泣き歌2008/09/28 23:51

 昨日は、研究会でいつものように奈良橿原神宮の万葉文化館へ。少し早くついたので、K氏とわれわれが撮影した白族の歌垣のビデオがどのように使われているかを見学。万葉文化館の展示の中に映像が流れるコーナーがあり、「中国の歌垣」のボタンを押すと、私やK氏が撮影したビデオをもとに作った映像が流れるという仕組みになっている。編集した映像そのものはデモテープをもらっているので知っているが、どのように流されているか今回初めて確認した。

 今回の研究会では、ロシアの、結婚式の泣き歌を研究している大学院生の発表があった。非常に興味深かった。前にこのブログでも書いたが、花嫁は結婚式はあの世に行くことと同じと考えるので、あの世に行く悲しみを歌う。葬式は泣き女が歌うがこの場合は、本人や家族が歌う。

 とてもおもしろかったのは、ロシア式蒸し風呂(バーニャ)が重要な儀礼的場所になっているということだ。バーニャとはいわゆるサウナだが、ここに花嫁は籠もり、向こう側の世界へ行く身支度をする。字はこのバーニャは出産の場所でもあるという。花嫁はここで三つ編みのおさげを切り、子供の自分と別れを告げる。向こう側の世界へ行くための通過儀礼の空間なのである。大嘗祭の時の廻立殿を思わせる。

 確か、蒸し風呂は北方ロシアのツングース族が神懸かりするために始めたという話を聞いたことがある。それが世界に広がったらしい。ちなみに、日本のように湯に首までつかる風呂は日本独特のもので、そんなに古いものではない。古代の日本の風呂は、熱気を用いる砂風呂のようなものだったという。

 K氏は、日本の花嫁衣装は近代以前は白無垢だった。あれは、死に装束と同じで、基本的には花嫁は向こう側の世界に行くと考えられていたからだと解説。なるほどと納得。文化とはどこか共通するものなのだ。

 今日は朝九時に京都を出て、新横浜で降り、昼に一旦家に戻り、それから、明大の和泉校舎に行く。中国の民話の会の月例会に出席。イ族の研究者であるS氏のイ族文字と彝族文化の発表である。彝族の祭りや宗教者であるビモへの取材を何度か行っている私としては見逃せない発表である。イ族文字が読める研究者だけあって、なかなか勉強になった。面白かったは、イ族のシャーマンであるスニのビデオ映像である。町の通りでスニが何人もしゃがみ込んで坐っていて、占いの客を待っている。一人のスニは鈴を振りながら身を激しく揺さぶってトランス状態になっていた。こんな街中で露店のようにスニが並んでいるなんてしかも人通りのなかでトランス状態になるなんて、私は正直驚いた。

 帰り、アジア民族文化学会のS君とTさんたちと下北沢のイタメシ屋で軽い夕食。いろんな話をしたが、昨日の結婚式の泣き歌の話をすると、Tさんは雲南省の白族の結婚式で泣き歌をやっていて、それを記録にとってあると言う。えーっ、とこれにも驚いた。場所は橋后鎮という街で、私もいったことのある山深いところだ。2003年であるという。白族の取材のことは知っていたが、結婚式のしかも泣き歌の話は初めて聞いた。さっそく、そのビデオを見せてくれと頼んだ。結婚式の泣き歌は白族にもあった。こんな風にいろいろと発展していく。面白いものである。

 夜帰宅。ところが9時過ぎにトイレの水が流れなくなった。何しろ、五月に越して来たばかりのマンションで、古いマンションだ。あり得ることだ。しかしこんな夜中にトイレが詰まるとは最悪である。あちこち電話して何とか業者を探して、来てもらう。直すのに、深夜までかかるという。いろいろある週末であった。  

                        荷物置き冷やした梨をつかみたり