中を一人で運転して来たそうだ。危ない危ない。夜に奥さんの友人のYさんが茅野駅に到着。奥さんが迎えに行く。ミニチュアダックスの犬を連れてくる。これで、我が家には、うちのチビと、ミニチュアダックスと一歳の赤ちゃんと似たようなのが三匹、ではなく一人と二匹そろったことになる。いやうるさいうるさい。
 そんなこんなで賑やかになった山小屋であった。

     冬耕の鍬の重さに陽が陰り 

     紅葉散り大根買ひて鍋洗ふ

神功皇后伝承2006/11/05 01:11

 今日は、学会の例会があったので、茅野から東京へ往復である。特急梓で片道二時間ちょっと。いつも本を読もうと思うがだいたい寝ている。
 例会はY氏の発表。私は司会であった。神功皇后伝承が、福岡や山口県の神社の絵馬に多く奉納されていること。それらは、幕末や明治初期のもので、明治の国民国家形成時に、日本の対外的な意識の高かまりとともにクローズアップされたものである、といった内容であった。
 明治初期における国家と神話の力学、さらには民衆と神話伝承との関係といったものがよくわかった。それにしても日本における神話伝承の裾野は広い。そのことを感じさせる発表であった。
 終わった後は、神楽坂で飲み会。私は途中で抜け出して新宿へ。9時の梓で茅野へ向かった。山小屋についたのが12時。やはり疲れる。
 さすがに茅野駅を降りると寒い。迎えに来た奥さんはそれでも今日はほんとに暖かいと言う。

    秋冬は交替せぬが肌着換え

    冬ぬくし犬と赤子は一段落

情でつながる2006/11/05 23:53

久しぶりに山小屋でどこへも出ずに一日を過ごす。午前は授業の準備。授業での学生の感想・質問とそれに対するコメントをワープロで打ち出して毎回配布している。来週の分のコメントを今日書く。
 午前に教え子のOの夫Sが到着。奥さんの友人Yさんはミニチュアダックスとともに帰る。これで一匹と赤子一人になった。
 午後は、薪の整理。別荘地で定住しているDさんが樹を伐るという。樹を伐るのは同じく定住しているOさん。Dさんはもう八十歳をすぎたおばあさんで一人で暮らしている。Oさんはだ若い。といっても五十近いか。クラフト工房などの仕事だが、時々樹の伐採などでお金を稼いでいる。そこで、うちはDさんの家の伐採した樹を薪として買うことにした。Oさんはなかなか几帳面で、45㎝の長さに伐った樹を一本一本体重計に乗せて重さをはかり、それで値段を決めた。しめて600キロはあった。1万円ちょっとの値段。分量からすればかなり安いのは確かだ。樹もみず楢で薪にはとてもいい樹である。伐採した樹を家の道路際に運ぶ。伐採したばかりなので今年の冬には燃やせない。使うのは来年になるが、どこへしまっておくかが問題。とりあえず道路際に積んでビニールシートをかぶせておいた。
 夜、チャンイーモウ監督、高倉健主演の映画「単騎、千里を走る」を見る。「初恋の来た道」もそうだが、泣かせどころをこころえた監督だ。刑務所で、高倉健が撮ってきた息子の写真がテレビ画面に映し出される。仮面劇の役者である父親や仲間の受刑者がその写真を見ながらみんな涙を流し始める。おもわず、こちらも泣けてきた。いい映画だったが、泣かせどころが多すぎる気もした。ただ商売柄雲南省の麗江や少数民族が出てくるのでおもわず懐かしく魅入ってしまった。役者は高倉健を除いて全員素人だということだが、ガイド役がなかなか味があってよかった。それにしてもこの映画は「情」が主題である。人と人は「情」でつながりその「情」をうまくつかめば他者同士でもつながりあえる、というメッセージの明確な映画だ。
 その意味で感傷的過ぎるところがあるが、こういうオプティミズムは悪くはない。ナショナリズムのような「情」よりは数段ましだ。こういう「情」は普遍的なものだ。ただ、こういう「情」が他者同士を心地よく結びつけることはかなり困難だ。この映画のようにはいかないものだ。

     人間は情でつながる冬ぬくし

     落葉踏む音を残して靴を脱ぎ

疲れ気味である2006/11/07 00:29

今日は朝に山小屋を出て川越へ。わたしは川越駅で降ろしてもらいそのまま学校へ。山小屋から出勤しているようなものだが、実は、そうしたいと思っている。知りあいは、北軽井沢の別荘に移り住んで、そこから都心の大学に通っている。駅までの送り迎えは奥さんがやっている。そういう人は増えている。わたしの場合、出来ないことはないが、仕事が増えてとても無理そうだ。
 10月はいろいろ用事もあったこともあるがほぼ毎週の週末を山小屋で過ごした。紅葉の始まりから終わりまでを味わった。今はほぼ冬枯れの状態だが、満天星(どうだんつつじ…どうだんつつじと打つと満天星に変換される。これには感動した)だけが真っ赤だ。満天星は春の季語だが、紅葉もなかなかいいものだ。

