オカンは強し2007/05/30 00:25

 今日は朝から会議。午後は雑務で一日が過ぎる。推薦指定校の見直しをしたり、麻疹にかかったらしいという報告が来たりと、けっこうめまぐるしい一日だった。麻疹は予断を許さない。二人出ただけで全学休講にした大学のことが今日の夕方のニュースで報じられた。

 中村生雄・三浦佑之・赤坂憲雄編『狩猟と供犠の文化史』(森話社刊)が届く。私もこの本に論文を書いている。佤族の首狩り儀礼のことである。中村さんが中心にやっている供犠論に参加させていただいて、論を書かせてもらったということである。なかなかユニークな研究会で、とにかく、動物の供犠の儀礼などがあればそれを実際に見に行くという果敢な研究精神に溢れた研究会である。

 昨年の三月にわたしはこの会のメンバーと一緒に雲南の彝族の動物供犠を見に行った。豚を殺して神に捧げる儀礼だが、その様子を最初から最後までビデオに収めた。日本人はこういう光景に慣れていないから初めての人は大変だろう。私も最初は違和感があったが、慣れてしまった。とにかく、中国の村に入ると、客を迎えるために必ず羊や牛が屠られる。祭りの取材に行けば必ずそういう場面に出くわす。田舎のホテルに泊まっていると、朝早く豚の叫び声で目を覚ます。動物の死とそれを喰う光景は、日常なのである。

 というわけで、この本は、なかなかユニークで面白い本です。

 今日は、リリーフランキー『東京タワー オカンと、ボクと、時々オトン』を読んだ。川越から学校までの通勤時間の往復でかなり本が読める。寝なければだが。ここんとこ寝ないで読んでいる。400ページもある長編だが、通勤時間で大半を読んだ。

 第三回本屋大賞受賞というふれこみのベストセラーの本である。映画化もされるという。内容は、河本準一『一人二役』を、自伝風小説にした感じ。要するに、オカンである母と、息子との、愛の物語である。共通項は、父親がだらしなく、母親が女手一つで息子を必死に育てるが、息子は、あぶなっかしい青春を送り、やがて、社会で一人前になって母親の存在の大きさに気付いていくというもの。題材は基本的に古典的である。

 二冊とも確かにユニークなオカンが描かれているが、そのユニークさというのは、関西系オバンの周囲の目を気にしない生活力のユニークさと似ている。こういう生活力あるオカンものが今読まれるのは、私たちがそれを無くしてしまったと思うからであり、そして、今の社会で一番頼りになると思われているからだ。

 誰もがこんな母親を持っていた団塊の世代が懐かしむ、というのならわかるが、本屋大賞になるというのは若い人も読むのだろう。そこにはノスタルジーとは言い切れない、こういうオカンが身内にいないことへの失望感があるのではないか。

 『東京タワー』の主人公は、やや意図的に自分の自堕落な面だけが強調して描かれている。親不孝でなければこういう小説は成立しないからだろう。一応成功した生き方をしているのに、自分の努力や才能についてはいっさい触れない。すべては母親のおかげである、という書き方でなくてはならないのだ。そこがステレオタイプに見える。

 やはり男の描く母親ものは甘いのかなという気がする。大平光代『だからあなたも生きぬいて』なんて、娘は母に徹底して暴力を振るっていた。娘のほうが親からの自立は辛い。息子の方は、自立とは世間との戦いで傷つけば母親のところへ戻ればいい。女性は親と世間と両方と戦わなければならない。そこが辛いところだ。

 さて推薦図書としてどうか。とても長い小説だ。長いというのは悪くはない。活字をたくさん読ませるのは、大事なことだからだ。賞もとっているし、映画にもなるし、学生が読んでみたいと思う本ではあるだろう。

         そう言えば同じ五月をみな生きる