連休に入る2012/05/01 00:50

 ようやく連休に入った。連休といっても、1日は授業がある。2日は振替休日で休講。それなら1日も休みにすれば9連休なのにと、たぶん、みんな思っているだろう。地方出身の学生はゆっくり故郷に帰れるのに。1日は授業回数を確保するために、どうしても休みに出来なかったらしい。私の場合は、連休にやることもないし、だらだらと過ごすだけだから、時々出校日があると助かる。

 28日の土曜は、恒例の地方出身学生との懇談会があった。毎年この時期に開いている。地方から出てきた新入生に集まってもらってケーキを食べながら、地方出身者同士で知り合いになってもらったり、教員ともいろんな会話をしてもらおうという企画だ。連休にはいったので参加者がどれだけいるか不安だったがまあまあ来てくれた。こういう機会があると学生と私的な会話が出来て距離感が近くなる。こういう機会をたくさん作りたいと思っているのだが、なかなか難しい。

 今回は2年生でも参加オーケーにしたら、2名参加した。遅れてきた一人は、来るなり自己紹介をするように言われた。すると、恋に破れた辛い体験とか、心が大変なときは学生相談室に通って何でも話したりとか、今は元気で頑張っているとか、明るい調子で、入学してから1年経った自分のことをあけすけに語り出したので、みんな思わず聞き入ってしまった。そして拍手した。とてもいい自己紹介だった。やっぱり、辛いことは心にためちゃいかん、この娘のように率直に他人に語れたらきっと楽しい人生を過ごせる、と少し感動した。

 私の「アニメの物語学」を取っている学生がたまたま私の前に坐っていて、いろいろと質問された。この授業けっこう人気があると実感。まだ始まったばかりだが、これは手を抜けないなあと覚悟する。

 もう一つ手を抜けないのが、市民講座のほうで、3回目が終わったが、何とか持っている。今のところボロはでていない。先週講師控え室に座っていたら、どこかで見た顔の女性が入ってきて、私の前に坐った。コシノジュンコだった。この日、講師として来たらしく、机には自著らしい本が積まれていて、サインをし始めた。有名人をこんなに近くで見るのもめったにないことであるが、さすがにすごい存在感であった。

 29日は、これも毎年恒例だが、農家である北川辺の友人の家を訪問。田植えの頃なので、友人たちが田植えを少しは手伝おうということで始まった訪問行事なのだが、今では、ただ訪れて田んぼを散歩していろいろ野菜などをもらって帰ってくるだけの行事になった。ただ、今回は、友人が娘夫婦とその子供と、それから、娘夫婦の知り合いの家族三組を一緒に連れてきた。子供が全部で10人近くいて、何とも賑やかな一日となった。

 それにしても、子供はいるところにはいる。チビも連れて行ったが、子供達にカワイイ!とか言われて撫で回されていた。チビは吠えもせずじっと耐えていた。大人しいものだからまた撫でまわされる。チビにとっては災難な一日であった。

   田植え機を荷台にのせて走りたり

連休の花見2012/05/12 00:09

 連休があけて、とたんに忙しくなった。市民講座と学会と授業に校務にと、気ぜわしい。学生には、忙しいときほど合理的に時間を使おうとするから勉強ができる、といっているのだが、この歳になると合理的に時間を使おうとする気力がない。やはり、身体がついていかないので、これ以上無理して倒れたら迷惑かかるだろうなあとつい思ってしまう。もうそんなに忙しくないほうがいいということだ。

 連休は長野のほうで過ごす。といっても土曜には学会のために戻ってきたので実質三日間くらいの休暇だったろうか。一日だけ、山小屋の近所の人たちと花見に行ったのが休暇らしい一日だった。長野は場所によっては桜が咲いている。近くの村の川沿いに小彼岸桜が植えられていてそれが今見頃なので、弁当を持って花見に行った。田植えの時期で、田には水が入り始め、新緑の山の際には白い花の樹が植えてある。五月の爽快な日光のもとで、桃源郷のような風景である。

 学校が始まって一ヶ月が経つ。わが学科は今のところ何の問題もなく時が過ぎているが、これからどうなるか、である。これから、学生との個人面談が始まり、学生の状況調査の結果も出てくる。学校に来なくなった離脱者がどのくらいいるか。今年は学科長なのでこの数が心配になる。わが校は、今、カードリーダーで出欠を取っているので、学生全員の出欠状況が学校側によって全部把握できる。つまり、一月経って欠席がちの学生の名前がすぐにわかるのである。