    取り置きし満天星を紅く染め

 雑務や授業の準備などをして夕方帰宅。夕食に赤ワインをほんのグラスに一杯だけ飲んだら、食後気が遠くなりそのまま熟睡。一時間で眼が醒めたが、やや貧血気味らしい。疲れが出たか。回復してから少し運動をした。ブログを書き、短歌関係の本などを読んで寝るつもりだが、疲れているので本は読めないだろうなあ。明日は会議で朝が早いのだ。

     ワイン飲む時雨れる夜は何もせず

会議で反省2006/11/07 21:24

 火曜日はいつものように会議日。理事会、学部学科長会議、それから臨時にセンター試験実施へ向けた会議が入り、科長主任会議と、朝から始まり終わったのが夕方。ふうー。
 組織というものはこういう会議で動いていくものなのだ。どんな組織にも常に不備があり、それを修正しようとする動きがある。だから会議は無くならない。ただ、会議とは、合意形成の集団化だから、時間がかかる。だから、時々いらつく。それでつい問題はこうで、解決策はこうではないか、としゃべってしまう。それがまずいのだ。発言すれば責任が生じ、その発言が誰かの責任を遠回しに指摘するものであればうらまれもする。日本の会議とはそういうことがよくある。穏やかに、今の職種を全うしようとしている私としては、余計なことを言わない方がいいのだ。いつも反省である。
 帰りに岩波ブックセンターによって富岡多恵子の「釈超空ノート」を買う。これを早急に読まなくては。帰りの電車は久しぶりに早くから座れたのだが、本を読むどころか爆睡。俳句を考える時間すらなかった。

    立冬や会議のさなか眼を瞑り

    立冬や釈超空を閉じたまま

富士山が見える2006/11/09 00:52

今日は電車の中で少しは本が読めた。折口信夫の「歌の円寂する時」を読み、それに関連して富岡多恵子「釈超空ノート」の「ノート10」を読む。改めて「歌の円寂する時」を読むと、「抒情」という概念が案外にあやふやであることに気付く。折口は、どうも、性愛を主題するような歌垣の掛け合い歌を前提にしている。それもありだと思うが、それだけではないだろう。万葉の相聞歌はむしろ掛け合いというシチュエーションを失ったところで成立しているはずだ。やはり、抒情という概念は万葉のところで鍛え直される必要がありそうだ。
 富岡多恵子は、短歌の滅亡を説きながらも、骨の髄まで短歌的抒情そのものである釈超空と、短歌を「奴隷の韻律」と批判する詩人小野十三郎とを対比させる、なかなか面白い文章である。小野は短歌に批判的だが、詩の将来は短歌が左右すると述べる。たぶん「抒情」抜きに日本の詩が成立しないことへの言葉だろうか。
 明治以降、多くの者が短歌はそのうち滅びるだろうと語った。近代という時代に合わない詩型だと考えたからだ。それは、折口信夫も小野十三郎も同じであるが、彼等は、短歌がなかなか滅びないことにむしろやや自虐的になって日本の詩の本質を探ろうとした。それが、「歌の円寂する時」であり小野の詩論であると言っていいのだろう。その前提には、短歌的な抒情は近代には合わないという前提が確固としてある。
 が、どうやらそうではない。彼等は近代を誤解したのだ。彼等が思う程以上に近代は近代以前を抱え込んでいる。
 言うなら、古代と近代は見分けがつかぬほどぐじゃぐじゃと液状化している。折口信夫という存在そのものがそうではないか。そのぐじゃぐじゃに「抒情」の巣がある。そう思う。
 富岡多恵子ははっきりと述べてはいないが、どうもそういうことを言いたいらしいと読んだ。

 さてさて、今日は二部の授業があり帰ってきたのは夜の十時半。今日は車でなく電車だ。夜10時から「その時歴史が動いた」で「遠野物語」の成立をやっていて、ビデオに予約を入れておいたが、今日の「遠野物語」ゼミで学生に今日番組を見ろと言うのを忘れてしまった。絶対に言わなくちゃと思っていたのに、最近こういうのが多すぎる。情けない。

