ミンジョンの衝撃2016/05/31 10:53

 久しぶりのブログです。最近は更新が一月に一度になってしまってるのですが、何とか頑張ります。
 忙しいのは相変わらずで、体力も落ち、数日前にぎっくり腰になり、すわったりたったりするのが不自由になり、長時間坐っていると立てなくなったりと、こうやってワープロを打つのもままならぬ状態が続いている。日ごろの疲れが出たのか、歳なのか、どうも明るい話題とは縁が無い日々を送っている。困ったものである。
 5月21日に高岡の万葉歴史館で歌謡学会があり、工藤氏が学会の志田延義賞を受賞したのでその受賞式に参加した。久しぶりの高岡である。初めての北陸新新幹線だったが、富山まで二時間ちょっと、早かった。氷見線の伏木という駅で降りてお昼を食べようとしたが、駅前には店らしいものがなく、人も歩いていない。駅の人に食事できるところはないかと聞くと、ちょっと歩くと一軒あるという。行って見ると、確かに店らしき建物がある。入ると、おばさんがチャーハンを作っていた。カウンターに坐り何が出来るかと聞くとチャーハンしかないという。とりあえずチャーハンを注文。おばさんは、かつてはロシア船が入りロシア人で賑わった。ドルの偽札をつかまされて悔しい思いをしたこともあった。今は客は少ないが、店を閉めるとこの町に食堂が無くなってしまうので続けているという。ご飯に味付けをしただけのシンプルなチャーハンを食べながらおばさんの話を聞いていた。
 次の日は、レンタカーを借りて、三人で羽咋の気多神社を行った。私は以前訪れたはずなのだが記憶にない。行って見ると、なかなか古びていて雰囲気のある神社だ。背後にあるタブノキの原生林がやはり見どころだ。このタブノキの原生林については折口信夫が書いているが、その折口父子の墓に訪れる。富山まで帰り、新幹線で帰ってきた。
 楽しみなどほとんどない日々を送っているが、専門書以外のエンタメ系の読書(これは古本バザーに本を出品するという目的がある)。と韓流ドラマを奥さんと観るのが、楽しみと言えば楽しみである。エンタメ系読書は最近当たりが少ないが、山本弘『翼を持つ少女BSビブリオバトル』はけっう面白かった。私の勤め先の短大で読書会ならぬ「ブックパーティ」を開いていて、そこではおすすめ本バトルをやつている。ビブリオバトルはその本格的なやつだ。高校生が主人公だが、SFオタクの少女が出て来てSFについてうんちくを語る。SFファンの私はそれが面白かった。SFの奧は深い。SF以外にもいろんな本が紹介されていて、学生にすすめたいと思う以上に自分が勉強になった。
 韓流では「私はチャンボリ」にはまっていた。レンタルで37巻あるが、とにかく毎日のように見続けて見終わった。つかれだが、久しぶりに面白いドラマだった。
 見るきっかけは、韓流時代劇「耀くか狂うか」のヒロイン、オ・ヨンソのファンになり、彼女が主演の「私はチャンボリ」を観てみたということである。幼い子どもが交通事故で記憶喪失になり、大人になつて実母と出会う、という韓流定番のストーリーで、実母に会うまでに、主人公の敵となる悪女も現れ、母子の愛や、恋愛と、おきまりの展開ではあるが、オ・ヨンソ演じるチャンボリの元気でポジティブな明るさが見どころになっている。だが、何といっても、このドラマは、悪女ヨン・ミンジョンを演じた、イ・ユリのすごさだろう。正直、ドラマの後半はこのミンジョンの悪女ぶりがあまりにすごくて、しかも、泣かせるので、ほとんどチャンボリを食ってしまっていた。
 今までいろんなドラマを観てきたが、こういう悪女は初めてである。(以下ネタバレあり)貧しい境遇から脱出しようと、子どものときから嘘をつき、記憶を失ったチャンボリの実家(伝統的韓服作りを継承している名家)に巧みに入り込み、親はいないとだましてチャンボリになりかわって養女となる。ミンジョンの実母はチャンボリを自分の娘として育てる。成長したチャンボリは、裁縫の腕を磨き、本当の親の家にそれとは知らずに、韓服を習いに行き、やがて、その家が自分の家だとわかる。
 こういったストーリーなのだが、実際はかなり複雑な展開になつている。特にミンジョンは嘘に嘘を重ねて、幸せをつかんだように見えるが、次から次へと自分のついた嘘がばればしめ、最後に破滅していく。この嘘の付き方が半端ではない。嘘が通じないとみると、今度は相手の弱みを握って脅しにかかる。しかし、このミンジョン憎めないのである。むしろ、その驚異的な生命力に感動すら覚える。なにしろ、ついた嘘はすぐにばれるし、悪事も露見するのだが、そのたびにもうおしまいとおもいきや、ゾンビのように復活し、次の作戦を練り、またしたたかに次の嘘を考えるのである。この徹底した自己中心主義は、その貧しさから脱出したいという本能的な生き方にあることがわかっているから、観る者に同情させる。そして、冷酷なように見えて、情をすてきれないところもある。何より、破滅に向かっていることを覚悟で生きているところがある。嘘で固めて結婚した男に、愛情を持ち、捨てられてもその愛情を捨てないところなど涙である。
 このようなすさまじい人物を作り出す韓流ドラマはたいしたものだと思う。言いかえれば、それだけ格差社会が徹底していて、また、伝統的な女性像が一方にあって、そして、女性の社会的な地位も向上してきて、このような、ミンジョンという底辺から不当に成り上がろうとするエネルギッシュな女性像を創り上げているのだと言えよう。チャンボリは、底辺から成功していく明もしくは善だとすれば、ミンジョンは暗であり悪である。が、人間としてみれば、明るくけなげなチャンボリより、暗くてきたないミンジョンのほうが誰も自分に近いと思うだろう。
 最終回の描き方もとてもよかった。ミンジョンをこれみよがしに破滅させなかった作者に感謝である。