:原形質的な生命力2011/07/18 00:27

 金曜の夜に出かけ、土日は山小屋。暑さ対策としてはここへ行くしかない。月曜は休日だが授業はあるので、日曜の昼に帰る。ゆっくり出来るのは土曜日しかない。それでもこの一日が貴重だ。

 土曜の夜に、BSで草間彌生の特集を見る。3時間の番組である。でも、思わず全部見てしまった。六本木ヒルズの美術館で草間彌生展を観たことがある。とても面白かったが、感動するところまではいかなかった。が、この番組では、若い時の作品から時系列に紹介していたので、ようやく草間彌生の全貌が分かった。それまでは、精神病院に住んで水玉模様の絵を描いている有名なアーティストくらい知識しかなかった。この番組を観て少し感動した。水玉模様はなかなか奥が深い。

 現在82歳くらいか。草間彌生展のために百枚の絵を描く場面を撮影しながら、その画家としての生涯を追いかける、という構成である。その百枚の絵を見ながら、この絵は、アウトサイドアートのようだと思わずにはいられなかった。アウトサイドアートとは、いわゆる障害を負った者が描く芸術的な絵のことで、むろん、草間彌生は病を負っているとしてもアウトサイドアートではない。が、そのように思わせるのは、その絵が余りに原形的なイメージだけで描かれているためで、シャーマンが絵を描くときの絵とはこういうものだと思わせる描き方なのである。

 というより、もうほとんどシャーマンとして描いていると言っていいのかも知れない。無意識から降りてくるイメージをただなぞるだけである。若い時のアートはそれなりの方法論があっての作品だが、晩年は、ほぼアウトサイドアートになってきている。これはこれで一つの境地ということなのだろう。

 その発言も面白い。一切絵とは何かなどという絵画論も方法論も話さない。自分は世界に認められたい、ピカソを超えたい、高い値で売りたい、と、ひたすら絵描きとして認められなくてはという強迫観念だけを語っていく。存在自体がアートだと写真家アラーキーが本人に語っていたが、その通りだと思った。

 結局、八十歳を超えて自分の中の原形質的なものをひたすら描いているということだ。現在の担当の精神科医が、死がテーマなのではないかと語っていたが、精神科医らしい分析で、やはりその通りだと思う。

 明日の授業で「崖の上のポニョ」について話さなくてはならない。私は、このアニメの面白さは、ポニョの原形質的な生命力の圧倒的な力にあると思っている。とにかく、ポニョが人間になりたいと強く願って動き出したら誰にも止められないのだ。その過剰な力は世界そのものを危機に陥れる。

 このポニョの力は、アニメーションの語源である「アニマ」の力そのものではないか。アニマとは、止まっている絵に動きを与える「魂・霊」のこと。ポニョはまさに「アニマ」を全開に発動させてしまった人魚なのだ。そのイメージは、分節化される以前の原形質的なものに溢れている。草間彌生の水玉と言ってもいい。

 草間彌生もポニョも原形質的なものをこの世に引き出し、感動や混乱(自由も)を与えるシャーマン的な存在、ということになろうか。

                      夏の樹木からまりてねじれて生きる

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