謹賀新年 ― 2011/01/02 00:46

明けましておめでとうございます。2011年。謹賀新年。今年の正月は山小屋でテレビを見たり本を読んだりと、例年のように近くのお寺に除夜の鐘をつきに行くこともなく過ごしている。奥さんの風邪がずっと治らなくて外に出ないようにしているということもあって、チビと奥さんとそして私と実に静かな正月を迎えている、というわけである。
今年はたぶん客は来そうにもないので、山小屋でとにかく読書の日々を過ごす予定。あくまで予定ですが。
大晦日の夜は紅白歌合戦を何となく見ていたが、とにかく、若い人の歌から年寄りの歌まで応援歌が多い、という感想。共通するのは、人間は完全じゃない誰にでも失敗がある、それでもあきらめなければ明日があるといったような内容だ。今の時代をよく反映していると思う。一度や二度の失敗にくじけるな、という叱咤激励ではなく、傷ついても話を聞いてくれる誰か(私)がいるから大丈夫、と励ますような歌が多いようにも感じた。
夢や希望をただ追い求める歌が少なく、癒し系の歌が多いのもやはり今を反映しているのだろう。ある意味でカウンセリングの時代に入ったのだと言うことかもしれない。私の勤め先の学科には心理学コースがあるが、志望動機に、心理学を勉強して友達の相談に乗ってあげられたらいいと思って、と語るケースが少しずつだが増えている。友人とは、親身に相談に乗ってくれる関係のことだろう。だから、友達なら別に心理学を勉強しなくても相談には乗れるはずなのだが。
それなのに友人関係にも心理学の知識が必要だと思わせるのは、たぶん、今、友人との関係が、カウンセリングするものとされるものとの関係を含み込みつつある、ということなのかもしれない。カウンセリングの関係とは、相互に開かれた関係ではない。閉じてしまった心の持ち主とその心を無条件に許容するものとの関係のことである。その意味では友人関係のような対等さがない。例えば友人関係なら、相手を気遣いつつも時に行き過ぎて傷つけてしまうということもある。が、それをしていけないのがカウンセリングである。
友人の相談に乗るのに心理学の知識が必要だと思うのは、友達という振る舞い方では処理できない心の問題を誰もが抱え込み始めている、という実感からであろうか。就職難に格差社会、そして無縁社会、傷つかないで生きる方法なんてない社会である。その意味では、なかなか人とつきあうのも大変な世の中になってきたという気がする。
そんな事を考えながら紅白を見ていたら、病から復帰した桑田佳祐が出て来て、その歌がぶっ飛んでいて、女に振られた男が女は悪魔だと叫んでいるような歌詞である。いつものように紅白という権威やそこに象徴される時代の雰囲気を蹴飛ばすような痛快さがあって、病に負けていない元気な桑田を見ることが出来たのは良かった。
正月や何となく歳を数える
今年はたぶん客は来そうにもないので、山小屋でとにかく読書の日々を過ごす予定。あくまで予定ですが。
大晦日の夜は紅白歌合戦を何となく見ていたが、とにかく、若い人の歌から年寄りの歌まで応援歌が多い、という感想。共通するのは、人間は完全じゃない誰にでも失敗がある、それでもあきらめなければ明日があるといったような内容だ。今の時代をよく反映していると思う。一度や二度の失敗にくじけるな、という叱咤激励ではなく、傷ついても話を聞いてくれる誰か(私)がいるから大丈夫、と励ますような歌が多いようにも感じた。
夢や希望をただ追い求める歌が少なく、癒し系の歌が多いのもやはり今を反映しているのだろう。ある意味でカウンセリングの時代に入ったのだと言うことかもしれない。私の勤め先の学科には心理学コースがあるが、志望動機に、心理学を勉強して友達の相談に乗ってあげられたらいいと思って、と語るケースが少しずつだが増えている。友人とは、親身に相談に乗ってくれる関係のことだろう。だから、友達なら別に心理学を勉強しなくても相談には乗れるはずなのだが。
それなのに友人関係にも心理学の知識が必要だと思わせるのは、たぶん、今、友人との関係が、カウンセリングするものとされるものとの関係を含み込みつつある、ということなのかもしれない。カウンセリングの関係とは、相互に開かれた関係ではない。閉じてしまった心の持ち主とその心を無条件に許容するものとの関係のことである。その意味では友人関係のような対等さがない。例えば友人関係なら、相手を気遣いつつも時に行き過ぎて傷つけてしまうということもある。が、それをしていけないのがカウンセリングである。
友人の相談に乗るのに心理学の知識が必要だと思うのは、友達という振る舞い方では処理できない心の問題を誰もが抱え込み始めている、という実感からであろうか。就職難に格差社会、そして無縁社会、傷つかないで生きる方法なんてない社会である。その意味では、なかなか人とつきあうのも大変な世の中になってきたという気がする。
そんな事を考えながら紅白を見ていたら、病から復帰した桑田佳祐が出て来て、その歌がぶっ飛んでいて、女に振られた男が女は悪魔だと叫んでいるような歌詞である。いつものように紅白という権威やそこに象徴される時代の雰囲気を蹴飛ばすような痛快さがあって、病に負けていない元気な桑田を見ることが出来たのは良かった。
正月や何となく歳を数える
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