総選挙と授業見学2012/06/07 00:41

 AKBの総選挙を思わず最後まで見てしまった。けっこう引き込まれるものだ。一位は予想通りだが、私は前田敦子ファンだったから、多くのファンと同様にやっぱり前田敦子抜きの選挙はいまいちだなと見ていたけれど。

 興味を惹いたのは投票結果を受けたのスピーチである。このスピーチ、まだ子どもっぽいのと、大人になっているなあと思わせるものと、その違いがはっきりと現れていて、なかなか面白かった。高橋みなみはさすがにリーダーだけあってしっかりしていた。順位が下がって悔しい気持ちをどうスピーチするか、というところも聞き所だったように思う。次の選挙もあるから、恨み言は言えない。前向きに受け止める言い方しか出来ないなかで、どう悔しさをあらわすか、そこに頭の良さや人柄がでる。私は篠田のスピーチがとてもよかったと思ったのだが。

 今週は授業見学会の週である。父母や教職員が授業を自由に見学できるというもので、大学では画期的な試みである。ただ、参加者が多いと言えないのが少し寂しい。みなさん忙しいというのがあるのだろう。教員同士で他の授業を見学するというのも当然推奨しているが、これも盛んとは言えない。私は立場上、見るようにしているが、なかなか教室に入りにくいところがある。

 が、入って他の先生の授業を聞いているとこれがなかなか面白い。こういう機会でないとなかなか聞けない話もある。今日、国語学の先生の授業を聞いて仕入れた話。平安時代の日本語の発音を知るなぞなぞがあるという。「父とはあったことがないが母とは二度あったことがあるものなあに」というものだ。答えは「唇」。

 どういうことかというと、当時の「チチ」の発音では上と下の唇は出会わない。これは今でもそうだ。ところが、当時の「ハハ」の発音は上下の唇が出会うのだ。それがなぞなぞとして残っているということなのだ。どういう発音かというと「ファファ」と発音したと言われている。この発音だと上下の唇が確かに出会う。なるほどなぞなぞで発音がわかるというのも面白いものだ。

 ちなみに、私の授業も当然学者が来るはずだが、期待していたほど来てくれないのが寂しい。まあ、その方が気が楽なのだが。昨日の基礎ゼミは、新しいことを試みた。学生に新聞を読ませて、相互に討論させる授業を行った。まず、読売新聞を26部配達してもらった。代金は私の自腹である。たいした額ではない。何故、読売新聞かというと、読売の勧誘に負けてわが家では今読売を読んでいるからだ。ただ、朝日とは違っていてそれなりに面白い。特に火曜は「就活ON」という特集があって、これは学生向けにとても良い企画である。

 授業が始まると、グループに別け、一人一人に新聞を配りそれぞれまず隅から隅まで読ませる。そして、自分の一押しの記事をグループ内で発表させ、それからみんなで議論してそのグループの一押しの記事を選ばせるというものだ。

 みんな真剣に新聞を読んでいた。こんなに真剣に新聞を読むのは初めてだという感想が多かった。新聞がこんなに面白いものだとは思わなかったという感想もあった。こちらの思惑通りの結果である。

 この授業、見学者が来た。しかも、学外の企業の人で、基礎ゼミを特に見学に来たらしい。学生がみんな真剣に新聞を読んでいるだけの授業風景に驚いたようであった。そのとき私は教壇でうとうととしていたのだ。あわてたが、興味をもってくれたようで、とりあえずはよかったというところだ。

匿名空間2012/06/10 16:54

 日曜日だが授業。といっても八王子校舎で市民講座。日曜日まで仕事か、ということでためらったが引き受けざるを得なかった。車で行く。高速を使って一時間ほど。受講者は6人。採算は度外視といったところか。つまり、学校の市民向けの講座として八王子方面の開拓ということである。かつての八王子校舎の利用という面もある。

 昨日から外付けハードディスクに今まで撮りためていたミニDVテープを記録する作業を始めた。写真はほぼハードディスクに収めたので、ビデオの方に着手。DVDに焼くよりもハードディスクに一括して記録した方が良いと言われてそうすることにした。確かに、DVDはがさばるし保管も大変。ハードディスクにいれておけば、パソコンでいつでも見れるしも必要なときにDVDに焼けばよいのだ。ただ、問題は、VHSのテープで、これがけっこう大量にある。ビデオデッキからパソコンに取り込む専用のコードを購入すればよいが、問題はビデオデッキである。今一台しか手元にない。これが故障したらアウトなので、安いのを買おうと調べ始めたら、ほとんど製造中止。中古がほとんどだ。今VHSデッキは貴重品になりつつあるらしいことがわかった。データの保存は時間がかかるが毎日少しずつやっていくしかない。

