アニミズムと素粒子2008/10/11 00:17

 今年の物理学ノーベル賞を受賞した益川・小林両博士の発言はなかなか面白い。今日、K氏と勤め先の大学の近くの出版社に行き、アジア民族文化学会のシンポジウムの成果を本にしようと交渉してきたのだが、その席上でK氏は小林氏の発言が面白いと何度も強調していた。

 小林氏は、日本で物理学の特に素粒子理論が世界的に優れている理由について、日本は西欧と違って一神教ではないから、と述べている。それがすごいというのだ。つまり、根源の根源のような素粒子の存在をイメージするときに、一神教は、ある固定的な前提(真理)にとらわれてしまう。多神教であるアニミズムの日本ではそういう真理にとらわれないから自由に発想できる、ということだろう。

 確かに南部博士の対称性の破れなんていう発想は一神教からはなかなか出てこないアイデアかも知れない。われわれはアジアの歌文化や神話を研究しているとどうしてもアニミズムに回帰するところがある。というより、アジアの歌文化も神話もアニミズム文化なのである。そういうアニミズムへの親近感がノーベル賞の物理学者によって語られた、というのでK氏は感激したようだ。今度出す親書本の後書きにさっそくこのことを書いたと興奮気味にしゃべっていた。

 今度出そうと思っている本は、学会で今企画している「アジアの歌の音数律」なのだが、出す方向でまとまりつつあるが、いくつか越えなければならないハードルがある。最大のハードルは売れる本を作る、ということである。専門家向けの本は出さない。一冊1万円で2・300冊しか刷らないというような本になってしまうからだ。

 しかし、それほど一般受けする企画ではない。が、企画自体は今まで誰も試みたことがないテーマである。面白いはずだと思うのはそれを研究しているわれわれだけなのだが、しかし、一般に好奇心を掻き立てるやりようはいくらでもある。そういうプレゼンテーションの能力も今は必要なのだ。 

 それから、タイトルを何とかしてくれと言われた。「音数律」なんていうことばは学術的過ぎて誰も振り向かないというのである。確かにそうだ。私としては内容そのものをずばり表すタイトルだと思っているが、本として売るには、そういう発想は捨てなくてはならないのである。まさに、私が、一神教的な発想でなくアニミズム的なアイデアを出さなくてはならないということだ。

 果たして売れる本にすることか出来るか。論集だから、それぞれの執筆者に(私も執筆者だが)いかにも論文らしい書き方でなく、分かりやすい好奇心を満足させる文章を書いて欲しいと頼まなくてはならない。これが一番難しい。私はある程度こういう書き方は得意なのだが(そのかわり専門的な論文は苦手だが)、専門の研究者にはなかなか難しい注文である。

 それから値段の問題もある。高いと買ってくれない。値段を抑えるためには部数を増やすのと、本の頁数を増やさないことである。この本の売れない時代、ましてや文学関係の研究書がほとんど売れない時代に、さらに何枚でも原稿を書いてしまう研究者が書くのである。このハードルはかなり高い。が、これを越えなければ本は出ない。

 とにかくもう一度詳細に検討してまたご相談ということで今日は終わりにした。企画は通ったが、本にする為にはまだ詰めが必要だということである。

 明日は研究会なので、K氏と別れ帰宅。どうせ明日研究会の後飲み会になる。ところが明日は午前中、私の住むマンションの住人の親睦会があってバーベキューをやることになつている。実は、私どもはその親睦会係なので準備をしなければならない。それで研究会には間に合わなさそうだが、何とか途中で抜け出して行くしかない。奥さんはマンションの住人としょっちゅう会って親しいのだが、仕事で忙しい私はほとんど知らない。だから明日は、マンションの住人への私の顔見せでもある。どうなることやら。

ひとつ家に犬も家内も秋の暮れ

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