気分良く働くには…2008/09/27 00:44

 さて雑務の仕事がいよいよ大変になってきて、実は、紀要の論文を書くと約束していたのだけどそれどころではなくなった。仕事も頭が痛いことばかりで、つくづく気持ちよく働くということがいかに難しいか改めて感じる。

 職場にはいろんな人がいる。いろんなという中には、人に迷惑を掛けるものも含む。人と人との集まりとはそういうもので、みんながいい人だなんていう集まりはまずない。私はこれでも、二十代からいろんな職場のいろんな人間関係の中で働いてきたから、世の中の事はたぶん教員しかやったことがない連中よりはよくわかっている。

 気分良く働くこつは人を憎まないことである。こんなお釈迦様みたいなことができるのだろうか。一番腹が立つのは自分が人より真面目に働いているのに、自分の足を引っぱるように働かない奴だ。確かに頭に来るが、誰だって働きたくないし楽して給料をもらいたい。働かないのはそういう欲望に正直なだけで、腹が立つのはそういう欲望に嫉妬している面がたぶんにある。  

 腹を立てれば自分を惨めにするし、そいつに攻撃的になったり追い落とそうとすれば自分の品性を悪くする。何とも困ったものである。だとすれば無視するしかない。しょうがないな、というくらいの気持ちで付き合うのが一番楽である。私はずっとそうやってきた。人から見れば私だって働かない奴かも知れないが、私の態度のせいか人も私をしょうがないな、と思ってくれるところがあった。それが私をまた楽にした。

 ところが管理職になるとそうもいかなくなる。迷惑な奴をほうっておくと職務怠慢ということになる。しょうがないなではすまされない。これも困ったものである。どうしたらいいか。まず憎まないこと。つまり感情的にならないということだ。相手のいい所を考え、それが今いかされていないと考えること。むろん、そんなの無理だよということは承知だが、これは心構えである。

 そういう心構えでそういう奴と話をしていかないと、こういう場合必ずこじれる。双方に感情のしこりが残る。職場とは共同体である。共同体とは、多少能力が劣っても、いい加減でも、その存在を許容し得る一つの社会である。そういう許容度は、とても大切なものだ。だが、人員が減らされ成果が問われる今の多くの職場ではそういう許容度がどんどん無くなっている。悲しい事である。

 職場の関係のなかで、人とそんなにわかり合えるとは思わないし、感情的なしこりがないとも言えない。が、必要以上にしこりを残さない方法はあるし、自分の品性を貶めない方法はある。それは誰もみんな自分のことで精一杯なんだと思うことである。そして、どんな仕事でも自分の品性をかけるほどの価値あるものではないんだと思うことである。

 そのうえで、自分の仕事に夢中になれるなら、仕事に夢中になれないものを憎まなくてすむ。そういう心の持ち方ができるかどうか。やはり難しいのだろうか。私は管理職で、仕事をしないものや能力のないものを指導しなきゃならない立場だが、一方で彼等の立場をうらやましく思うところがある。たぶん私はそういう立場にならないようにいつも自分を追い立て、そうなったら大変だという強迫観念を育ててきたからだ。それをどこかで不自由に思う私の指導は、迫力がないし、効き目はないだろう。その意味でだめな管理職である。

 が、それでもいい。人が動かなきゃ自分が動けばいい。私は人の分の仕事をすることがそんなに苦ではない。疲れはするが。むしろ、いつも他人に腹をたてながら仕事をする方が苦である。私が人よりいつも忙しく働くのはそのためもある。確かに疲れるが気分的には楽なのである。人生の大半を費やしてしまう職場で、気分良く過ごせなかったら、こんなつまらないことはないではないか。

                         水澄む日穏やかな人自由なり

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