お土産で冷や汗2008/09/03 21:52

 今日は午後から会議。午前は近くの医者に行き風邪の薬といつものメタボ症候群対策の薬をもらう。会議は大学の自己評価にかかわる人材育成の基本方針を定めるもので、こういうのは、伝統としてはきちっとしたものはあっても、基本方針として明文化され、それが大学の教育に体系化されてなければならなく、しかも、公表されていなくてはならない、という文科省の通達を受けて開かれた会議である。

 身体はだるく、しかも右の目が充血している。会う人ごとにどうしたのだと聞かれる。風邪のせいかどうかわからないのだが、たぶん結膜炎だろう。ときどきなるのである。夕方成城の駅前の眼科医によって診断してもらったらやはり結膜炎で、目薬を処方してもらう。それにしても成城学園前には医者が多いと感心する。こういうときは便利である。今日は熱はないようだ。薬が効いているのだろう。

 中国のことを書きたいのだが、その余裕がまだない。一つエピソードを上げれば、私はお土産に東急ハンズで買ったデジタル時計付きの写真スタンドを持っていった。それを、取材地の県の書記長と、案内の人に渡したのだが、あとで同行の中国通の人から、中国人に時計と傘は贈り物にしてはならないと言われた。えーっ、それを早く言ってよ!とあせった。

 というのはどうも漢字の音に関係しているらしい。時計はヂョンと言う。この音が縁起が悪いらしいのだ。傘もそうだということだ。中国では字にまつわる禁忌はけっこうある。例えば、箸はヂュウだが、中国では現在は筷子(クワイツ)を箸と意味させている。何故箸の字を使わなくなったかというと、このジュウがとどまる・停滞するの住(ジュウ)と似ているからで、特に水運に関わる人たちが嫌ったらしい。それで、軽快なイメージの、竹冠に快速の快を用いるようになったというのだ。

 ちなみに、中華料理屋で、よく幸福の福の字が逆さになって飾ってあるが、あれは、福が到るというときの到(タオ)が逆さを意味する倒(タオ)と音が同じだからで、逆さにすれば福が到るという意味になると考えたわけだ。そこで縁起をかついで逆さに飾るのである。

 まあ今回は時計というよりは写真スタンドが主なのであまり不快にはさせないだろうということになったが、いままでも結構時計をおくっていたんだが、不愉快にさせていたかも知れないと、無知を反省。

 日本の伝統音楽のCDはとてもよかったと言われたが、どこまで社交辞令かは分からない。苦労したお土産だったのでその言葉を素直に受け取ることにした。

             雲南の梨の木陰で歌うひと