五月病発生す2007/05/09 00:00

 昨日今日と暑いくらいだ。初夏という感じだ。連休を終えて家に戻ったら、小さな庭にあるツツジは花が落ちて葉が茂り、夏椿の葉も勢いを増し、ロウ梅の樹はお化けのように枝を伸ばしていた。生命の勢いに気圧されるというのはこういう光景なのかも知れない。

 信州ではまだ枯れ木が多かった。標高が低くなるにつれて、芽吹く樹が多くなる。そういえば、こういう光景は中国の雲南省にはなかった。一年住んだわけではないしあちこち行ったわけではないが、照葉樹林とか常春と言われている国だけあって、やはり四季は無いことは確かだ。

 季節の移り変わりとは、美の問題ではなく、本来は生命力の交替といったことではなかったか。美の問題になったのは明らかに漢詩の影響だろう。特に春の生命力は、夏の繁る勢いではなく、萌えいづるというものだから、こっちのほうが精神的には安定するように思うが、逆らしい。この時期は人間を精神的に不安定にするらしい。

 夏には暑さで草が「萎える」という言い方が万葉にある。勢いの反対の語もあるのである。が春の「萌える」に反対の語はないだろう。春に昂揚する奴はいても萎える奴はいない。五月病は春の病ではないが、春の昂揚した精神的な不安定さの反動で、昂揚した自分の落ち着き先を見いだせず、やる気を失っていく病だ。

 考えてみれば夏に昂揚する奴はいない。そういうのは暑苦しい。秋は昂揚というのとは違う。身体が快適に動くだけだ。冬に昂揚する奴は異常だとしか言えない。ということは、春は精神の昂揚の季節で、その結果反動が来て、五月病になると言うわけだ。

 一人の学生が休学届けを出しに来た。面談をした教員が理由を尋ねたところ、すべてにやる気が起きないとの答えだった。そんな理由で休学した学生は今までいなかったが、これは五月病だろう。ついに、五月病が私の学科に発生した。

    女らは薄物を手に立夏なり

    葉脈を透かして見せる新樹かな