竹虫 ― 2008/09/23 01:08

今日から授業。卒業セミナーのゼミの開始時間を間違って10分遅れる。やはり最初なので頭が実践モードになっていない。次の5限の授業は、教養教育の企画型教養講座「雲南への旅」である。三人で担当。この3人は今年の夏一緒にワ族の調査に行ったメンバーである。
今日だけ3人揃って挨拶と自己紹介。夏の雲南の写真などを映して解説。食事に出た竹虫の写真のところで、実際に竹虫を捕っている映像を見せる。この映像はNHKの雲南の里山という番組で録画しておいたものだ。タイ族の料理にはよく出てくる。香ばしくておいしいのだが、見てくれがほとんど幼虫(ほんとに蛾の幼虫です)だから食べるのに勇気がいる。私も食べたが、一応味見をしただけでそんなに食指は動かなかった。
さすがに、この竹虫のところでそれまで大人しかった学生がざわついた。感想でも怖かったというのが多かった。虫を食べる文化は日本にだってある。今でも長野では、蜂の子やザザ虫を食べる。イナゴを食べる地域は多い。雲南省では蝉も食べる。昆虫は地域によっては貴重なタンパク源なのである。
5限が終わって、3人で食事をする。E君は奥さんが出張でいないので、いつものようにもう小学生になった女の子を連れて学校に来て居て(小学校を終えてからE君と来たという)、一緒に近くのロイヤルホストで食事をした。
E君の娘さんMちゃんは、時々連れてこられていて、E君の研究室で一人置かれているのだが、助手さんたちや他の教員の人気者である。好みが変わっていて、トカゲが好きだという。飼っているらしい。明日は休みだからナメクジ捕まえに行こうとE君にせがみ、E君は嫌な顔をする。なんでなめくじなの蝸牛の方がいいじゃない、と私。虫愛づる姫君といったところか。面白い子である。竹虫の話も興味深く聞いていた。
この複数の教員でやる企画型の教養講座も、本当はもっとたくさんなくてはいけないのだが、残念ながらなかなかやる教員がいない。だから、毎年私がやっているという次第である。
芋虫やお前を揚げて食いにけり
久しぶりにたくさんの受講者 ― 2008/09/25 00:38
今日の民俗学は受講者が130名いた。最近の私の授業では最も多い。さすがに、気持ちも高ぶる。こういう力の入れ方は久しぶりである。130人をとにかく圧倒する勢いでしゃべらないと、すぐにだれてざわざわしだす。人数が多いのは疲れるが教員の本能みたいなもので、こちらも元気になるが、当然落ち込むときもひどい。この半分くらいの人数がちょうどいいところだろう。
最近はパワーポイントを使って授業をするのだが、これだけ入ると教室の後ろの方では文字が見えないという苦情が来る。確かに字が小さすぎると反省。
次の「自己開発トレーニング」は学生に自己分析をいろいろな角度から試みさせ自分を知り、他者の心を知ることに結びつけようという演習。今日の授業は、まず、グルーブ分けして、質問項目を考えさせ、互いに組になった相手にその質問を答えさせて、相手がどういう人かを紹介するというもの。自己紹介ではなく、他己紹介というものである。ほとんど遊びになってしまった。血液型で性格分析をして遊ぶのと同じ雰囲気で、ちょっと自己開発トレーニングらしい雰囲気にはならなかったが、まあ最初である、こんなもんだろう。だんだんと心の紹介までいけば真剣になっていく。
この授業は、人の心を介したコミュニケーションの授業。自分や他者の心を分析することになる。そこで気をつけなければならないことは、絶対に人を傷つけないこと。心は繊細でとても傷つきやすい。それを相手に覗いてもらいながら、自分も覗く。とても傷つきやすい状況になる。だからこそ言葉や態度には注意しなければならない。それが出来なければ心理学を勉強する資格はない、とまあ釘をさしておいた。みんなしーんとなって聞いていた。
