また奈良に2008/03/03 00:15

 土曜は奈良の万葉ミュージアムへ。いつもの科研の研究会である。京都に泊まり、今日東京に戻る。途中名古屋に下車。同行のK氏がバリ島で取材した神話をインドネシア語から日本語に訳してもらっているKさんに会うためである。彼女は、芸大の大学院からインドネシアの歌謡に魅せられて文化人類学に入った人で、アジア民族文化学会に入りたいというので、K氏との打ち合わせに同行したのである。

 科研の研究会ではロシア人の研究者であるEさんの発表を聞いた。ロシアの中央アジアの民族の歌の録音を聞いた。唱えごとに近い叙事の歌で、叙謡などという日本語でEさんは説明した。叙謡とは変な日本語だと思ったが、露日辞典に載っているという。

 あまり抑揚のない歌い方で、念仏やそれこそ唱えごとと言っても通用する。長編叙事を謡うときはやはりこんな声の出し方になるのだろうなと納得した。要するに、短い抑揚の感情を表に出す激しい歌は恋歌だし、神話のような叙事は、抑揚の少ないつまり感情的な要素を出さない声でないと続かないということだ。そういうことがよくわかった。

 K氏が取材したバリ島の神話は、バリヒンズーがまだ浸透していない、アニミズムや呪術がまだ残っている村の神話で、貴重なものであるという。Kさんはその翻訳を引き受けたのだが、自分でも実際にその村に入りたいということで、K氏から、バリ島の人脈や村への入り方、研究の仕方までレクチャーを受けた。考えてみれば、文化人類学者でないK氏が、文化人類学者であるKさんに、フィールドワークの人脈や研究方法まで教えるというのも、たいしたものだと思う。

 夜ハイビジョンで茶葉古道の特集をやっていた。思わず観てしまった。茶馬古道とは、茶と馬を交換するのでそう呼ばれるのだという。馬で茶を運ぶからだと思っていたのだが、知らなかった。それにしても、大峡谷のキャラバンは凄かった。ワイヤーロープに滑車をつけて川を渡るのは何度も観た光景だが、馬をくくりつけたのは初めて観た。馬も大変だ。それにしても、厳しい自然の中で生き抜く人達のたくましさに圧倒される。

 私は今週は忙しい。明日は会議のあと懇親会。送別会である。明後日は、会議の後、すぐに山形に向かう。民俗学者のA氏が今度主催する「遠野物語」を読む会に出るためである。「遠野物語」をどう読んでいいのかまだよくわからないでいる。

 家に帰ったら足場が外されて塗装はほとんど終わっていた。これで我が家も外側だけはリフレッシュしたというわけだ。中はまったく何の変わりばえもしないが。

       明るめに壁塗り変える三月や

山形から帰る2008/03/05 23:40

 今日、山形芸術工科大学から戻る。M氏とA氏と一緒に山形で新幹線に乗りいろいろと話をしながらの帰りであった。お二人はかなり忙しそうである。M氏はこれから大学で会議。A氏は国交省で会議、その後会津若松に行くという。特にA氏は有名人だから信じられないくらい多忙である。私など忙しいなどと愚痴るのが恥ずかしいくらいである。

 それにしても、山形芸工大は山形市が一望に見下ろせる丘にあって、大学の宿舎は24時間入れる温泉がついている。うらやましい限りの大学である。そこで、「遠野物語」の研究会が、4日と5日にかけてあった。中心的なメンバーは、A氏と京大ユング派系の臨床心理学を専門とする心理学者達である。

 4日、午後の会議を休んで山形にやつてきて会場に送れて入って行ったら、吉本隆明の共同幻想論の話になっていて、A氏が、私に吉本世代なのだから何かしゃべれというので、一応いろいろとしゃっべったら、どうやらしゃべりすぎたらしく、ひんしゅくをかってしまったようだ。今はやりのKYだったようである。

