影響を受けた本…2008/09/05 23:19

 昨日から休養で山小屋に来ているのだが、体調が悪くほとんど寝てばかりいる。8月はかなり動き回ったので、さすがにからだは疲れているようだ。明日は学会の例会や別の学会の委員会もあって出る予定でいたが、とてもじゃないが行けそうにない。

 時々疲れがたまって風邪を引くが、こうやって強制的にからだをやすませないと、突然倒れたりするのだろう。風邪もある意味ではよい休憩なのである。

 秋に神保町で読書フェスティバルというのがひらかれ、私の学校でも協賛していて、イヴェントとして作家と大学の教員が読書をめぐってシンポジウムをする。実は、そのシンポジウムのパネラーに私が選ばれてしまった。私の対談相手は三浦しおんである。松江で一緒だった三浦さんの娘さんだが、こんな形でお目にかかることになるとは思わなかった。

 そのシンポジウムに向けて、人生の中で感動したり影響を受けた本を5、6冊選んで欲しいと言われている。今週中に連絡しないとまずいのだが、あれこれ考えてもなかなか思い浮かばない。あんまりマイナーな本や専門書すぎちゃまずいだろうし、と色々考えてしまうこともあるが、どうも、私は、本にそんなに影響を受けていないなではないか、と思ってもいる。

 読書は結構しているつもりだが、決定的にこの本に影響を受けたものというと、ないわけじゃないが、それを思い起こすのは難しい。

 ただ、何回か読んだ本とか、その本の中の文章とかをよく覚えているというのはないわけではない。何度も読んだのではドストエフスキーの『罪と罰』、それから吉本隆明『言語にとって美とは何か』、レヴィ・ストロース『悲しき南回帰線』などだ。ローレンツの『ソロモンの指輪』は好きな本で昔予備校で教えていたときに予備校生にさかんにすすめたことがある。それから、ショーペハウエルの『自殺について』も未だにその中の一節をよく使う。こういうように並べると、なんとなく芸がないよなと感じる。あんまり若い人にすすめる様な本じゃない。いずれにしろ、こういう企画にはふさわしくないということで、引き受けるんじゃなかったと反省している。

               秋めくや書棚の本の自己主張

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