まだ夏休みではない…2009/08/01 23:41

 なかなか夏休みにならない。1日・2日はオープンキャンパス。私は先週の月曜からほとんど休みなしで明日まで出校である。

 夏休み明けに、勤め先の短大は第三者評価の実地調査というのを受ける。評価されるわけだが、評価される側の責任者(要するに調整役)は私なので、いろいろと忙しいのである。3日から実質的に夏休みなのだが、私の場合いろいろと仕事がある。校正原稿が二本ある。それをやっている暇がない。学会の方の、来年の企画やら、出版の企画やら、それも早急に片付けないと。

 金曜はわが学科の助手さんたちと前期の打ち上げ。私が学科長になってから、実にたくさんの仕事を作った。たぶん仕事量は倍になったのではないだろうか。文句も言わず実に良くやってくれる。感謝である。ということで前期の慰労会というところだ。

 オープンキャンパスではやはり相談に来る受験生の数が気にかかる。今年はわが学科の相談者の数が少なめである。そこが少し気になるところだ。

 今日はオープンキャンパスで、『「千と千尋の神隠し」の文化論』というテーマの模擬授業。40名以上はいる。まあまあである。隣は宝塚歌劇の演劇論でさすが受講者の数では負けた。

 もう何年もやっているが、みんな感動して帰って行く。知りあいが千と千尋の神話論を新書で出したが、私のこの映画に関する授業はけっこう面白いと自負がある。一応この模擬授業は営業なので、客を集める必要がある。この調子だと当分続けられそうだ。宮崎駿は本当に私の専門や関心領域に関わるアニメを何本も作っている。そのうち、ジブリ論で講座を作れそうである。授業を聞いた高校生が、こういうジブリのアニメの授業を毎回やっているんですかと尋ねてきた。みんな関心が強いんだなと実感した。

                       アニメ論団扇を止めて聞きにけり

わりと近くの世田谷ベース2009/08/03 23:32

ようやく夏休みというところだが、正確には夏休みではなく、一応勤務はしているのだが、業務が免除されているだけということらしい。だから、なにかあれば学校へ出なければならない。旅行も届けなければならないということだ。こういうのは知らない方がいいのだが、立場上知ってしまうと、夏休みという子供の頃からの解放感が薄れてしまう。

 先日奥さんとBSの番組で「世田谷ベース」を観ていた。所ジョージの家のガレージで所ジョージとタレントの清水圭とがただ趣味の話で盛り上がるというだけのゆるい番組なのだが、ふと観てしまう。風景のようにテレビをつけておくときには悪くはない番組である。

 世田谷というから世田谷のどっかに所ジョージの家はあるんだろうぐらいに考えて、別にこの番組の映像に出てくる風景をあんまり気にしていなかったのだが、この間たまたま二人が車にのって家の外に出で行く場面があって、近所の風景が映し出された。それを観ていて、おもわず、あれっ、あそこのクリーニング屋じゃん、と見覚えのある店とか家が映し出されたので驚いた。成城学園前駅から我が家への道の途中の風景だったのである。

 そこで、奥さんと、いったい何処に所ジョージの家はあるんだろうといろいろと地図を見ながら調べ始めた。インターネットで調べると、ちゃんと世田谷ベースの所ジョージの家の航空写真が出ている。グーグルで調べたものだ。最近はプライバシーなんてものはない時代だということがよくわかる。その地図を観て、だいたいわかった。そういえば扉の向こうに大きなガレージのようなもの見えていて、どっかの会社なのかなとかおもったりしていたが、あそこがそうだったのだ。

 別にとりたてて驚くこともない話なのだが、所ジョージが近くに住んでいるということがわかったという話である。ちなみにもっと近くにダウンタウンの浜ちゃんも住んでいる。まあ有名人が多いところだ、というだけの話題である。