 心理学者のK氏の「遠野物語」の分析はなかなか面白かった。この物語には境界しかない、異界は書かれていないと述べ、そう言われれば異界の奥深くに入り込んではいないなあと納得。境界では一瞬の出会いが起こる。その一瞬の出会いには死がある、という展開はなるほど心理学者らしい分析だと感心した。

 私は学生に毎年「遠野物語」を演習で読ませているのだが、ある学生がやはり遠野には境界がたくさんある、境界の中で生きているというような発表をしたことがある。この学生もなかなか面白かった。

 それにしても、この研究会に来ていた臨床心理学系の心理学者はみな変わった人達であった。本人達もそれを自覚していて、精神的におかしな人とつきあっているとやはりこっちもおかしくなるのだという。が、重要なことは決して発症してはならないということだ、と語っていた。むろん、ここでいうおかしさは、そうい意味ではなくて、おもろい人達だということ。夏に合宿をやろうということで話がまとまり、研究会が終わった。

 やはり「遠野物語」の読み方というのは、異界や境界という、ある意味ではすでに自明になってしまった固定の概念をどう解体するか、であろう。その入り口は見えてきたというのがA氏の判断で、この会は続くことになった。とりあえず、私も付き合ってみようと次も出ると返事をしておいた。
 
        異人らが去って寂しや山笑ふ

供養2008/03/07 01:03

 今日は仕事で出校。雑務をこなす。印刷所に学会のポスターの見積もりを頼んだら、なんといままで出版社に頼んでいたよりかなり安くなることが判明。これには驚いた。というのは出版社は安くしてくれているとばかり思いこんでいたからだ。私の認識が甘かった。出版社も商売である。そんなに安くしてくれはしないのだ。ちなみに、別の学会のポスターの印刷代金より約半額である。さっそくアジア民族文化学会のポスターの印刷を頼んだ。

 夕方、私の友人Sの母堂が亡くなられたのでその通夜に行く。実は、私は通夜の受付をやることになっていた。この母上には若いときからかなり世話になった。友人の家は、西荻の閑静な住宅街にあり、学生時代からよく遊びに行った。遊びに行っただけではない。学生運動で泊まる場所が無くなったり、お金が無くなったときなど、いつもこの家で居候をしSの母上にお世話になった。とても明るい人で、私だけでなく、学生運動の仲間もこの家でやっかいになって、母上のお世話になっていた。今考えると単に世話好きとは言えない、懐の広い人であった。

 私みたいな目つきの悪い活動家が出入りするので、この家の前の道路を挟んだ向かいの家の二階屋に私服警官が部屋を借りてこの家を監視していたということである。もう40年も前の話である。

 西荻の駅の近くのお寺で通夜は行われた。さすがに寒かったが、二時間ほど寒風の中を受付で立ち通した。こんな苦労も世話になった母堂への供養であると思いながら。

         ものの芽やいづるや否や人の逝く

公共性云々2008/03/10 00:45

 昨日は二部の卒業パーティ。二部の最後の卒業生である。学生は20数名であるが、それなりに感慨深い卒業パーティであった。学生の年齢はまちまちである。私より年上の人もいる。皆熱心で、二部の廃止を惜しむ声も多いが、少ない人数の学科を維持する余裕はわれわれにはないのである。一人でも残れば実は廃止は出来ない。が、みな頑張って卒業してくれてよかった。

 近くのホテルのレストランで行われた。私は学科長ということで乾杯の挨拶をさせられた。こういうのか一番苦手である。何の話をしようかと悩んで、「サク・サカユ」という語源の話をした。最近原稿を書いたばかりの知識である。「サク」は「咲く」であり同時に「割く」「裂く」ということ。春の話としては丁度いいだろう。歳をとっても何度でもつぼみを裂いて咲いてくださいとしめくくって乾杯ということになった。まあ何とか挨拶は出来た。

 最近読んだ本というか雑誌だが面白かったのが、大塚英志編集の『新現実』である。柄谷行人との対談や、柄谷の『柳田国男試論』が載っているので買ったのだが、東浩紀と大塚英志の対談が一番面白かった。

