短歌評論集刊行2015/01/31 00:23


久しぶりのブログである。

 私の短歌評論集『短歌の可能性』がながらみ書房から刊行。短歌の評論集としては三冊目になる。今回のは、私の専門である古代文学や中国少数民族の歌垣論なども使いながら、短歌という定型詩の可能性についての内容が多い。歌誌『月光』に連載していたものをまとめたものだが、歌集評というよりは、理屈っぽい論が多いのが特徴。

 私の母は87になるが、読書好きである。宇都宮の実家で弟と二人暮らし。弟は私より二歳下。パーキンソン病で今要介護3の状態にある。母が面倒をみている。私も心配で定期的に訪れているのだが、先週帰って、出来たばかりの本を置いていった。今日、母から電話が来て、本を最後まで読んだが難しくてよくわかんなかったと言ってきた。よく最後まで読んだものだと感心したが、短歌にあまり関心がない人が読んでも面白くはないだろうと思う。

 当然ながら、歌人に読んでもらいたいと思って出した本だ。一つのテーマにこだわって全体を論じた文章ではないから、論理的に全体が繋がっているわけではない。が、その時々の時代状況や、私の研究テーマなども織り込んであって、それなりに、短歌についてのあるテーマが浮かび上がるようにはなっているのだが、読者がそのように読むことができたかどうかは、これから、読後の声を聞くしかない。

 二年前に出した『神話と自然宗教』はほとんど反応がなかった。何人かの一般の人から読みやすく面白いと言ってはくれたが、研究者からの反応はあまりなかった。まあ、そんなものなのだろうと思う。中国雲南省の神話や祭祀を、フィールドワークの資料をもとにあれだけまとめて文章にたことは自分でもたいしたものだと思うが、何か、新しい文化人類学的方法論を提示したわけではないし、特に、文化論的に珍しい祭祀を発掘したわけでもない。日本との比較文化論もそんなに多くない。研究書というものでもない。むしろ、雲南の神話や祭祀のアニミズム的な世界観を、現代の状況と重ねながら、シンプルに論じただけである。その意味では、読み方の難しい本だったと思う。

 が、である。この本の中国語訳を中国で出版する計画が進行中である。順調にいけば来年には出る。結局、中国で出すべき本だったということかも知れない。中国の人たちがどのように読んでくれるのか、不安もあるが楽しみである。

 2月は、古事記の原稿依頼が来て大変そう。書けるかどうか不安。歌集評の原稿も抱え、そういえば大学の「百三十年史」の原稿も締め切りが過ぎた。ということで、相変わらすばたばたと過ごしている。チビと遊んでいるのが唯一の癒やしの時間である。写真は、知り合いが寒いだろうとチビに作ってくれた服を着ているところ。

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