今週から授業が始まりさすがに疲れた。秋らしい爽やかな日で、夜には虫も鳴いていて悪く無い一日だったように思う。家に着いたのが八時。韓流時代劇、「朱蒙」にかろうじて間に合う。朱蒙はいよいよ王になるところまで来た。王位をめぐる身内の争いも兆し、行方不明の妻と子供の消息も来週あたりにはわかるらしい。妻も子も殺されたとみんな思っているので、かつての恋人ソソノと一緒になるということになるのだが、そこに死んだはずの妻と子が現れる、そういう筋立てが読める。苦悩する朱蒙、が、たぶんどっちかが身を引く、そこでいつもの歌が流れる、韓流得意のメロドラマの設定である。来週が楽しみだ。
口ずさむ邯鄲を聞きながらちょっと
最近はパワーポイントを使って授業をするのだが、これだけ入ると教室の後ろの方では文字が見えないという苦情が来る。確かに字が小さすぎると反省。
次の「自己開発トレーニング」は学生に自己分析をいろいろな角度から試みさせ自分を知り、他者の心を知ることに結びつけようという演習。今日の授業は、まず、グルーブ分けして、質問項目を考えさせ、互いに組になった相手にその質問を答えさせて、相手がどういう人かを紹介するというもの。自己紹介ではなく、他己紹介というものである。ほとんど遊びになってしまった。血液型で性格分析をして遊ぶのと同じ雰囲気で、ちょっと自己開発トレーニングらしい雰囲気にはならなかったが、まあ最初である、こんなもんだろう。だんだんと心の紹介までいけば真剣になっていく。
この授業は、人の心を介したコミュニケーションの授業。自分や他者の心を分析することになる。そこで気をつけなければならないことは、絶対に人を傷つけないこと。心は繊細でとても傷つきやすい。それを相手に覗いてもらいながら、自分も覗く。とても傷つきやすい状況になる。だからこそ言葉や態度には注意しなければならない。それが出来なければ心理学を勉強する資格はない、とまあ釘をさしておいた。みんなしーんとなって聞いていた。
今週から授業が始まりさすがに疲れた。秋らしい爽やかな日で、夜には虫も鳴いていて悪く無い一日だったように思う。家に着いたのが八時。韓流時代劇、「朱蒙」にかろうじて間に合う。朱蒙はいよいよ王になるところまで来た。王位をめぐる身内の争いも兆し、行方不明の妻と子供の消息も来週あたりにはわかるらしい。妻も子も殺されたとみんな思っているので、かつての恋人ソソノと一緒になるということになるのだが、そこに死んだはずの妻と子が現れる、そういう筋立てが読める。苦悩する朱蒙、が、たぶんどっちかが身を引く、そこでいつもの歌が流れる、韓流得意のメロドラマの設定である。来週が楽しみだ。
口ずさむ邯鄲を聞きながらちょっと
気分良く働くには… ― 2008/09/27 00:44
さて雑務の仕事がいよいよ大変になってきて、実は、紀要の論文を書くと約束していたのだけどそれどころではなくなった。仕事も頭が痛いことばかりで、つくづく気持ちよく働くということがいかに難しいか改めて感じる。
職場にはいろんな人がいる。いろんなという中には、人に迷惑を掛けるものも含む。人と人との集まりとはそういうもので、みんながいい人だなんていう集まりはまずない。私はこれでも、二十代からいろんな職場のいろんな人間関係の中で働いてきたから、世の中の事はたぶん教員しかやったことがない連中よりはよくわかっている。
気分良く働くこつは人を憎まないことである。こんなお釈迦様みたいなことができるのだろうか。一番腹が立つのは自分が人より真面目に働いているのに、自分の足を引っぱるように働かない奴だ。確かに頭に来るが、誰だって働きたくないし楽して給料をもらいたい。働かないのはそういう欲望に正直なだけで、腹が立つのはそういう欲望に嫉妬している面がたぶんにある。
腹を立てれば自分を惨めにするし、そいつに攻撃的になったり追い落とそうとすれば自分の品性を悪くする。何とも困ったものである。だとすれば無視するしかない。しょうがないな、というくらいの気持ちで付き合うのが一番楽である。私はずっとそうやってきた。人から見れば私だって働かない奴かも知れないが、私の態度のせいか人も私をしょうがないな、と思ってくれるところがあった。それが私をまた楽にした。