 先日久しぶりに昔の知り合いとの飲み会に出席。そこでオウムの菊地直子の事が話題になる。みんなの関心を集めたのが菊地直子にプロポーズした高橋寛人という男である。プロポーズされ自分はオウムの菊地直子だと告白する。それでも男は一緒に暮らし始める。住居を換えてふたりでひっそりとくらしていたが、ついに捕まる。考えてみれば、これって今時珍しい純愛ドラマではないのか。

 吉田修一原作の映画「悪人」の逆パターンだ。妻夫木演じる殺人を告白した男を支え一緒に逃避行を続ける深津絵里が、高橋寛人ということになるか。仮に高橋が私だったらどうか。すでに若くもなく、あまり人とのつきあいもなく孤独な生活のなかで、ある女性と知り合う。思い切ってプロポーズしたら、実は指名手配されているそれでもいいか、と言われる。さあ、あきらめて警察に通報できるか。そんなこと出来やしないだろう。シチュエーションからしてそうとう思い詰めてプロポーズしたと推測できる。とすれば、かなり悩むだろうが、身を隠して一緒に暮らそうということになるのは、成り行きとしてよくわかる。誰もがそういう判断をするとは思わないが、小説の世界ではなく、実際にそういう決断をする人が、いるということに救われる思いはある。むろん、本当のところはわからないにしても、そう思わせるではないか。

 郊外を匿名の空間と名付けたのは誰だっか。安部公房ではなかったかと思う。今までオウムの逃亡者はほとんど郊外に隠れていた。郊外は日本で一番隠れやすいところなのだ。無人島に逃げたのは市橋だったが、長続きはしない。菊地もまた、町田、相模原、という郊外都市に隠れていた。日本の郊外はまだ匿名性を失っていないということなのか、それとも、防犯カメラが郊外のいたるところに設置されてそんなことを許さなくなっているのか。どうも後者のような気がする。高橋克也は何処へ逃亡するのだろうか。今、日本に高橋が身を潜める匿名空間はあるのだろうか。

       帰るべき巣のない烏夏の夜

トンイが終わる2012/06/17 23:53

 先週も相変わらずだ。金曜日に前学長のN先生がフランスから一時日本に帰国。81歳の誕生日のお祝いをかねて旧知の人たちとお祝いの会を開く。現在フランスに住んでいるので一時帰国ということらしい。住民票がないので、日本で病気になると保険がきかない。だから、長くいられないというようなことを語っていた。朝から秋葉原でパソコンの部品を探していて疲れたとおっしゃっていた。メイドの格好をした少女が何か配っていたけどあれは何だと質問された。AKB48知ってますかと聞くと、なんだそれ、と言う。まだフランスまでは知れ渡ってないらしい。それにしてもお若い。以前とほとんど変わらない。

 土曜はオープンキャンパス。相談員として出校。私は担当でなかったのだが、人数が少ないということで急遽担当するこにした。これも学科長の仕事である。今週も大忙しであった。

 宮崎の知り合いの農園からマンゴーが届いた。農林省の役人だった知り合いが役人を辞めて宮崎で農家を始めた。そこで宮崎特産のマンゴーを作り始め、毎年この時期になると注文しているのだ。太陽の卵と言われている完熟マンゴーで、とにかく最高の味である。興味のあるかたはこのホームページを御覧になってください。http://blogs.yahoo.co.jp/kakitamika

 短歌時評の原稿を何とか仕上げる。福島泰樹歌集『血と雨の歌』。挽歌という切り口で、万葉挽歌との比較を通して、福島泰樹を論じてみた。ここんとこあまり文章を書いてなかったので、言葉が上手く出てこない。やっぱりたくさん書かなきゃいかん、ということを実感。ただ、今年も原稿はたくさん書く予定。

 今日、「トンイ」の最終回。毎回欠かさずに見ていたのだが、終わって寂しい。日曜の夜はとにかくトンイを見るのが決まりで、奥さんと二人で楽しみにしていたのだ。韓流時代劇としては私は「トンイ」が一番好きである。「チャングムの誓い」もよかったが(監督は同じ)、「トンイ」の方が面白かったと思う。

 何処が?と問われても説明が難しいのだが、たぶんかつて日本のドラマにはあったが、今は失われた、清楚で芯が強くて知的で、ひどい目に会いながらも、それをはねのけていく、というと、少女漫画の世界だが(確かにかつての少女漫画の世界なのかも知れない)、女性の成長ドラマに、私を含め多くの日本人がはまったのだろう。

 何故日本の時代劇ではこのような面白いドラマが作れないのか。たぶん、宮廷という権謀術数が渦巻く閉鎖的空間がないためである。日本でも院政や摂関家支配の時代は権謀術数に満ちていたが、なかなか韓国のようなドラマは作れなさそうだ。その理由の一つとして、儒教があるのではないかと思う。

