トラブル続きの大会 ― 2010/06/20 00:56
今日はアジア民族文化学会の大会が開かれ、私は準備もあって早くに出校。運営委員会や資料の準備など、いつもながら事務局は忙しい。
発表者は、いずれもパソコンで映像を流すという。ところが、発表直前になって、パソコンから映像がプロジェクターに流れない。接続は間違っていないのだが、何が原因かわからない。あれこれいじっているうちに映像が映し出されて何とか解決。これでまず最初の発表時間が20分遅れた。
ところが、次のMさんの発表のときに、Mさんが写真をプロジェクター画面に映したいと言う。聞いていたが、会場の教室には書画を映し出す措置がなかった。あると思いこんいでいたのが間違いだった。それで、急遽、二つ隣りの教室に会場を変更。授業のないときなので助かった。その発表もまた10分ほど遅れた。そのつぎの発表もパソコンで映像を流すのだが、これもどうしても映像データがプロジェクターに流れない。原因がわからず、とりあえず、発表を続けてもらい、そのうしろで機器をいじってみた。学校の機器の係を呼んでみたがわからないという。それでコードが原因かもしれないとコードを代えた。そうしていじっていたら、突然映像が流れた。発表が終わる前で、何とか間に合った。いまだになんで映像が流れなかったのか原因がわからない。それにしても、冷や汗ものの大会であった。
K氏の発表はプイ族の歌の掛け合いで、一人の歌が時には30分近くにもなるという掛け合いである。さすがにフリーリズムに近く、音数律も決まっていない。つまり、全体として決まった定型があるわけではない。時間は短くも長くもなる。歌うべき内容はだいたいは決まっていて、部分、部分は適宜言葉を換えていく。その意味で、即興なのだが、即興でないとも言える。私が調査している白族の歌は、ひとりの歌の一回の長さは一分くらいである。それと比べると、いかに長いかがわかる。
K氏は文化人類学を専門としているので、掛け合いを、コミュニケーションの方法の問題として研究している。例えば、言語学等で会話においてどのように相手に言葉を返していっているか、そこにある法則を見つける、といった研究があるが、そのような方法で歌の掛け合いをとらえる、ということであるらしい。それなら、私もやっているよ、と思ったが、そうか文化人類学的なことを私はやっていたのだと、思った次第である。
家に帰ったのが11時、日本オランダ戦が終わっていた。日本は1-0で負けたが、がんばったほうなのではないか。デンマークに勝てば何とか一次リーグ突破だろうがどうなるのだろう。カメルーン戦に予想外に勝利したために、日本人ほとんどが、希望を持ってしまった。でも韓国のように何十万人がパブリックビューに集まるというほどでもない。マスコミの盛り上がりは商売だが、日本人は盛り上がっているのだろうか。日本オランダ戦の最中、私は電車に乗っていたが、サッカーの話はどこからも聞こえてこなかったし、あまり感心なさそうという感じだった。まあ、盛り上がってるところでは盛り上がってるのだろうが。
梅雨になりじっと動かぬものの如
発表者は、いずれもパソコンで映像を流すという。ところが、発表直前になって、パソコンから映像がプロジェクターに流れない。接続は間違っていないのだが、何が原因かわからない。あれこれいじっているうちに映像が映し出されて何とか解決。これでまず最初の発表時間が20分遅れた。
ところが、次のMさんの発表のときに、Mさんが写真をプロジェクター画面に映したいと言う。聞いていたが、会場の教室には書画を映し出す措置がなかった。あると思いこんいでいたのが間違いだった。それで、急遽、二つ隣りの教室に会場を変更。授業のないときなので助かった。その発表もまた10分ほど遅れた。そのつぎの発表もパソコンで映像を流すのだが、これもどうしても映像データがプロジェクターに流れない。原因がわからず、とりあえず、発表を続けてもらい、そのうしろで機器をいじってみた。学校の機器の係を呼んでみたがわからないという。それでコードが原因かもしれないとコードを代えた。そうしていじっていたら、突然映像が流れた。発表が終わる前で、何とか間に合った。いまだになんで映像が流れなかったのか原因がわからない。それにしても、冷や汗ものの大会であった。
K氏の発表はプイ族の歌の掛け合いで、一人の歌が時には30分近くにもなるという掛け合いである。さすがにフリーリズムに近く、音数律も決まっていない。つまり、全体として決まった定型があるわけではない。時間は短くも長くもなる。歌うべき内容はだいたいは決まっていて、部分、部分は適宜言葉を換えていく。その意味で、即興なのだが、即興でないとも言える。私が調査している白族の歌は、ひとりの歌の一回の長さは一分くらいである。それと比べると、いかに長いかがわかる。
K氏は文化人類学を専門としているので、掛け合いを、コミュニケーションの方法の問題として研究している。例えば、言語学等で会話においてどのように相手に言葉を返していっているか、そこにある法則を見つける、といった研究があるが、そのような方法で歌の掛け合いをとらえる、ということであるらしい。それなら、私もやっているよ、と思ったが、そうか文化人類学的なことを私はやっていたのだと、思った次第である。
家に帰ったのが11時、日本オランダ戦が終わっていた。日本は1-0で負けたが、がんばったほうなのではないか。デンマークに勝てば何とか一次リーグ突破だろうがどうなるのだろう。カメルーン戦に予想外に勝利したために、日本人ほとんどが、希望を持ってしまった。でも韓国のように何十万人がパブリックビューに集まるというほどでもない。マスコミの盛り上がりは商売だが、日本人は盛り上がっているのだろうか。日本オランダ戦の最中、私は電車に乗っていたが、サッカーの話はどこからも聞こえてこなかったし、あまり感心なさそうという感じだった。まあ、盛り上がってるところでは盛り上がってるのだろうが。
梅雨になりじっと動かぬものの如
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