 いわゆる「おたく」文化が象徴するように、現代の、自閉的でありながら過剰なほどに言葉が行き交うこの言語空間を生きることに、公共性はどのように構築されるべきかという議論が展開されている。インターネットや携帯を介した言説は、私的なものであって公共性を持たない。が、それでいいのかという共通認識のもと、大塚英志は、努力目標としてみんなのためといった公共的な理想を持つべきではないかと説く。

 それは、イデオロギーのようなものではなく、社会というものが限に存在しその社会で生きる以上、その社会でみんながよりよく生きる「努力目標」は持たざるを得ない。だから、最低そのような努力目標としての公共性を持つべきだ、たとえ、自閉的なおたくであっても、という主張に対し、東は、現代社会では、それぞれが自分に閉じこもりながら公共性の必要無しにコミュニケーションを成立させているのが実態であり、近代が作った公共性なる理想はもう成立しないのだと言う。

 つまり、コンビニに集まる人と人とが作り上げるような繋がりが現代の公共性であって、コンビニでは、匿名の人間たちがただ集まってきて、何らかの関係を結んでは散っていく。コンビニはそういうコミュニケーションの場や機会を提供しているだけで、その場なり機能が公共性だというのである。つまり、そこには「努力目標」という近代的な理念が入り込む余地はないのであって、みんなが生きやすい社会を作る、というのなら、それは工学的なシステムのようなものでしかないのでは、あるいはそういうものを作る、ということではないか、と反論する。

 さて、私はこの議論、東浩紀の立場に立つ。私も、努力目標のような公共性を、云々したくはない。大塚英志の主張は分からないではないが、「努力目標」という言い方がすでにだめである。「努力目標」なのではない。大塚の言う「公共性」は努力目標化しなくても、社会の中では現実に実現されているものだ。誰も目標なんかにしてはいない。ただ、人は自分の為だけに生きているわけではないので、周囲の人への配慮や気遣いを自然に行っている。その自然さというレベルの公共性を目標と言ってしまうと、ちょっと違うと思ってしまう。

 その点は東浩紀を支持するが、工学的にあるいはシステマティックに公共性はあるべきだという言い方が、なかなか難しい。つまり、公共性に超越性を認めない立場をとりながら、工学的あるいはシステマティックな公共性というときは、そのシステムを作ったものを神のようみなす超越的な視点を作ってしまうだろう。それは本意ではないはずだ。

 私的な立場からある意味で抜け出せない言説が膨大に溢れている現状で、公共性はどんな風にあるへきなのか、その答えは難しい。私も分からないでいる。ただ確かなのは、そのような私的な「おたく」的言葉を排除したり抑圧することでは、公共性は成立しなくなっている、ということである。

            春一番ほどけてしまう絆あり

ドストエフスキー2008/03/11 23:11

 風邪を引いてしまった。数時前から喉が腫れて、やばいなと思っていたが、昨日から身体がだるくなり本格的に風邪の症状となった。通夜で寒風にあたったのが原因か、あるいはここのところボーッとしているので身体が油断したか、まあ、年に何回かは風邪を引くので、今年になって最初の風邪ということだ。

 忙しいのだがボーッと過ごしているのは、締め切りの原稿がないのと授業がないせいだ。谷川雁が作ったとかいう「十代」という雑誌があって、そこから宮沢賢治の童話について何か書いて欲しいと依頼が来た。短いので引き受けたが、これが今年の最初の依頼原稿で、これで終わってくれるとありがたい。

 数日前から新訳の『カラマーゾフの兄弟』を読み始めた。この新訳は10万部売れたという。何でドストエフスキーが10万部売れるのか不思議である。M氏の『古事記』が10万部売れたときも不思議だったが、人々の知への欲求というのは、あなどりがたくその傾向を掴むことは難しいということだ。

 山形からM氏とA氏と一緒に帰ったが、今度芸術祭何とか賞という賞をもらったA氏が、M氏をうらやんで一度ベストセラーの本を出してみたいと語っていたが、同感である。私の本で増刷したのは参考書だけである。

