トンイが終わる2012/06/17 23:53

 先週も相変わらずだ。金曜日に前学長のN先生がフランスから一時日本に帰国。81歳の誕生日のお祝いをかねて旧知の人たちとお祝いの会を開く。現在フランスに住んでいるので一時帰国ということらしい。住民票がないので、日本で病気になると保険がきかない。だから、長くいられないというようなことを語っていた。朝から秋葉原でパソコンの部品を探していて疲れたとおっしゃっていた。メイドの格好をした少女が何か配っていたけどあれは何だと質問された。AKB48知ってますかと聞くと、なんだそれ、と言う。まだフランスまでは知れ渡ってないらしい。それにしてもお若い。以前とほとんど変わらない。

 土曜はオープンキャンパス。相談員として出校。私は担当でなかったのだが、人数が少ないということで急遽担当するこにした。これも学科長の仕事である。今週も大忙しであった。

 宮崎の知り合いの農園からマンゴーが届いた。農林省の役人だった知り合いが役人を辞めて宮崎で農家を始めた。そこで宮崎特産のマンゴーを作り始め、毎年この時期になると注文しているのだ。太陽の卵と言われている完熟マンゴーで、とにかく最高の味である。興味のあるかたはこのホームページを御覧になってください。http://blogs.yahoo.co.jp/kakitamika

 短歌時評の原稿を何とか仕上げる。福島泰樹歌集『血と雨の歌』。挽歌という切り口で、万葉挽歌との比較を通して、福島泰樹を論じてみた。ここんとこあまり文章を書いてなかったので、言葉が上手く出てこない。やっぱりたくさん書かなきゃいかん、ということを実感。ただ、今年も原稿はたくさん書く予定。

 今日、「トンイ」の最終回。毎回欠かさずに見ていたのだが、終わって寂しい。日曜の夜はとにかくトンイを見るのが決まりで、奥さんと二人で楽しみにしていたのだ。韓流時代劇としては私は「トンイ」が一番好きである。「チャングムの誓い」もよかったが(監督は同じ)、「トンイ」の方が面白かったと思う。

 何処が?と問われても説明が難しいのだが、たぶんかつて日本のドラマにはあったが、今は失われた、清楚で芯が強くて知的で、ひどい目に会いながらも、それをはねのけていく、というと、少女漫画の世界だが(確かにかつての少女漫画の世界なのかも知れない)、女性の成長ドラマに、私を含め多くの日本人がはまったのだろう。

 何故日本の時代劇ではこのような面白いドラマが作れないのか。たぶん、宮廷という権謀術数が渦巻く閉鎖的空間がないためである。日本でも院政や摂関家支配の時代は権謀術数に満ちていたが、なかなか韓国のようなドラマは作れなさそうだ。その理由の一つとして、儒教があるのではないかと思う。

 朝鮮王朝は儒教の理念を価値基準としている。従って、王であっても徳を失えば臣下によって交替させられる。そこが日本の天皇と違うところである。朝鮮王朝の官僚は科挙のような試験があり、儒教を勉強している。従って、思考の基本が合理性なのである。合理的な意見を無視出来ない。また日本の武士階級のように、武力を持つ将軍が王族や貴族を武力で支配するという歴史を持っていない。

 このようなところでは、おもてでは合理的な意見を戦わせながら裏では卑怯な陰謀によって敵対者の没落を図る、という権力闘争が日常茶飯事になる。一方、儒教が大きな規範として生きているから、儒教的な意味での聖人であろうとする理想主義者の若者もいるはずだ。

 チャングムやトンイのようなドラマの特徴は、ピュアなものが最後に勝つ、ということだ。どうも、このピュアな心の背景には韓国の儒教の歴史がありそうだ。日本にも、韓国ほどではないが儒教は入ってきている。だから、トンイに感情移入しやすい。ただ、トンイのピュアな心が、儒教的だということではない。そういうピュアな存在をあり得るものとして描ける文化的許容度を用意したものが儒教だということだ。

 まあトンイを観ていない人には、なんでこんなに褒めるのか分からないだろう。とにかく、こんな風に説明したくなるくらいはまっていたということだ。