精神科医の前で発表2015/10/04 00:12

 ブログもひさしぶりである。忙しくて書けなかったのだが、かつては忙しくても何とか書くことを続けていたのだが、最近、その気力が少しばかり失せてきた。以前のように、無理のきかない身体になったということもあるが、書くネタもなくなってきたというのもある。が、ひさしぶりに書くネタができた。

 今日、慈恵医大国領校で、多文化間精神医学科会学術総会があり、そのシンポジウムにパネラーとして出席し発表してきた。いやあ緊張した。精神科医の前で、「哭き歌」のテーマで歌の機能について話したのだが、わたしだけ文学専門で、他のパネラーはみんな精神科医や心理学専攻の人たちである。たまたまこの学会の会長と知り合いだったので、私が雲南省のフィールドワークをやっているのを聞いて、何か話をしてくれと言われたのである。

 人とのつきあいは時に思わぬ機会を与えてくれる。あまり人との付き合いのない私であるが、時にこういうこともあるのだ。懇親会で、出席者からとても参考になったと言われてほっとした。まったく通じなかったのではと心配していたのである。

 雲南省のイ族の「哭き歌」と奄美の「哭き歌」の比較をしてみた。奄美の「哭き歌」は酒井正子『哭き歌の民族誌』を参照したもので、非常に参考になった。特に徳之島の「愛惜歌」には驚いた。昔読んだ時は気づかなかったが、この「愛惜歌」けっこうすごいのである。なにがすごいかというと、遺族が四十九日ずっと「哭き歌」を歌い続けるのである。ふつう、「哭き歌」は葬儀の始まりに見られるもので、葬儀が終われば、いつまでも死者への思いを引きずるような歌は歌わないだろう。死者をこの世に留めず、未練を無くし、あの世に送り届けるためには、「哭き歌」は障害になるからである。それは、死のケガレに触れてしまうことにもなる。生者と死者の間に明確な切断線を引くのは多くの文化で見られるが、徳之島ではそうではないのだ。

 中には死者と対話するように「哭き歌」を歌う場合もあると酒井正子は述べている。「哭き歌」はフロイト的には「悲哀の仕事」の歌による実践だが、「悲哀の仕事」である以上その仕事から解放されないと、病になる。この考え方からすると、心理学的には徳之島の「愛惜歌」はほとんど心の病の世界である。

 むろん、病なのではない。これも文化なのだ。死者を忘却して日常に戻ることを潔しとしない、死のケガレを恐れることより、死者への悲しみを引きずることの方を大切に思う文化なのである。この文化、実は歌が大きな働きをしている、と歌の機能の問題として語ることができる。以上のようなことをシンポジウムでは話した。

 11月7日では奈良の「奈良春日野国際フォーラム甍」で私が事務局をやっている学会のシンポジウムが開催される。そこでのテーマが「葬送と歌垣」である。これも死と歌がテーマだ。死者の葬儀になぜ歌が歌われるのか。こちらは「哭き歌」ではなく「歌垣」であって、どちらかというと、楽しい歌の掛け合いである。これも実はよくわからないのだ。古代の文献には確かに葬送儀礼に歌や踊りが伴うという記述が出てくる。まだまだわからないことが多い。

 シンポジウムの席上で、歌と国家との関係の質問があった。歌は癒やす力を持つが国家に利用されるものではないかというのである。時節柄の質問である。実は、11月に頼まれた原稿があり。そのテーマが「戦争と歌の力」である。みなつながっているのだ。

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