 まだ最初のほうしか読んでいないが、若いときの読み方よりも落ち着いて読める気がする。若いときはドストエフスキーは夢中になって読んだ。読み出したらとまらなくなり、読み終わるまで3日間、寝る間を惜しんで読んだという記憶がある。さすがに今その気力も夢中になるということもない。読んでみて、ドストエフスキーの主人公は、今の心理学的見知からみれば、みんなどこか精神的疾患を抱えている者ばかりであるということがよくわかった。

 過剰なほどの神経の高ぶりを皆共通して持っていて、実によくしゃべる。しゃべると止まらなくなる。自分か相手かを傷つけないうちは話を止めることがない。しゃべり終わると激しく後悔する。こういう人物がたくさん登場する。背景には、ロシアの農奴の悲惨な現実と、観念的な貴族や知識階級との落差がある。この落差こそが、このような精神的疾患を生み出していると言えるだろう。個人の歴史で言えば、このような落差は、青年期の特徴でもあろう。観念的で理想的で現実は貧しい。私がそうだった。だから若いときに夢中になって読んだのだ。

 今は、貧しくはなくなった。観念的と言われることもあるがそれほど観念的でもない。だから、ドストエフスキーをもう夢中になって読むこともないということか。それはそれで寂しいことだが。

 今日は会議で出校。明日はB日程の入試である。
 
          春泥や此岸彼岸がわからない

マイナスをプラスに2008/03/14 22:41

 風邪がなかなか抜けない。この歳になるとやはり若いときよりは治りが遅い。が、咳き込んで眠れなくなるほどの重症でないのが救いだ。

 風邪を引いたといってもこの程度の風邪では休んでいられないのが勤め人の宿命である。ここんとこ休みなしで毎日のように出校。今日は朝から会議の連続であった。

 B日程の入試は、去年より志願者が増えた。だが、推薦での入学予定者も増えているので、正直困っている。というのも、定員の1.3倍しかとれないから、それを上回らない数を見込んで合格者数を出すと、どうしても、倍率が高くなるからである。A日程の一般入試の倍率は2.6倍であったが、ところがB日程はそれよりも高くなってしまった。予想以上に志願者が増えたためである。

 他の短大の話を聞くと、けさこう頑張ってるところでも、3月入試はほとんど志願者がないという。私の所のように、3月入試で倍率がこんなに高くなるのは、まず他にはないということである。なんでこんなに人気が出たのだろうか。果たして、たまたまであって、来年はがたっと志願者が減るのか。減らないという自信がまだない。だから、不安と言えば不安である。

 この時期の志願者は、四大との併願がほとんどである。つまり、四大を落ちたらわが短大文科に来るという選択をした受験生が多いということであるが、その滑り止めの私の所もなかなか難しいということになってしまったのだ。わが学科のキャッチフレーズは「ハードな短大宣言」である。私の考えたコピーだ。あえて、ハードルは高いよという宣言をした。たぶん、これが受けているのだと思う。

 さらに、マニフェストも作って、2年間何を目標として勉強するのかそれを明らかにしている。学習目的の明確化、それは短大の独自性を印象づける大事な方法だ。2年という修業年限は、具体的な目標を立てやすく、実験的な教育が可能なのである。4大の4年という年限は、考え方を変えると、教育目標がどうしても抽象的で曖昧になり、独自な教育をする上ではかえって足かせになる場合もある。2年には2年の良さがあるということである。

 短大不要論というのがいまだに声高に唱えられている。実際に、4大に改組した短大は数が多い。だが、ほとんどがうまくいっていない。むろん、地域的な条件もあって、その原因を単純に語るのことは出来ないが、いずれにしても、不利な条件をプラスの条件の側に転化する発想がないと、今の時代なかなか生き残れない。

 私も4大で長い間非常勤をしていたから、4大の学生を教えてみたいという思いはある。が、短大生にも短大生の良さがある。難しい話への反応は鈍くても、好奇心の表し方は短大性の方が優れている。私の経験では目の輝きは今教えている短大の学生の方が上である。