 一週間後には歌謡学会での発表がある。その準備などで歌垣関係の本を再読している。準備といっても、最近書いた論文に少し新しいことを付け足すだけの発表なので、そんなに大変というわけではない。発表といっても、講演であって質疑応答があるわけではない。ただ、みっともない講演は出来ないので、それなりの準備はいる。

 今こだわっているのは、歌垣の問答の起源である。折口信夫の起源論が未だに幅をきかせているが、それに対して、どう違った論理で説明出来るかね考えて居るる折口の論理が間違っていると思っているわけではないが、中国少数民族の歌の掛け合い事例などがたくさん出てきていて、折口の起源論ではなかなか説明できなくなっているのは確かなのである。

 三弥生書店から出した『歌垣の起源を探る』という本で、手塚恵子が面白いことを書いている。折口は神と人との問答を想定した。それを垂直の掛け合いだという。手塚が調査している壮族には、霊と歌の掛け合いをすることがあると報告している。シャーマンが神懸かって霊を呼ぶ。その霊と村人が歌の掛け合いをするのだという。これを水平の掛け合いだという。つまり、神や霊というあの世の存在と人との問答には、垂直と水平があるというのだが、実は、これは私がずっと考えていたことであって、この論理を使って発表するつもりである。ちなみに、小川学夫は、奄美でも幽霊と掛け合いをするという話があると書いていて面白い。

 問答の関係は原則として垂直ではない。折口のわかりにくさは、起源における神と人との関係はどうみても垂直なのに、それがいつのまにか水平になってしまうところだ。この問題結構面白いと思っている。

問答にこだわる2012/05/28 23:47

 しばらくブログを書いていなかった。理由は、忙しかったこと。ただそれだけだが、かつては忙しくてもブログはかかさず書いていたが、今は、どうもそんな元気がない。五月は、連休から土曜日は全部校務や出校で潰れ、まして、学会の発表あり、市民講座もありで、早く寝ることだけを心がけて過ごした。だから、夜遅くブログをかくような労力をなるべく避けた。ブログを休んだのはそれが理由である。

 先日、奥歯が痛くてうまくかめなくなった。ただ歯が痛いのではなく、かみ合わせの部分が痛む。大事でなければいいがと医者に行ったら、筋肉痛だという。つまり、噛む筋肉にストレスがかかりすぎて筋肉痛になっているのだという。夜寝ているときに歯ぎしりしたり奥歯を強く噛んでいないかと聞かれ、特にそんなことはないと答えたが、たぶん、原因はそれだろうと医者は言う。人は、ストレスが強いと眠っているあいだ歯を強く噛むのだという。そんなこと意識していなかったが、ストレスがないわけではないので、医者の言うとおりなのかも知れない。それで、マウスピースを嵌めて寝ることをすすめられた。ということで、今マウスピースを嵌めて寝ているのだが、どうも慣れてないのでおかしな感じだ。それにしてもストレスがこんなところに作用するのだと、改めて認識した次第だ。

 相変わらず忙しさは続く。6月もほとんど土曜日は潰れており、山小屋にも行けないし、ブログを書く余裕も当分無いかも知れない。

 7月の古代文学会のシンポジウムに発表することになっていて、今それについていろいろと考えている最中である。2週間前に歌謡学会で発表したばかりで、古代の方は引き受けるんじゃなかったと反省している。たぶん、折口信夫の問答論についてということになるだろう。折口の歌垣論はどうもしっくりこない。折口の歌垣論を踏まえたこれまでの研究者は、神と人との問答が男女の問答へとどうしてすっと移行するのか、その説明を誰もしてくれない。神がやってきて神の立場で人と問答するのと、男女が恋愛を目的に歌の問答するのは同じではないだろう。それなのに、何故同じように論じるのか、だれも説明していない。というより出来ないのか。そこを私なりに説明しよようというのが、今度の発表になろうか。

 説明できるかどうか、これから考えるということで、とりあえず方向だけは決まったが、説明できなければごめんなさいと謝るだけだ。

 最近問答にこだわっている。考えてみれば、私の最初の論文らしい論文は「戸をめぐる表現(問答)」について論じたものだった。戸を挟んで問答するという場面がけっこう記紀の物語や歌謡にある。それをいろいろ考えて見たのだが、結局、最初の関心に戻ったということなのだろうか。現在の問答への関心は、中国少数民族のフィールドワークから発したものだが、でも、問題の立て方は、無意識下にずっとあった若い時の発想に戻る、ということなのかも知れない。

 そういえば金環食は見る事が出来なかったが、マンションの壁に映る木漏れ日が日食の形だった。それを見たとき、金環食フィーバーに少し参加した気分になった。ただ、それだけである。