 『シャーマニズムの文化学』を増刷りするので、訂正や加筆があれば知らせて欲しいと言われていたので、今日、その原稿を送る。最初いろいろと直さなければと思っていたが、結局、最小限の訂正ですんだ。この本今度で第4刷りである。この手の本にしてはよく売れている。私も授業でテキストに使っている。自分の書いたところを読み直したが、研究論文とは違うので、それなりに自由に面白く書いている。そういう書き方がよかったのかも知れない。

 5月に書いた、『先祖の話を読む』の原稿の初稿校正も今日送る。これは柳田国男研究会年報に掲載予定の原稿。寄稿である。靖国神社がらみの話なので、なかなか書きにくいところもあったが、これもまあまあうまく書けたとは思う。が、もっと詳しく書かなければならないところがいくつか見つかる。後から読むといつもそうだが、まあ仕方がない。

 昨日のオープンキャンパスは、数は少なかったが、とりあえず退屈をしない程度に相談者があった。8月の1日・2日はほとんどの大学でオープンキャンパスをやっている。今少子化で何処の大学でも受験生集めに必死だ。昨日のNHKニュースで、埼玉のある大学のオープンキャンパスを特集していた。そこでは教員が志願書の書き方を指導していた。また文芸評論家が小論文の書き方の講義をしていた。あれ、あいつだ、とこの評論家も知りあい。まあ何処の大学も必死なのだということがよくわかった。来年わが学科はどうなることやら。

                       風鈴の音のせぬ如過ごしけり

虫のいない夏2009/08/07 23:39


 今週は山小屋で仕事。休みという気分ではない。仕事をいろいろと抱えている。天気が悪いので、おかげで仕事だけははかどる。それにしても、今年の夏はおかしい。七月の雨が多いせいで、農作物に被害が出ている。こちらでも、日照時間が短いのと気温が上がらないのと長雨で土地の野菜類はかなり打撃を被っている。

 実はもう夏だというのに、夜、虫がいない。いつもなら蛾などの虫が網戸にびっしりとたかるのにほとんど見かけない。これも異変だろう。

 三日前から奥さんの妹とその娘と犬(名前はコタ)が来ている。この犬はあまり利口ではなく、飼い主に甘えようとしてうるさいのだが、ただ、すぐにあきらめるので、普段はおとなしくしている。チビは図体のでかいコタに圧倒されて余計におとなしい。ぎゃんぎゃんわめいてすぐおとなしくなるコタは、まったくだめな犬だけどそれなりに可愛い。

 チビは、隅のほうで歯ブラシで遊んでいる。チビのいいところは一人遊びができることだ。

 今日一日ノリピーの話題一色だった。昨日は、親子の失踪、今朝は、子供は保護、昼からノリピーに逮捕状、今夜は、どうもノリピーが主犯らしいという報道。いやはやこれほど情報がめまぐるしく変わるのも珍しいが、しょうがない夫と結婚した気の毒なアイドルという構図が一変したのは確かだ。この劇はいったいどういう結末を迎えるのだろうか。

                        虫のいない夏不機嫌な樹々たち

のりピーと異常気象と薬2009/08/10 00:23

 相変わらず雨の多い夏である。からりと晴れることがない。午前中晴れても午後や夕方には必ず雨が降る。湿り気の多い空気なので冷えるとたちまち雨になる。こういう天気はアジアの亜熱帯では雨期というが、日本もどうやら梅雨ではなく雨期と呼ぶべきなのかもしれない。梅雨と雨期では雨の降り方が違う。雨期の雨はどっと降ってすぐ止み、また降る。水をたっぷり含んだ積乱雲が次から次へとやってきて、その度に大量の雨を落とし、合間に青空をのぞかせる。

 日本の自然もこのような雨期の雨はあまり体験していないので、軋みを起こしている。それがあちこちで起こっている土砂崩れだ。

 大量に降った雨は、川に流れ込み、いつもは穏やかな川は大激流となって逆巻き、都市を水浸しにして海に流れ込む。台風の時の光景でなく、今これが日常的に起こりつつある季節の風物誌なのである。日本の季語が描いてきた自然は確実に変貌し、伝統的な季語の世界とは違う風景となってしまった、というところか。