ところが管理職になるとそうもいかなくなる。迷惑な奴をほうっておくと職務怠慢ということになる。しょうがないなではすまされない。これも困ったものである。どうしたらいいか。まず憎まないこと。つまり感情的にならないということだ。相手のいい所を考え、それが今いかされていないと考えること。むろん、そんなの無理だよということは承知だが、これは心構えである。
そういう心構えでそういう奴と話をしていかないと、こういう場合必ずこじれる。双方に感情のしこりが残る。職場とは共同体である。共同体とは、多少能力が劣っても、いい加減でも、その存在を許容し得る一つの社会である。そういう許容度は、とても大切なものだ。だが、人員が減らされ成果が問われる今の多くの職場ではそういう許容度がどんどん無くなっている。悲しい事である。
職場の関係のなかで、人とそんなにわかり合えるとは思わないし、感情的なしこりがないとも言えない。が、必要以上にしこりを残さない方法はあるし、自分の品性を貶めない方法はある。それは誰もみんな自分のことで精一杯なんだと思うことである。そして、どんな仕事でも自分の品性をかけるほどの価値あるものではないんだと思うことである。
そのうえで、自分の仕事に夢中になれるなら、仕事に夢中になれないものを憎まなくてすむ。そういう心の持ち方ができるかどうか。やはり難しいのだろうか。私は管理職で、仕事をしないものや能力のないものを指導しなきゃならない立場だが、一方で彼等の立場をうらやましく思うところがある。たぶん私はそういう立場にならないようにいつも自分を追い立て、そうなったら大変だという強迫観念を育ててきたからだ。それをどこかで不自由に思う私の指導は、迫力がないし、効き目はないだろう。その意味でだめな管理職である。
が、それでもいい。人が動かなきゃ自分が動けばいい。私は人の分の仕事をすることがそんなに苦ではない。疲れはするが。むしろ、いつも他人に腹をたてながら仕事をする方が苦である。私が人よりいつも忙しく働くのはそのためもある。確かに疲れるが気分的には楽なのである。人生の大半を費やしてしまう職場で、気分良く過ごせなかったら、こんなつまらないことはないではないか。
水澄む日穏やかな人自由なり
職場にはいろんな人がいる。いろんなという中には、人に迷惑を掛けるものも含む。人と人との集まりとはそういうもので、みんながいい人だなんていう集まりはまずない。私はこれでも、二十代からいろんな職場のいろんな人間関係の中で働いてきたから、世の中の事はたぶん教員しかやったことがない連中よりはよくわかっている。
気分良く働くこつは人を憎まないことである。こんなお釈迦様みたいなことができるのだろうか。一番腹が立つのは自分が人より真面目に働いているのに、自分の足を引っぱるように働かない奴だ。確かに頭に来るが、誰だって働きたくないし楽して給料をもらいたい。働かないのはそういう欲望に正直なだけで、腹が立つのはそういう欲望に嫉妬している面がたぶんにある。
腹を立てれば自分を惨めにするし、そいつに攻撃的になったり追い落とそうとすれば自分の品性を悪くする。何とも困ったものである。だとすれば無視するしかない。しょうがないな、というくらいの気持ちで付き合うのが一番楽である。私はずっとそうやってきた。人から見れば私だって働かない奴かも知れないが、私の態度のせいか人も私をしょうがないな、と思ってくれるところがあった。それが私をまた楽にした。
ところが管理職になるとそうもいかなくなる。迷惑な奴をほうっておくと職務怠慢ということになる。しょうがないなではすまされない。これも困ったものである。どうしたらいいか。まず憎まないこと。つまり感情的にならないということだ。相手のいい所を考え、それが今いかされていないと考えること。むろん、そんなの無理だよということは承知だが、これは心構えである。
そういう心構えでそういう奴と話をしていかないと、こういう場合必ずこじれる。双方に感情のしこりが残る。職場とは共同体である。共同体とは、多少能力が劣っても、いい加減でも、その存在を許容し得る一つの社会である。そういう許容度は、とても大切なものだ。だが、人員が減らされ成果が問われる今の多くの職場ではそういう許容度がどんどん無くなっている。悲しい事である。