 2年という条件は決してマイナスではない。逆に2年だからこそ出来ることがある。そのように考えていろいろな試みをやってきたが、そういう成果が今現れているのだと、思いたいものである。

            負(マイナス)を正(プラス)にしてよ流し儺

卒業式2008/03/16 00:24

 今日は卒業式である。礼服を着て出かける。午前中雨の天気予報だったが、朝から晴れていて卒業式日和になった。風邪の方は何とか回復の方向に向かっている。毎日栄養剤を飲んでいたおかげかもしれない。

 共立講堂は外壁を新しくして外見はきれいになった。内部はもとのままだが。卒業式は30分ほどで終わる。私は壇上に教員として並んで坐る。卒業証書の授与があり、学園歌、蛍の光が歌われて幕である。儀式というのは考えてみれば面白いものだ。これがないと卒業という節目が形にならない。こういう儀礼は本来まつりごとから来ている。つまり、神を迎える儀礼がもとの形である。卒業式にはどんな神がいるのやら。

 今年は2年生が担任でなかったので、学生はほとんど私の部屋にはこなかった。学科長ということもあって、授業も少ないので、学生との接触が少ないということもある。私にとっては久しぶりに静かな卒業式であった。

 夜はコースの先生方と助手さんとの懇親会。お二人の先生を送り出す送別会も兼ねている。銀座の京料理屋で行った。なかなか上品な料理で美味しかった。

 今日で、この一年の学校での仕事は基本的に終了する。つまり、2007年度の終了である。私は別として他の先生方は4月までは休みということになるが、実は、3月26日にはガイダンスが入っていて、最近なかなか休ませてくれないのである。

 私は校務がないわけではないので出校するが、24日から中国の調査に一週間ほど行くので、ガイダンスには出られない。とにかく忙しい日々が続く。

                    たくさんの言の葉受けて卒業す

本の整理2008/03/18 01:11

 何とか風邪からけ出せたようだ。今日は古代関係の学会の連続シンポジウムのポスターの発送を私の研究室でやるというので、私も朝方出校。ただ、私は書類書きがあるので、手伝えず、場所の提供だけ。

 日曜は一日家でだらたらと過ごしたが、実は、ここのところ少しずつ本の整理をしている。というのは、近々引っ越しをすることになったからだ。たぶん、五月の連休頃かそれを過ぎた頃には越す予定である。

 さすがに職場から遠くて、私の体力も持たなくなってきたので、今より近いところを探していたのだが、ようやく見つかったというわけである。むろん予算もないし都心に近いところには越せないが、ローンを組んでもこれはいいというマンションがたまたま見つかったので、この歳になって清水の舞台から飛び降りるつもりで購入を決めたというわけである。

 私は引っ越しを実はためらっていた。というのはそれなりに部屋を埋め尽くした本を処分しなければとても引っ越しは出来ないからである。この忙しいのに、とても本の整理など出来るはずもない。それでも、決めてしまったからには本の整理をしなくてはならない。後悔しても遅い。とにかく本をどうやって処分するかこれから真剣に考えなくてはならない。とりあえず、処分できない本をまとめておくことにした。ところが、これもまだ読むよなあとかまだ資料として必要だなあとか、貴重な本だしとか、いろいろ理由をつけてはとっておきたがる。この調子だととても処分などできないということがわかった。

 そこで、一つ考えたのが、張先生のいる寧派大学に寄贈するというものだ。特に小説関係や文化論は、寧派大学の日本語を学んでいる学生に読ませるのにはちょうどいい。汚れた本でもなんでもどしどし送って、使えるものを向こうで使ってくれればよい。日本の本が無くて困っているという話を以前聞いていた。メールで問い合わせたところ、とても喜んで引き受けると返事が来た。これで、少しは整理が出来そうだ。誰かの役に立つなら少々必要と思っても踏ん切りがつく。送料はこちら持ちだが、まあボランティアである。

