ほっとしたこと2011/01/31 23:49

 今日は、2年生のゼミの打ち上げである。全員すでに卒業レポートを提出しており、今日はその卒業レポートを製本した卒業レポート集をみんなに配った。全員脱落なく提出したので私としてもほっとしたというところである。

 打ち上げのクラス会はいつものイタメシ屋。ピザとパスタの打ち上げである。けっこうお腹いっぱいになる。1年生のゼミの打ち上げもここで今週やることになっているのだが、それもあって私はなるべく食べないように自粛。医者からコレステロールを下げろと言われている身としては、イタメシの食べ過ぎはやばいのである。

 複数の教員が担当する教養講座の授業をやっていて、「東西の恋愛」というのが共通テーマである。私の担当は明治初期の恋愛観で三回の授業である。一回目は北村透谷で、理想主義の恋愛、プラトニック名恋愛を紹介。二回目は、二葉亭四迷の「浮雲」から、リストラにあった男のウジウジした恋愛。そして与謝野晶子の「みだれ髪」から、女性主導の官能的恋愛。三回目は樋口一葉の「たけくらべ」から、少年少女のピュアな恋愛。明治初期はいろんな恋愛が描かれた。それだけ、多様な生き方が描かれたということだろう。感想を読む限りでは好評であった。

 日曜に時評の原稿を書いて送る。それが終わって、今度は、「アジア民族文化研究」の原稿を書き始める。まず、御柱のシンポジウムの原稿を何とか書き上げた。少しほっとした。実は、すでに書いてある原稿に大幅に手を入れたというだけである。ただ、私としてはかなり面白くなったと思っている。

 私は日本にはそもそも、アジアの龍樹信仰のような聖樹信仰というのはあるんだろうか、という疑問があり、そのことをある研究会で、Mさんに言ったら、Mさんは、「石の上の布留の神杉」があるではないかと言った。神杉について言及していなかったので、これはまずいと思ったが、実は、日本書紀歌謡のこの神杉の歌は、神杉の本を切って末を払って、というように歌われているのである。これは神杉を伐採して神殿を造営する意味だという解釈がある。それに対して、土橋寛は神木を伐採して建物を造るなどということがあるはずがないと否定する。が、どうみても、伐採するという意味にしかとれないのだ。

 神木でも伐採してしまうのが日本の聖樹に対するアプローチである、というのが私の結論である。結果的に神杉はこの私の考えを補強してくれた。Mさんには感謝である。

 私の所属する学科の入試の志願状況がホームページで公開されている。もうすぐ締め切りだが、最後の最後で去年を上回った。これにもほっとした。もし下回れば学科の状況は厳しくなる。ただ、まだまだである。たくさんの志願者がくることを祈るしかない。

                        この娘らの勢い集め日脚伸ぶ