 朝鮮王朝は儒教の理念を価値基準としている。従って、王であっても徳を失えば臣下によって交替させられる。そこが日本の天皇と違うところである。朝鮮王朝の官僚は科挙のような試験があり、儒教を勉強している。従って、思考の基本が合理性なのである。合理的な意見を無視出来ない。また日本の武士階級のように、武力を持つ将軍が王族や貴族を武力で支配するという歴史を持っていない。

 このようなところでは、おもてでは合理的な意見を戦わせながら裏では卑怯な陰謀によって敵対者の没落を図る、という権力闘争が日常茶飯事になる。一方、儒教が大きな規範として生きているから、儒教的な意味での聖人であろうとする理想主義者の若者もいるはずだ。

 チャングムやトンイのようなドラマの特徴は、ピュアなものが最後に勝つ、ということだ。どうも、このピュアな心の背景には韓国の儒教の歴史がありそうだ。日本にも、韓国ほどではないが儒教は入ってきている。だから、トンイに感情移入しやすい。ただ、トンイのピュアな心が、儒教的だということではない。そういうピュアな存在をあり得るものとして描ける文化的許容度を用意したものが儒教だということだ。

 まあトンイを観ていない人には、なんでこんなに褒めるのか分からないだろう。とにかく、こんな風に説明したくなるくらいはまっていたということだ。

古本市のための読書2012/06/24 23:42

 今週の土日は久しぶりに家で過ごす。といっても、調べ物や調査記録のデータ保存でけつこう忙しかった。デジタルのミニテープはパソコンに取り込んで外付けハードディスクへ。8㎜ビデオテープは、DVDにコピーする。ブルーレイディスクに入れたいところだが、DVDがけっこう余っているので、これを使い切るまでやる。それから、アナログの音声テープがけっこうあるのだが、これを新しい録音機に再録音しそのデータをハードディスクに記録する、という作業である。またすでにVHSのビデオテープになっている記録もあるが、これは、DVDに焼き付ける。ところが、ビデオデッキが故障してしまい、買おうかどうか迷っていた。中古でも買おうと近くのリサイクルショップに行ったら、1300円で出ていた。思わず買い求めた。一応動くという保証までついている。修理代より安い。

 来週の土日は研究会がたてつづけにあるので、休みなしである。こういう作業が出来るのは今週くらいだろう。再来週は学会での発表がある。今折口信夫の問答論について全集をいろいろ引っ張り出して関係箇所を読んでいるのだが、なんとなくまとまりそうな感じはあるが、どうなることやらである。

 私の学科では、就活で、今年はけっこう大手に内定が決まったという報告があって安堵しているのだが、それでもまだなかなか決まらない学生もいる。その対策で頭が痛い。編入か就職かで悩んでいる学生もいて、早く決断しないとどちらもうまくいかなくなるぞと言っているのだが。

 学科長としては、授業に使う労力より、学生の満足度を上げたり、内定率を増やしたり、悩んでいる学生をケアしたりと、とにかくこっちへの労力の方が圧倒的に多い。なんせ学生数が減ればすぐに潰れる。それが短大の置かれた厳しい状況であって、これをどう乗り切るのか、試行錯誤の日々が続いている。

 わが学科には会議室があるのだが、ほとんど使わない。狭いので教授会は別の会議室で行うからだ。ほとんど教員の資料とか学科のがらくたの物置になっていた。そこで、中を整理し、わが学科の学生のコミュニティルームに改装した。ようするに、お昼を食べたり友達同士で雑談できる場所として開放したということである。都心の短大なので、キャンパスがない。食堂もいつも満員である。それで、学科の学生が集える場所を少しでも増やそうと教員の会議室を開放したというわけである。これは私の独断で、学科長の権限で行った。

 わが学科には読書室があり、予算を取って学生が読みたい本を購入して自由に読めるようにしてある。学生の読書室委員がいて、本を選んだり、文化祭では古本市をしているのだが、今年もやる予定。ただ、古本市の本を集めるのがいつも大変。そこで、私は、古本市での売り上げをのばすために、なるべくベストセラーの本を買って、それを読んで、読んだ本を古本市にだそうと思っている。それで、本屋に行ってはベストセラー本を買っているのだが、なかなか読む暇がない。それでも今週高野和明の『ジェノサイド』を読んだ。これは面白かった。途中でやめられなくなり夜中の3時過ぎまで読んでいた。さすがに、次の日疲れた。それから、SFでJPホーガンの『星を継ぐもの』。息の長いロングベストセラーである。

 こういう読書は、ほとんど消費としての読書であり快楽としての読書である。何にも残らないが、活字が創り上げる虚構の世界に浸れる快感だけは強く身体に刻まれた。こういう快感を久しく味わっていない。こういう快感あってこその文学ではないか。古本市にたくさんの本を出品するためにも、この快感ひたすら追い求め続けなくては。

                      生や死や愛も戦も梅雨に読む