 後は古本屋に引き取ってもらうしかないが、それまでには残す本の選別をしなくてはならないが、それが難しいのだ。私の研究生活はあとせいぜい10年ちょっとだろう。とすれば、この期間に読む本もテーマもそれほど多くはない。それなのに、本を処分できないのは、まだ私にあれもやりたいこれもやりたいという色気があるからだろう。これが私の良くないところで、おかげでいまだに一つのテーマを深く掘り下げられないでいる。

 あた10年で本を二冊ほど出すというくらいでいい。その二冊のテーマに絞って今ある本を整理して、そのテーマに関係のないものは処分すればいいのだ。

 ということで、中国に行く前に少しは処分する本をまとめなければとあせっている日々なのである。

          本をまだ読み終えぬまま帰る雁

地図2008/03/21 01:40

 今日は朝から雨で、私は午前中は本の整理である。ちっとも整理できない。こんなことでいいのだろうかと思いながら、中国行きの準備もまだ手をつけていない。24日は朝が早い便なので、成田近くのホテルに予約をしたら、いつもより高いので驚いた。何で高いのと聞くと、春休み料金だという。そうか、今頃学生は卒業旅行で海外に行くんだなと納得。まあ、私の場合、科研の費用で行く調査なので、これくらいの出費は仕方ない。

 午後、友人のKさん宅に奥さんと訪ねる。今度引っ越しをするという報告がてら、今の川越の家をどうするか相談。彼の家のパソコンで、グーグルの航空写真の地図というのを初めて試してみたが、これはすごかった。今度購入するマンションがはっきりと写っている。人工衛星からの映像だが、こんなにはっきりと写るとは思わなかった。ついでに、川越の家も、実家の家も検索してみるとちゃんと空からの映像として家が見える。とにかく番地を打ちこむとてでくるのだから驚いた。

 ついでに、中国も見てみたが、ある程度の大きさまで行くが、詳細な映像は情報が入手出来ないとメッセージが出てしまう。やはり、中国は簡単には見せてくれないということか。この技術は凄いと思う。世界中から、日本中の家という家が空からの映像として見えるのだから、ある意味では、日本は世界に対して開かれているわけである。細かな映像を見せない中国はその逆である。

 宇宙からの映像を地上の人間が意識することは、世界認識の変化をもたらすと書いたのは吉本隆明であった(ハイイメージ論)。そんな大げさなことでなくても、平面的な記号化された地図ではなくて、自分の家のパソコンで、世界中の何処でも映像としての地図を見ることが出来るというのは、不思議な感覚である。というのは、映像には近所の家の車とか、隣の庭の様子とか、町が賑わっているかどうかまで映っているからで、そういう映像は地図という概念を越えてしまう。社会そのものが写しだされているからである。

 国家や企業は軍事や商売のために必要な情報だろうが、われわれにとってそんな風に自分の住む世界を見てしまうことに、いったいどんな意味があるというのだろう。よくわからない。言えることはとにかく便利だということだ。私は、今度引っ越すマンションの近所に、客が車で来たときに駐められるような道路や空き地があるかどうか探したが、残念ながらなかった。コインパーキングもない。来客用の駐車場のない家は、客に車で来るなというしかない、空間に余裕も遊びもない窮屈な地域であることがよくわかった。

 夕方、Kさんの近くの住宅街にある河豚料理屋で河豚雑炊を食べる。なかなかおいしかった。

  ふて寝する縁無き御霊彼岸かな

明日から中国2008/03/23 11:28

 明日から中国である。湖南省と貴州省の境にある鳳凰県都を拠点に、近くの苗族の村に調査に入る。鳳凰県都は鳳凰古城とも呼ばれ、観光名所になっている。近くの王村という村は映画「芙蓉鎮」の舞台になったところで、映画の主人公が最後に米豆腐料理屋をひらくが、その米豆腐料理で有名なところでもある。