 酒井法子の逮捕は、劇として一番妥当な展開だったというところか。それにしても、かなりのリスクを覚悟して、何故覚せい剤に手を染めたのか。むろん、理由は簡単で、それだけ、生きていることがストレスだったからだろう。麻薬などの薬は、日常を非日常の晴れの世界に変えてくれる、きわめて効果的な道具である。日常に疲れたとき、非日常に簡単に連れて行ってくれる薬は、現代人にとってきわめて魅力的な道具である。

 麻薬はもともとシャーマンが憑依するための道具だった。つまり、神と一体化するという祭祀にとって必要な道具だった。その道具が、今は、シャーマンではなく、この世のストレスに耐えきれぬ人々にとっての貴重な道具になっている、ということである。

 酒もまた同じである。柳田国男は「酒の飲みやうの変遷」という文章で、本来、日本の村では酒は祭りの時に神と一体化するために参加者が飲むものだった。だから、皆意識を失うほどに飲んだ。ところが、村から都会に出てきて人たちが、孤独を味わったりストレスを感じたりして、その疲弊した精神を癒すために酒を飲み始めた、と述べている。

 酒も、麻薬も、タバコも、本来は神と一体化するためのつまり非日常の世界に行くための道具だったのであるが、今は、疲れた心を癒すための道具になっている。そう考えれば、そのような物は、もっとたくさんある。これだけ需要が多ければ、たくさん新しい道具が開発される。

 が、そのような物は、本質的に死への誘惑を持っている。非日常の行き着く先は死である。それらの物による癒しは、死という自己破壊と紙一重である。だから、社会は、それらの物の氾濫を取り締まり、ある線を越えた物に対しては非合法とするのである。

 が、死への衝動こそ、実は最大の癒しである、という逆説を人間は抱えている。この逆説にはまってしまうと、どんなにリスクがあろうと、非合法の薬の方に人は惹かれる。非合法であることそのものが意味を持ってしまうからである。

 芸能人は、非日常を常に作り出さなければならないしんどい職業である。その意味で、非日常に引き込む麻薬系の薬にもっとも惹かれる職業であり、同時に、死への衝動に近づくリスクも抱えていよう。

 そう言えば尾崎豊も薬を使うことによる死の衝動にとらわれてしまった一人であった。薬を乱用した尾崎豊を皆悪く言わないのは、そうせざるを得ないつらさやそれによって作り上げた歌のすごさを理解したからであろう。酒井法子がみなから同情されるためには、そこまで行かざるを得なかった自分の内面をどこまでさらせるかにかかっているのかもしれない。

       空も山も川も死にいそぐ夏

老いに抗う2009/08/11 00:40

 今話題の酒井法子の物語で思い出した村上春樹の短編がある。短編集『回転木馬のデッドヒート』の中の「プールサイド」という短編で、中年にさしかかったある人もうらやむようなエリートが、突然、自分という存在の何者でも無いことに気づき愕然として涙が止まらなくなるという話である。

 そのきっかけが、老いの自覚であった。見た目を完璧にコントロールしてきた自分にとってあらがえない宿命をそのとき感じ、そこから自意識の歯車が狂っていくのである。

 何故この話を思い出したかというと、酒井法子にとっての恐怖とは、老いだったのではないかと思ったからである。38歳で、学校に通う子供がいる。ノリピー語を話す元アイドルの自分を失いつつある年齢である。今テレビのワイドショーで、酒井法子の裏側が暴かれているが、結局、すべて老いへの拒否というメッセージである。

 つまり、母親として四十代になろうとするそのような老けていく宿命を止めようとして、サーフィンや、ディスコや、そして薬にとすがっていったのではないか。夫が最悪だったが、夫もまた老けていくことを拒否しようとする人種の一人であったようだ。この種の人種が芸能界に多いのは、晴れの非日常を最も華やかに象徴するのがアイドルと呼ばれるものの若さであって、芸能界はその若さを最大の商品価値として成り立つ業界だからだ。

