ラカンとモビルスーツ2013/04/20 01:00

 しばらくぶりのブログである。忙しいというわけではないが、とりたてて書くネタもなく日々が過ぎていくといったところだ。先週の日曜(14日)は六車さんが旅の文化賞奨励賞をいただいたのでお祝いに品川のホテルに行く。ごく少数の知り合いと飲み会になった。介護のプロも来ていていろいろ勉強になった。最近、私の身内が病のために介護の必要が出て来て、いろいろ勉強しているところだ。

 介護や老人のための施設を調べ始めて思うのは、介護関係者以外、ほとんどの人があまり情報を持っていないということだ。役所に聞くとか、それなりの専門の人がいるからということなのだろうが、みんなごく一般的なことだけで、具体的なことは何も知らない。そんなものなのだろう。それから調べて見えて来たのは、介護福祉にはかなりの格差があるということである。日本の社会では一律に平等な福祉サービスが受けられるわけではない。金のない者とある者は、老後動けなくなったときのケアが全く違う。これは、社会福祉を民間に委ねた一つの帰結であるが、貧乏でないにしてもそんなに余裕があるわけではない私は、何という社会なのだろうと暗澹たる気分になった。

 先週から授業が始まり、学生と授業で顔を合わせるのが楽しい。今の所、教える側も教えられる側も新鮮な気分でいられるからだ。そのうち、今年はこの授業がうまくいきそうだとか、何となくのらないなあ、とかいろいろ出てくる。乗らないときは今年の学生はだめだとつい他人のせいにしたくなる。むろんそれでは教員失格である。去年と同じテーマの授業でも少しは去年より深化させたい。いずれにしろそれなりの努力は必要で、たぶんにそういう努力をサボると授業ののりも悪くなる。

 「アニメの物語学」は相変わらず人気の授業だ。だからこの授業努力しないとまずい。というわけで何冊か読んでいるのだが、まず『エ/エヴァ考』を読んでみた。エヴアンゲリオンについての参考書だが、その中で、エヴァに出てくる人物の原型は庵野秀明監督作品「トップをねらえ」にある、というのを読んだ。さっそく、全3巻のDVDを借りてきて観てみた。そんなに詳しくない私は最初スポ根ものかと思ったが、そうではなかった。なかなか上手く出来たSFアニメである。正直面白かった。当時これを観ていたらはまったろうと思う。

 題名はスポ根ものの「エースをねらえ」のパクリであるが、宇宙怪獣(使徒みたいなもの)と戦う少女を養成する女子校が最初の舞台になる。ここでモビルスーツと合体して戦闘訓練を受けるのだが、そののりはほとんどスポ根である。最後は、主人公が死を覚悟で地球を救う。これはほとんど宇宙戦艦ヤマトである。が、もう一つ、光速に近づくことで起こる浦島効果が巧みに使われていて、死んだはずの主人公が一万二千年後に地球にもどってくるところで終わる。この、スポ根のノリで頑張る少女を発達障害系の男の子に代えたのがエヴァンゲリオンなのである。

 とりたてて授業の参考になったわけではないが、エヴァのもとの話の「トップをねらえ」知ってる?ととりあえず学生に知識をひけらかすくらいのことは出来そうだ。こういう努力も必要である。

 ちなみにである、何故子どもはモビルスーツや合体ロボットが好きなのか、ということについて、ラカンの理論で説明出来そうなことに気づいた。ラカンの理論に鏡像段階における幼児の自己形成理論がある。ラカンによれば、幼児は自分の身体を統合的に把握する身体感覚を有していない。言い換えればまだバラバラな肢体のままの身体感覚であるが、鏡を見たときに、視覚を通して統合された身体性を一挙に獲得してしまうのだという。むろん、そこには無理があるから、その統合された身体感覚は今度は常にバラバラに分解するのではないかという不安を抱え込むということになる。つまり、統合された身体は喜びとなるがその喜びは同時にバラバラになるかも知れないという不安と裏腹なのだ、ということだ。

 この鏡に映った自己は他者であるのだが、要するに、人間は、まだバラバラでしかない自分を鏡像段階で一挙に統一的な身体を持つ自分にしてしまう、という、少々危なっかしい自己形成過程を持つということである。それ故に、バラバラの身体を組み合わせて統一的な戦闘ロボットに合体する光景は、そういう鏡像段階における自己の身体把握と相似的であり、同一化しやすいのである。おそらくモビルスーツへの憧れもそれと同じであろう。生身の自分は例えば敵との戦いの中でバラバラになりかねない脆さを常に抱えている。が、モビルスーツの中に入り込むことで、そのバラバラになりかねない生身の自己は統一的に把握し直されるのである。しかも、統一的に把握された自己は、神の如き力を持つ他者である。成長して大きな他者(自己)になりたい子どもにとって、モビルスーツは理想的身体であろう。だが、その身体への飛躍には相当な無理がある。バラバラな身体の自分に戻りかねない不安も又増大する。その不安に何処まで耐えられるか、その強度が問われる。碇シンジは結局耐えられなかったのだ。そのように見ていくと、日本のアニメが生み出した合体ものもモビルスーツも、なかなか奥が深い。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://okanokabe.asablo.jp/blog/2013/04/20/6783556/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。