 街の中心に陀江という川が流れていて、川の跳岩と呼ぶ橋がユニークである。飛び石が並んでいるだけの橋で、人々はその石の上を慎重に歩いて渡る。足を踏み外せば川に落ちてしまう。川が増水すればすぐに水の下に沈んでしまう。つまり橋ではなく、橋の土台の上を歩くというようになっている。これは、増水する度に橋が流れてしまうために、橋を造らず土台だけにしておくという知恵である。清の時代に作られたという。また、漢族が苗族を隔離しようとして作った南方長城が有名である。長さ180キロに及ぶという。

 明日、成田から広州、広州から銅仁まで飛行機で、銅仁で一泊し、そこから車で鳳凰県まで向かう。日本に帰ってくるのは30日である。

 歌垣の取材が目的であるが、その他にも、シャーマンの取材、神話なども出来れば取材したい。今回は奈良県の万葉古代学研究所の科研の調査であるが、一昨年K氏が調査した場所であり、いきなり入っての調査でもないので、準備も出来ていて、それなりに期待はできるだろうと思っている。

 今、中国はチベット問題で騒がしいが、今回行くところはたぶん影響はないであろう。むしろ、雲南の方がいろいろと厳しいのかもしれない。

 中国国内の作家達が中国政府の対応を批判する声明を出したという。武力弾圧をしないこと、情報操作をせず情報の公開を促すという趣旨でもっともなことだ。今のようなかつての独裁国家や社会主義国家のような権力の用い方をすれば、すぐに破綻することは歴史が証明している。それこそいつかきた道である。それがわかっていてもで出来ないのは、権力の当事者は、今ある制度に欠陥があろうともしがみつくしかないからである。

 情報の公開も武力弾圧の回避も、ある意味では国家の権力を縮小していくことである。逆に言えば、権力の強大化とは、情報の独占であり武力の強大化である。国家権力の縮小は、その縮小にとって代わる民の公共的な力が必要とされる。つまり、民の方が、暴力や、情報操作や、私利私欲に走れば、国家権力を縮小する理由を失う。だから、国家の側は、民の未成熟を理由に、権力を強化する。

 毛沢東時代のチベット侵略は中国の負の遺産だが、中国自体が国家の力を縮小し、民の力を強めていけば、チベットの人々の民としての公共的な力が強まり、自由をもとてめ独立する理由をそれほど持たなくなるだろう。そうなれば経済的な恩恵も当然チベット人に行き渡るはずだ。中国が進むべき道はそっちであって、決して国家権力をふりかざして弾圧することの方ではない。

 本来社会主義とは国家の権力を徐々に縮小していく思想のはずである。資本主義は民の私利私欲に満ちているからそれを抑える国家権力が必要となる。だが、平等な社会は民の私利私欲でなく人々がみんなのために、つまり、一人は万民のため、万民は一人のために生きるから、権力は無くなるはず、というのが社会主義の理想であった。

 現実はそうはうまくいかないというのは20世紀の教訓だが、その上手くいかないところを目に見えるように体現しているのが今の中国である。だから、世界中から非難されている。その上手くいかないところがあまりに分かりやすいからである。

 社会主義と資本主義の接合は歴史の実験なのか、それとも、13億人を餓えさせずに統治する権力の維持のためのシステムなのか、何とも言えないが、確かなことは、ただ権力維持のためのやり方はおそかれ早かれ破綻するということである。民の力による公共性をどう作り、国家の力をどう縮小していくか、その目標があってこそ、現段階の国家権力の維持は肯定されるべきだ。これは中国だけでなく、日本の問題でもあろう。

 日本の国家財政はすでに破綻している。医療も年金も社会保障もそれを支える財政基盤が弱体化している。国家という抽象的な権力の維持のために膨大な国債を発行し借金を抱えたからである。国家財政という権力によって社会保障を回復するのは限界がある。とすれば、民の公共的な力によってそれを補っていくしかない。というより民が主体になるべきである。それは国家の縮小を意味する。日本もまたそういう目標を持たなければならないということである。

         境内の白木蓮が光りけり