明日は何が起きるか2007/05/16 01:20

 麻疹が流行っている。私の大学でも何人か罹った学生が出たが、今のところ校外での感染らしく様子を見守っている。上智大学では10人の罹患者がでたので全学休講になったそうだ。個人的には疲れているので休講にしてほしい気がするが、まあそういうわけにもいかないだろう。早く鎮まるのを待つしかないようだ。

 今日は会議日で、朝から夕方まで続いた。帰るとチビが玄関まで飛び出してきた。珍しい。いつもクールで私が帰ってもちらと顔をあげるだけで、それで終わりだ。何とも無愛想なのだが、今日は様子が違った。そろそろ変化し始めたのかなとは思うが、たんなる気まぐれだったのかも知れない。

 世の中変な事件ばかりだ。昨日は、毎日新聞社のビルとうちの大学の間の水路から人間の足が出てきて大騒ぎになった。今日は高校生が母親を殺して頭部をバックに詰めて警察に自首する。明日は何が起きるのだろう。

 今日の朝日新聞の「人脈」欄に奈良の万葉文化館が載っていて、中西進や上野誠のことが出ていた。上野君の万葉恋歌の超訳も載っていて、いい宣伝になったのではないか。超訳は授業でも使わせていただいた。なかなか面白く学生の反応もよかった。

 実は、26日に奈良の万葉文化館で会議がある。万葉の研究のための会議だが、研究テーマを考えて持っていかなければならない。頭が痛い。ここのところ、雑務と授業だけで過ごしていたのに、そうは行かなくなってきた。そういえば27日は東京で短歌の講演をしなくちゃいけない。万葉集の心物対応構造についてしゃべろうと思っているが、これも準備をしなきゃ。

ハナミズキ咲く明解に論理的に

自閉と首狩り2007/05/16 23:56

 福島で母親の首を切り落とした少年が手も切り落としていたことをメディアが伝えている。この少年は明らかに病であって、ある瞬間われわれとは違う領域を生きてしまったことは確かだ。従って、これは、メディアのレベルで因果や科学的原因を究明したところでわかるはずはない。そんなに生やさしい心ではないはずだ。

 だとすれば、メディアはただ事実を伝えるしかないだろう。センセーショナルに心の闇と書き立て、あたかもわれわれやあるいは社会の一つの喩であるごとく持っていくのは、こういう事件が起きたときの一つのストーリーではあるが、今回ばかりはちょっと違うという気がする。この事件はわれわれの心の中の闇とそのまま重ねることは無理がある。とりあえず今はこれは心の事故のようなものだと思った方がいい。もしそのメカニズムを知らなければならないのなら、専門家が時間をかけてじっくりとやるしかないだろう。

 先週のアジア民族文化学会の大会発表で、山田氏は台湾の首狩り儀礼の話をした。首狩りという習俗は明らかに文化の一つである。が、その文化はあまりに暴力性が際だつ。だからこそ、その文化は社会に負荷を与えてしまう。その負荷を社会が許容するのは、その負担を補ってあまりある意義を首狩りが持つからだが、そのような意義は歴史によって変わり得る。

 いずれにしろ、首狩りが異文化や他民族に波及するとそれは文化ではなくなりただの戦争になる。それが文化であるのは、閉じられた世界である必要がある。閉じられているから、それは戦争にならずに共同幻想によって社会にとって必要不可欠な意義を与えられるからだ。

 その論理で行けば、徹底して自閉的であることが、身体への暴力に宗教的とも言える意味を与えるのであって、その逆はない。少年が母の首を切ったのは、母が他人でなかったからだ。他人だったら戦争になる。戦争は他者に開かれていく交流であり、自閉的では戦争は出来ないのである。少年の心の中は何もわからないが、首を切るという暴力性を、文化人類学的知見で解釈すればその程度のことは言える。むろん、これでこの事件がわかるなんてことは一切あり得ないが。

      根切り虫よ少年のこころ断ち切れ