 報道によれば、この夫婦は二人で覚せい剤を使用したという。それを聞くと、中年になりかかっている夫婦が老いを止めようと必死に抵抗している涙ぐましい光景が浮かんでくる。

 歳をとることはある面で成熟することであり、それは、宿命とでもいうべきあらがえない様々なことを受け入れていくことである。そうやって、人は歳相応の生き方を身につけていくものなのだ。それは多くのものを失うことだが、同時に多くのものを得ることでもある。失うことはかなり自覚的なので嫌なものだ。それに対して、得るものはなかなか目に見えて実感できるものでもない。歳をとらないことに価値を見出す生き方の人たちにとっては、歳をとることは精神をとても不安定にしていくことなのだ。

 まして、若さを商品としてきたアイドルにとって、歳をとることは致命的であり、自らの商品価値の転換を強いられる。酒井法子はそこをうまくやってきたと思ったのだが、そうではなかったようだ。

 元気な中年や元気な老人であろうというあらがい方とは違う、アイドルの時に時計を巻き戻そうとする抗い方がそこにはあったようだ。それはかなり不健康である。

 私などは頼むからあまりぼけないでくれ、と日々祈りつつ自分の老いにあらがっている。宿命などとっくに受け入れている。老けることで失ったものは多い。それに対して老けることで得たものについてはよくわからない。このままでは帳尻があわないので、私の場合はあらがっているのかもれしない。

                          夏帳尻の合わぬ生を嘆息

いろいろある8月2009/08/19 01:39


 このブログもしばらくぶりである。いつも通り忙しかったとが、さすがに今はさほどでもない。確かに、原稿を書いたり、資料作りの仕事はあるにはあるが、それより、山小屋での肉体労働のほうが忙しかった。

 山小屋の道路に大きな丸太が山ほど積んである。実は、薪にするためにいただいたものだが、それを薪小屋や、山小屋の軒下に運ぶ仕事である。そうしないと薪が雨で腐ってだめになってしまう。それに敷地内とはいえ、道路際に積んでおくというのも、あまりほめられたものではない。

 ということで、一抱えもある丸太を一個ずつ抱きかかえては道路から運んだ。山小屋は道路の下の傾斜地に建っているので、運ぶには階段を下りて行かなくてはならない。このあがりおりがけっこうきつい。それから、山小屋近くの傾斜地の山林に歩道の階段を作る。

 一週間この仕事を続けて何とかやり終えたが、体中の筋肉が痛くなった。やはり歳である。特に背中と腰が痛い。重い物を持ったせいである。

 それから、薪割り機が動かなくなった。知人の別荘に薪割り機を運んだところ、薪割機が動かない。とにかく一人では運べない、電動油圧式の重たい機械なのだが、動かない。たぶん油圧の油が抜けたのだろうと思うが、説明書がないので、原因の見当が付かない。ギブアップした。これがないと薪割が大変なのだが、困った。

 久しぶりに、一週間ほど頭脳労働や事務仕事以外に時間を使った。なかなか心地よかったのだが、身体は心地よくない。おまけに、薪を運んでいたら、薪をねぐらにしていた蟻が私の手首にかみつき、四カ所ほど腫れてしまった。それがかゆくてたまらない。

 16日、アジア民族文化学会の人たち3人来る。夕食を食べ仮眠して夜中の一時に車で出発。新野に出かける。新野の盆踊りを見るためである。この盆踊りはほんものである。三日間夕方から明け方まで踊る。踊りの会場である道路のやぐらには、新盆の家の提灯が飾られている。ゆったりとしたメロディの踊りで、楽器はつかわない。歌声だけで踊るのである。
 17日の早朝は、祖霊送り。精霊となった死者を送るのである。まず提灯を子供たちがそれぞれ持って行列をつくり、神送りの場所へと向かう。行列は踊りの会場を突っ切るのだが、踊り手たちは、行列の前で小さな輪になって踊り始め行列の行く手をふさぐ。霊たちが帰るのを邪魔しようとするのである。一つの輪が崩れて行列が進み始めると、また輪ができる。これが何度も繰り返される。この盆踊りの見せ所である。