 朝、国道16号の向こうに富士山が見えた。冬の到来がこういうことで実感される。

    国道は富士がまします冬来たる
  
    排泄しまたもの喰うて冬来たる

ベランダを塗る2006/11/10 23:52


 9日は授業に教授会。夕方、私の職場の15階から、夕日が都心のビル群に映えているのを見るのはなかなかよい。西側の窓からは富士山が皇居の向こうによく見える。
 4時半に教授会が始まり6時頃に終わったが、もうすっかり暗くなっていた。
 10日は会議の予定だったが、その予定が無くなったので、それじゃということでいつものように奥さんに車で来てもらい、首都高から中央道に入り、南諏訪で降り、山小屋へ。
 ここのところ週末は山小屋だが、土日ゆっくりしたことはない。今回も日曜日は公募推薦の入試があるので出勤である。
 月が出ていて、八ヶ岳の輪郭がくっきりとしている。別荘地に入ると、鹿が道路をゆっくりと横切る。今日は二匹の鹿と出会う。

    冬にいり夕陽だらけの窓の都市
    
    皎皎たる月夜現るものは誰


 今日は、午前中ベランダのペンキ塗り。防腐剤「キシラデコール」を塗る。一年に一回塗らないといたんでしまう。去年塗らなかったので今年はと思っていたのだが、何とか冬に間に合った。山小屋を建ててから12年近くになるが、このベランダも風雪に耐えてよく保っている。
 午後は、職場とメールや電話のやりとりで雑務。どこにいても仕事からは逃れられない。
 別荘地の山の上に「つる梅もどき」が群生してるというのでチビと奥さんとで取りに行く。落ち葉を踏みしめながら少しばかり収穫。
 定住しているSさんが犬の本を持ってくる。Sさんが飼っていた柴犬が2ヶ月前に死んで、Sさんは喪に服している。喪の期間は他所の家で食事をしたりお茶を飲んでもいけないと本人は決めているそうで、お茶でも飲んでいったらと誘ったら、お茶も食事も出さないというなら寄っていく、という。それなら出さないから、ということであがってもらった。変な人である。
 夕食にビールをちょっと飲んだら、ふらふらとして一時間ほど熟睡。いつものパターンである。回復して、また一仕事。坂野信彦『七五調の謎をとく』を読む。今日読了の予定だが、さすがに疲れて途中で放棄。明日は読了だ。

  今日は落ち葉でいくつか作ってみた。まずは啄木風に、また河野裕子風に。

     落葉守る森に吸われし獣のこころ

     落葉踏む獣のやうに歩きたし

     落葉散らすホモサピエンス楽しそう

     落葉踏むそのまなざしは何も見てない

短兵急に2006/11/12 00:48

 今日は一日雨。昨日ベランダを塗っておいてよかった。午前はチビと長い散歩をし、午後は、授業の準備、読書の予定だったがも客人が来て、温泉へ行き、夕飯をわが家で食べる。ビールを飲んだらまたふらふらとなる。客のいる前で眠り込む。これはだめだ。客が帰り、回復してから、授業の準備と読書。明日は6時起きだ。

 坂野信彦『七五調の謎をとく』(大修館書店)をようやく読了。とりあえず、和歌は何故五七五七七なのかという一つの理屈は理解できた。この本では、日本語の一句の基本音数を八音としている。七音や五音は、途中もしくは最後の音をのばすことで八音になる。何故奇数音なのかというと、句を文として続ける場合に二音二音では文が構成できなくなるからだという。たとえば二音の言葉に助詞がはいると三音になる。ところが二音で切って発音すると、意味を構成できない。破綻が生じる。そこで、奇数音で一句を構成し、余った音をいわば引き延ばし音として内在させることでまとまりのある句とする。そして、その余った音が句としのて力(勢いや余韻)をつける、というのである。
 これが基本的な考えである。五七五七七は、だから八八八八八が基本音数。とすると、足りない音数は、この歌自体を、一つの文として構成しさらに勢いや余韻を与える役割を果たしているということになる。
 言い換えれば、本来の理想的な音の自然性である八音に齟齬をきたす音数を構成することで、歌の言葉は成立しているということになる(ある意味ではわれわれのふだん話す言葉そのものもそうだということになる)。この八音の音数と奇数の音数とのずれは、まさに、われわれの身体レベル(自然性)でのずれでもある。そのずれもしくは違和を抱え込んでいるからこそ、言葉の音が逆に意識され、その強弱や、高低や、長さや、リズムが、意味を持ち始めるということではないか。
 そのように考えると、短歌の五七五七七はわれわれの身体レベルでのズレを生じさせる音数ということになる。
 そういう意味では確かに面白い。
 だが、問題はこれは別の言語にあてはまるかどうかということである。アジアの歌の音数律は、圧倒的に五音、七音である。もし、この音数律が、他のアジアの言語においてもやはりズレを引き起こすものなのだしたら、そこには、歌の音数律というものの普遍性が見えてくる。もしそうだとしたらだが。

    時雨る日短兵急に思考せり

    客人ら鍋喰ふて帰る初時雨