職場の関係のなかで、人とそんなにわかり合えるとは思わないし、感情的なしこりがないとも言えない。が、必要以上にしこりを残さない方法はあるし、自分の品性を貶めない方法はある。それは誰もみんな自分のことで精一杯なんだと思うことである。そして、どんな仕事でも自分の品性をかけるほどの価値あるものではないんだと思うことである。
そのうえで、自分の仕事に夢中になれるなら、仕事に夢中になれないものを憎まなくてすむ。そういう心の持ち方ができるかどうか。やはり難しいのだろうか。私は管理職で、仕事をしないものや能力のないものを指導しなきゃならない立場だが、一方で彼等の立場をうらやましく思うところがある。たぶん私はそういう立場にならないようにいつも自分を追い立て、そうなったら大変だという強迫観念を育ててきたからだ。それをどこかで不自由に思う私の指導は、迫力がないし、効き目はないだろう。その意味でだめな管理職である。
が、それでもいい。人が動かなきゃ自分が動けばいい。私は人の分の仕事をすることがそんなに苦ではない。疲れはするが。むしろ、いつも他人に腹をたてながら仕事をする方が苦である。私が人よりいつも忙しく働くのはそのためもある。確かに疲れるが気分的には楽なのである。人生の大半を費やしてしまう職場で、気分良く過ごせなかったら、こんなつまらないことはないではないか。
水澄む日穏やかな人自由なり
泣き歌 ― 2008/09/28 23:51
昨日は、研究会でいつものように奈良橿原神宮の万葉文化館へ。少し早くついたので、K氏とわれわれが撮影した白族の歌垣のビデオがどのように使われているかを見学。万葉文化館の展示の中に映像が流れるコーナーがあり、「中国の歌垣」のボタンを押すと、私やK氏が撮影したビデオをもとに作った映像が流れるという仕組みになっている。編集した映像そのものはデモテープをもらっているので知っているが、どのように流されているか今回初めて確認した。
今回の研究会では、ロシアの、結婚式の泣き歌を研究している大学院生の発表があった。非常に興味深かった。前にこのブログでも書いたが、花嫁は結婚式はあの世に行くことと同じと考えるので、あの世に行く悲しみを歌う。葬式は泣き女が歌うがこの場合は、本人や家族が歌う。
とてもおもしろかったのは、ロシア式蒸し風呂(バーニャ)が重要な儀礼的場所になっているということだ。バーニャとはいわゆるサウナだが、ここに花嫁は籠もり、向こう側の世界へ行く身支度をする。字はこのバーニャは出産の場所でもあるという。花嫁はここで三つ編みのおさげを切り、子供の自分と別れを告げる。向こう側の世界へ行くための通過儀礼の空間なのである。大嘗祭の時の廻立殿を思わせる。
確か、蒸し風呂は北方ロシアのツングース族が神懸かりするために始めたという話を聞いたことがある。それが世界に広がったらしい。ちなみに、日本のように湯に首までつかる風呂は日本独特のもので、そんなに古いものではない。古代の日本の風呂は、熱気を用いる砂風呂のようなものだったという。
K氏は、日本の花嫁衣装は近代以前は白無垢だった。あれは、死に装束と同じで、基本的には花嫁は向こう側の世界に行くと考えられていたからだと解説。なるほどと納得。文化とはどこか共通するものなのだ。
今日は朝九時に京都を出て、新横浜で降り、昼に一旦家に戻り、それから、明大の和泉校舎に行く。中国の民話の会の月例会に出席。イ族の研究者であるS氏のイ族文字と彝族文化の発表である。彝族の祭りや宗教者であるビモへの取材を何度か行っている私としては見逃せない発表である。イ族文字が読める研究者だけあって、なかなか勉強になった。面白かったは、イ族のシャーマンであるスニのビデオ映像である。町の通りでスニが何人もしゃがみ込んで坐っていて、占いの客を待っている。一人のスニは鈴を振りながら身を激しく揺さぶってトランス状態になっていた。こんな街中で露店のようにスニが並んでいるなんてしかも人通りのなかでトランス状態になるなんて、私は正直驚いた。