 神送りの会場に着くと、提灯が山積みされ儀礼のあと燃やされる。それを見ていた子供が、ああおじいちゃんが燃やされたと言っていた。これで先祖は帰ったのである。人々は帰り始めるが、決して振り返ってはならないという。未練を残した霊が戻ってきてしまうからだという。

 新野から諏訪に戻る。諏訪下社の春宮、秋宮を見学したあと、諏訪市博物館へ。ここで来年の御柱シンポジウムの打ち合わせである。新たに会員二人と合流しだいたいの企画やスケジュールを決めた。一応公的な機関と一緒にやるのでけっこう大々的な催しになりそうだ。

 17日、S氏が山小屋に泊まり、翌18日S氏は、下諏訪に調査に行くという。私は、あずさで東京へ。午後歯医者に予約してある。梓の中で学校からメール。2年前まで短大で長年教えられていたU先生がお亡くなりになったという。朝日新聞に出ていたということで、みな大慌てである。とにかく、私はまず学校に直行することにした。わが学科から生花を送る手配をし、連絡出来る先生には連絡するように指示。私は19日から学会のセミナーで箱根に2泊の予定で行くことになっているが、19日は葬儀なので出なくてはならない。

 午後、歯医者へ。なんと3時から6時まで治療。普通こんなに長く治療する歯医者はいないよなあなどと思いながら治療を受けた。久しぶりに家に戻ったが、奥さんは山小屋にいるので私一人である。帰ればいろいろと仕事があって、大変である。が、しばらくブログを書けそうもないので、ここで書いておかなくては。

  死者達の未練なきよう盆踊り

トポス論で2泊3日2009/08/24 00:32

 19日から21日まで箱根で学会のセミナー。最近、この時期は中国での調査が多いので久しぶりの参加である。

 19日、葬式から戻り、支度して家を出る。成城学園前から急行で小田原に。今までは川越から箱根に行っていたのだが、小田急沿線に引っ越してきてさすがに箱根は近くなった。

 今回のセミナーのテーマは、「古代文学と場所(トポス)」である。いつもながら難しいテーマで、発表者は大変だろう。今回は発表はないので気楽に参加である。朝9時から夜10時30分まで発表を聞き、その後、部屋で飲み会になる。これが恒例で、だいたい若い者は朝方までしゃべっている。年寄りの部類になってきた私はそれでも二時までつきあった。これを二晩やる。体力がないと大変なセミナーである。若い時は、ほとんど寝なかった時もある。このセミナー、もう20年以上参加している。

 ただ、こういう交流もまたいろいろと楽しいし、学生や若手の研究者にとっては、年上の研究者からいろんな話を聞く良い機会でもある。こういう場でないと聞けない話もある。
あるいは、久しぶりに会う人もいるし、音沙汰の無かった人の消息を聞くこともある。

 実はこのセミナーで私より若いY君という万葉の研究者が最近亡くなったことを知り、ショックを受けた。知人の死の知らせが続く日である。というのは、U先生の葬式のあと、セミナーへ行こうとしたところ、友人から電話があって、昔の全共闘時代の活動家だった人が亡くなった、今日通夜だという。セミナーが無ければ私は通夜に出ていたろう。が、さすがに、葬式のためにセミナーに遅れると連絡したばかりで、また通夜だから今日は行けないというわけにもいかない。Y氏は優れた活動家でよく知っていたが、あまり面識はなかったし、私との接点はなかった。それで、連絡してくれた友人に、申し訳ないが通夜に行けないと連絡した。

