姥捨て伝承2009/06/23 00:25

 土曜日は研究会で出校。白族の「山花碑」を読んでいくという研究会である。「山花碑」は漢詩であるが、白族語の歌を漢語で記述したものらしい。従って、万葉仮名と同じで、漢字の音を優先した字、訓のように白語の音で読む漢字、漢字の音だが白語の意味で解釈する仮借語とか、いろいろある。文字を持たない民族が漢字を用いて自分たちの歌を記録する試みの日本以外の例である。丁寧に読んでいけば、文字を持たない日本の歌文化が文字を獲得してどう変容したのか、何が変わらなかったのか、そういったことが見えてくるかもしれない。

 ただ、この研究会はほとんど若手が中心で、私は参加して勉強しているだけである。

 終わってから、飲み会があり、その後新宿から梓で茅野に向かう。奥さんが山小屋にいっているので私も山小屋に。知りあいが来ていて、土曜日に更科の姥捨伝承の地に行ってきたという。棚田と月見が有名なところである。昔は更埴市だつたが今は千曲市になったらしい。

 今日午前に山小屋から戻り午後出校。5限の授業は「文学とことばの卒業セミナー」で、「遠野物語」の発表。一人は、「デンデラ野」がテーマ。まさに姥捨伝承の話である。ただし、遠野物語の場合は、姥捨てというより、60歳を過ぎた老人たちが、デンデラ野で共同生活をして昼間は里の仕事を手伝ったするというもので、いわば老人ホームみたいなもの。ただ「60を過ぎると」と書いてあるので姥捨伝承の影響はあるようだ。

 現代の老人ホームだってホームによっては姥捨てみたいなものではないか、と話をする。

 姥捨て伝承は、もともとは中国の親孝行の話が日本に入ってきて広がったもの。60を過ぎた老人を殺せた命じたある国の王がいて、その命令に逆らって父親を隠した息子がいた。隣の国から難題を突きつけられ困った王は解けるものはいないかと国中にお触れを出す、匿われた老人はその難題を見事に解き、王も反省し、親孝行が国を救ったという話で終わる。ただ中国の話が日本に入ってくるとだいたい変化する。

 日本ではこれが「姥捨山」の話になる。親を捨てられない息子の情愛の話になったりする。ところで何故「姥」捨てなのか、よくわからない。老人には男だっている。わざわざ「姥」と呼ぶのは、そのイメージの中に「山姥」が紛れ込んでいるか。赤坂憲雄は姥捨て伝承の背後には、供犠があったのではと指摘しているのだが、まさに「姥」を生贄にしたということなのだろうか。

 深沢七郎の「楢山節考」や今村昌平の映画を知っているかと聞いたが、誰も知らなかった。まあこの人達の小説や映画を知らないのは仕方がないかなとは思う。

 授業で村上春樹の『東京奇譚集』の話をし、その一つの短編を読むように指示。『東京奇譚集』では「遠野物語」ではお馴染みの話が、村上春樹流にアレンジされて出で来る。その意味では、村上版遠野物語なのである。「品川猿」という作品がある。猿が名前を盗んでしまうという話だが、この猿は遠野物語に出てくる「猿の経立」なのではないかと、私は思っている。そんな風に比較する面白い。この授業、異界がテーマなので、村上春樹は必読なのである。

                           単衣着て村上春樹を一くさり

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