明治のイコン画家2007/01/17 01:15

 明治初期にロシアにわたってイコン画や西洋絵画を勉強し、日本に帰ってイコン画家となった山下りんという女性の特集をハイビジョンでやっていて、思わず見てしまった。彼女のイコン画がエルミタージュ美術館に一点残されていて、その絵からこのイコン画家の物語が始まった。

 貧しい武士の娘が絵で身を立てようと上京する(16歳)。最初は浮世絵のような日本画を描くが、やがて日本で最初に出来た絵画学校に入り西洋画を学ぶ。そこでは女性の第一期生となる。教師と会わずにそこを辞め、入信したロシア正教の牧師ニコライのすすめでロシアの修道院にイコン画の修行に行く(23歳)。だが、伝統的なイコン画に失望し、エルミタージュ美術館の絵画に感動し、その模写ばかりをする。修道院に居づらくなり修行途中で日本に帰ってくる。

 牧師ニコライ(神田のニコライ聖堂を作った人です)に日本の教会のためにイコン画を描くようにすすめられるが、どうしても描く気になれない。がふっきれて6年後に描き始めて、全国の教会に百四十以上ものイコン画を残した。明治に日本に来て襲撃されたロシアの皇太子に牧師が山下りんのイコン画を送り、そのイコン画が現在エルミタージュ美術館にあるというわけだ。

 そのイコン画は、伝統的な描き方とは違って、西洋画風にそして日本的なやさしい顔で描いてある。イコン画は宗教画で、礼拝の時には、日本の仏像のような役割をする。その意味ではただの絵画ではない。画家を目指した山下りんが芸術として絵を描きたかったのだが、それが許されずに、宗教画を描くようになるまでの葛藤というものが丁寧に描かれていて、それが面白かった。それにしても、明治にはこういう女性がいたのだ。あらためて感心した。それから、明治には日本のあちこちにロシア正教の教会が建てられ、そこにイコン画が飾られているということを知ったし、現在のロシアにはどこの家庭にもイコン画があって、なにかあるとその絵にお祈りをするということも知った。宗教を否定したソ連時代を経ても、ロシア人の信心深さは失われていなかったということだ。

 この番組のお蔭で、彝族の祭りの報告作りが2時間ほど遅れてしまった。

 今日、長年非常勤を勤めて来られた先生に色紙を書くように頼まれ、断るわけにも行かずに何とか送る言葉を書いた。ついでに、下手な俳句を添えた。季語は「帰雁」で三月である。卒業の時期だ。

      教室に寂しさ残す帰雁かな