 トポスとは場所のことだが、このセミナーで意味するのは、聖なる場所といった意味でのトポスである。それ自体かなり幅の広い概念である。トポスという言い方をするのは、私たちの思想あるいは幻想は、それらをあらかじめ構成している空間もしくは場所、といったものに実は規定されている、ということを意識することで、それらを超越したところに成立しているはずだと思い込んでいるわたしたちの思想や幻想をあらためて見直してみようというものだ。

 例えば、柳田国男は死者の霊は山に行って先祖となると考えた。これはある意味で山というトポスにあの世という世界を見出す思考である。が、山をトポスとここであえて名付けるのは、すでに仏教という普遍的な宗教が入ってきて、山はすでに霊の行くトポスではないという考えが一般的になっているからである。仏教以前のアニミズム的世界観では、ある限定された空間や場所があの世であり、それ以外のあの世はなかった。つまり、そこが世界のすべてであった。だから、あえてトポスと呼ぶ必要はないのである。

 私たちの観念がそういう場所や空間を超えて広がりを獲得したとき、逆に克服された空間や場所が、その広がりにあらがう「何ものか」として意味づけられたのである。その何ものかをらしく指示するためにあえてトポスというようなポストモダン的名称で呼んでいる、というわけだ。そしてもう一つ大事なことは、トポスを生きる人にとって、その何ものかを自らの普遍として生きざるを得ないと言うことである。とすれば、その人は、マイナーな人である。が、マイナーであるからこそ、そこから見えてくるものがある。

 以上のような理解は私の理解であって、セミナーに参加した人たちの理解ではない。たぶん、それぞれにいろんなトポス論を抱えていたのだろうと思う。発表のなかで、柱に関する資料がでてきたのでそれにとても興味を持った。何しろ、御柱で来年企画を立てているところである。これは使えそうだなと思った。思いがけずいろんな知識を与えられるのもいいところである。

 セミナーから帰り、次の日に山小屋へ。今度は、遠野物語関係の資料を抱えて、九月の遠野物語研究会での発表の準備である。まだ構想ができていない。いつもながら、引き受けるんじゃなかったと後悔の日々である。

                        めざめれば命短し蝉の国

夏の終わり2009/08/30 00:31


 今日明日とオープンキャンパス。昨日の午前中に山小屋から帰ってきて、午後歯医者へ。そして今日から出勤である。歯医者でまた三時間ちかく治療。差し歯を作るというのでその型をとるので時間がかかるらしい。疲れてしまった。学校に行けば、仕事が溜まっている。特に第三者評価が近いので、その準備の仕事がいろいろとある。

 今日は相談員で朝から受験生の相談にのっていた。この時期はあまり来ないのだが、それでも何人かは相談に来た。一番多いのが日本語・日本文学コース希望の受験生でこれは意外であった。今文学系のコースはマイナーな志向になつていてだんだんと志願者の数が減っている。人数は少ないとは言え、受けたいと言ってくれる受験生と会えたことはうれしいことである。

 歌人福島泰樹が主幹となっている文芸誌『月光』が刊行となった。なんと出版社は勉誠出版である。今度は立松和平、黒古一夫を新たな編集者に加えて装いを新たに出発である。それにしても勉誠出版は偉い。文芸誌が撤退していくこのご時世によく出版を引き受けたものである。この文芸詩『月光』に私も評論を書いている。「身もだえする抒情」という評論である。

 ちなみに立松和平は私と同じ郷里で中学校が一緒であった。私が一年のとき彼は三年生であった。一年間だけ重なっている。一度飲み会であってそのようなことを話した。私も立松のように栃木弁の訛りがあるが、立松ほどではないと思っている。まあ自分でそう思っているだけかも知れないが。

 明日は選挙、そして、私の夏の終わりでもある。原稿もたまっている。発表のための資料作りもまだだ。何よりも、校務が溜まっている。つもの忙しい日常が始まるわけだ。

                         夏の終わり少年は老いてゆく