焼け跡リセット2013/01/18 00:46

 しばらくぶりのブログである。忙しかったのはいつも通りだが、何と言っても寒くて参った。今のマンションに引っ越して来てこんなに寒いのは始めてである。あまり暖房を重視した部屋になっていないので、今年の冬の寒さはけっこうこたえた。山小屋の方が暖かい。山小屋は暖房しないと死ぬから石油ストーブや薪ストーブを備えているが、マンションは電気の暖房が主で、エアコンの暖房はあまり効率が良くない。ということもあって、夜パソコンに向かう気がしなくて、ついブログを書く余裕がなくなってしまった。

 書評の原稿も何とか書き終えたので、少し余裕が出来たというところだ。授業の方も14回目を終え、あとは、試験のみである。ただ、これからは入試や採点で忙しくはなるが。

 NHKの特集で「ダイオウイカ」を追いかけその姿を始めて撮影したという番組を見た。そのダイオウイカの姿に感動してしまった。撮影されたダイオウイカは3メートルほどらしいが、巨大なものは10メートル以上あるという。ライトに照らされた姿には充分な威厳があった。深さ千メートルの真っ暗な深海に一人漂う巨大なイカ、というだけで一つの物語である。「ダイオウイカは知らないでしょう」という本があったのを思い出した。西加奈子とせきしろとの短歌集だ。歌集というより、自由律の短詩集といったほうがいいが、この二人ダイオウイカの映像を見ただろうか。

 月曜に降った雪が凍り付き外を歩くのが大変である。今朝も、奥さんが犬の散歩の途中、知り合いの散歩仲間の奥さんが雪道で転倒し脳震盪を起こして救急車を呼んだということだ。学校へ行くと教員の一人が腕を吊っていた。やはり転倒したらしい。私も気をつけなくては。

 久しぶりにDVDを何本か借りてきたが、そのうちの一本が「マーガレット・サッチャー」である。メリル・ストリープのメイクがすごい。本物より本物らしい。映画そのものはまあまあだが、今の日本と重ねてつい見てしまった。安倍首相がやろとうしているのはこのサッチャーがやったことである。分配より成長をというサッチャーの改革は成功したと言われているが、その成功も持続しているとは思えない。日本はどうなるのか。

 アベノミクスに対して、ある評論家が経済破綻の可能性はあるが、やってみる価値はある。そして仮に経済破綻しても日本には「焼け跡リセット」の経験があるから何とかなるというようなことを書いていた。この「焼け跡リセット」という言葉が面白かった。

 敗戦後焼け野原になった日本はまさに驚異的に立ち直ってきた。それを「焼け跡リセット」というのだろう。焼け跡から20年経って、日本は高度成長のただ中にあった。リセットは上手くいったわけだ。バブル崩壊以降失われた20年と言われるが、いまだに立ち直れていない。リセット出来ていないからである。というより、戦後高度成長と同じ成長を期待するリセット方式にこだわりすぎて、結果的にリセットに失敗しているのである。

 財政破綻のリセットは犠牲が大きすぎて嫌だが、やはり何らかのリセットは必要では無いか。大震災も考えようではリセットのチャンスだった。が、あれだけ叫んだ「絆」も作れていないようだし、復興特需の公共事業に建設関係の人たちが潤っているだけである。

 革命もリセットであるが、今の革命は原理主義になってしまう。原理主義的リセットは嫌だ、とすれば、大災害リセットということになるのか。それも嫌だ、とすれば、穏やかなリセットをみんなで考えるしかない。とりあえず、みんなで、想像力の世界で今を「焼け跡」とみなすということだろう。そうみなしたとき、どうやって助け合えばいいのかいろんな知恵が湧いてくる。

 いやこれは想像の問題では無いかも知れない。年金ももらえず、生活保護もなく、という状況にならないという保証はない。アベノミクスが失敗して案外「焼け跡リセット」は現実になるかも知れないのである。それはそれでチャンスだと思うしかない。成長路線とは違う、みんなが生き残るための相互互助的なコミュニティが作れたら「焼け跡リセット」もそう悪くはないなと思うのである。