帰り、アジア民族文化学会のS君とTさんたちと下北沢のイタメシ屋で軽い夕食。いろんな話をしたが、昨日の結婚式の泣き歌の話をすると、Tさんは雲南省の白族の結婚式で泣き歌をやっていて、それを記録にとってあると言う。えーっ、とこれにも驚いた。場所は橋后鎮という街で、私もいったことのある山深いところだ。2003年であるという。白族の取材のことは知っていたが、結婚式のしかも泣き歌の話は初めて聞いた。さっそく、そのビデオを見せてくれと頼んだ。結婚式の泣き歌は白族にもあった。こんな風にいろいろと発展していく。面白いものである。
夜帰宅。ところが9時過ぎにトイレの水が流れなくなった。何しろ、五月に越して来たばかりのマンションで、古いマンションだ。あり得ることだ。しかしこんな夜中にトイレが詰まるとは最悪である。あちこち電話して何とか業者を探して、来てもらう。直すのに、深夜までかかるという。いろいろある週末であった。
荷物置き冷やした梨をつかみたり
今回の研究会では、ロシアの、結婚式の泣き歌を研究している大学院生の発表があった。非常に興味深かった。前にこのブログでも書いたが、花嫁は結婚式はあの世に行くことと同じと考えるので、あの世に行く悲しみを歌う。葬式は泣き女が歌うがこの場合は、本人や家族が歌う。
とてもおもしろかったのは、ロシア式蒸し風呂(バーニャ)が重要な儀礼的場所になっているということだ。バーニャとはいわゆるサウナだが、ここに花嫁は籠もり、向こう側の世界へ行く身支度をする。字はこのバーニャは出産の場所でもあるという。花嫁はここで三つ編みのおさげを切り、子供の自分と別れを告げる。向こう側の世界へ行くための通過儀礼の空間なのである。大嘗祭の時の廻立殿を思わせる。
確か、蒸し風呂は北方ロシアのツングース族が神懸かりするために始めたという話を聞いたことがある。それが世界に広がったらしい。ちなみに、日本のように湯に首までつかる風呂は日本独特のもので、そんなに古いものではない。古代の日本の風呂は、熱気を用いる砂風呂のようなものだったという。
K氏は、日本の花嫁衣装は近代以前は白無垢だった。あれは、死に装束と同じで、基本的には花嫁は向こう側の世界に行くと考えられていたからだと解説。なるほどと納得。文化とはどこか共通するものなのだ。
今日は朝九時に京都を出て、新横浜で降り、昼に一旦家に戻り、それから、明大の和泉校舎に行く。中国の民話の会の月例会に出席。イ族の研究者であるS氏のイ族文字と彝族文化の発表である。彝族の祭りや宗教者であるビモへの取材を何度か行っている私としては見逃せない発表である。イ族文字が読める研究者だけあって、なかなか勉強になった。面白かったは、イ族のシャーマンであるスニのビデオ映像である。町の通りでスニが何人もしゃがみ込んで坐っていて、占いの客を待っている。一人のスニは鈴を振りながら身を激しく揺さぶってトランス状態になっていた。こんな街中で露店のようにスニが並んでいるなんてしかも人通りのなかでトランス状態になるなんて、私は正直驚いた。
帰り、アジア民族文化学会のS君とTさんたちと下北沢のイタメシ屋で軽い夕食。いろんな話をしたが、昨日の結婚式の泣き歌の話をすると、Tさんは雲南省の白族の結婚式で泣き歌をやっていて、それを記録にとってあると言う。えーっ、とこれにも驚いた。場所は橋后鎮という街で、私もいったことのある山深いところだ。2003年であるという。白族の取材のことは知っていたが、結婚式のしかも泣き歌の話は初めて聞いた。さっそく、そのビデオを見せてくれと頼んだ。結婚式の泣き歌は白族にもあった。こんな風にいろいろと発展していく。面白いものである。
夜帰宅。ところが9時過ぎにトイレの水が流れなくなった。何しろ、五月に越して来たばかりのマンションで、古いマンションだ。あり得ることだ。しかしこんな夜中にトイレが詰まるとは最悪である。あちこち電話して何とか業者を探して、来てもらう。直すのに、深夜までかかるという。いろいろある週末であった。
荷物置き冷やした梨をつかみたり
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