仙薬と生きがい2015/11/01 00:42

 10月がようやく終わった。今日は九月に亡くなられた理事長の学園葬。著名人であるから、参列者も多かった。理事長は私の母より三歳ほど上だった。私が勤め始めたときも理事長で、ずっと理事長だったから、たぶん、かなり長生きされて私が定年で辞めてもまだまだ理事長でいられるだろうと思っていたが、やはり、命は永遠ではないのである。

 かくいう私だって老年と言われてもおかしくない歳であり、いや間違いなく老人とみられているから、いつまでも生きていられると思うな、と言い聞かせることにはしている。が、それはわかっていても、死ぬまで生きるというしかないわけで、その生きる時間をなるべくなら平均以下にはしたくないというのが誰でも正直に思うところだろう。

 昨日はいつものところで大腸検査。これも平均以下にはなりたくないというあがきである。まあ特に異常はなかったのでとりあえず一安心である。何せ今年は、肺がんと前立腺がんの疑いをかけられて、ひょっとすると平均以上は無理かもと思った年だから、大腸は何とかクリアできたというところだ。

 この歳になると、私の兄弟も奥さんの両親も、知人や知人の親も、みんな病や老化と戦っている。奥さんの両親は九十歳を越えて、老夫婦だけで暮らしているが、娘二人が時々世話しに通っている。私も、弟が施設に入っているので、やはり月一は通っている。

 老化も病も、人間の身体の自然なうつろいの現象の一つであって、抵抗してもしょうがないというところがあるが、かといって、無抵抗というのもおかしい。「癌と戦うな」という本があるが、私が癌の疑いをかけられたとき、この本のようには対処出来ないとはっきりとわかった。一日でも長く生きたいと願うのが人間の本性であって、リスクをともなう治療を拒否して自然の流れに任す、なんていうのは、病にかかった当事者には悟りをひらけというような説教であって、そんなに簡単には人は悟りをひらけないのである。

 たまたま大伴旅人の次のうた歌を市民講座で読んでいた。
 我が盛りいたくくたちぬ雲に飛ぶ薬食むともまた変若めやも(巻五・847)
(わが盛りの命もすっかり衰えてしまった。雲の上まで飛び行くほどの仙薬を服したとしても、若さが戻ってくることなどどうしてあり得よう。…訳は全解)
旅人は太宰府でこの歌を歌い都に戻って数年で死ぬ。当時は神仙思想が流行し、不老不死の幻想に憧れていた。仙薬は、秦の始皇帝が道士に献上させ服した結果命を縮めたと言われているが、八世紀初期の貴族たちも、水銀などの鉱物を処方した仙薬を飲んでやはり命を縮めたらしい。不老不死とは言わないまでも、少しでも長生きしたいのは人間の本能である。旅人は仙薬を飲んでも死なないことなんてあり得ないと詠んでいるが、まっとうな歌である。

 旅人は次のようにも歌っている。
(雲に飛ぶ薬食むよは都見ばいやしき我が身また変若ぬべし (848)
雲の上まで飛び行くほどの仙薬を服すよりは、都を一目見るなら、この賤老のわが身も再び若返るに違いない)

都に帰れるなら自分は元気になれると歌う。郷愁の歌だが、要するに、残り少ない人生でもそれなりの生きがいや願いはあると言っているのだ。年老いれば当然目的のようなものの数は減るが、しかし、それへの想いは強くなる。やり残しては死ねないと思う。そう思えれば生きられる。都に帰れば仙薬を飲むより効く、なんてことが私にもあるのか、と問うと、暗澹となる。ないわけでもないが、仙薬を飲むより効けばよいがといったところだ。現代の仙薬は昔と違ってかなり効きそうであるから。

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