中国から帰国2008/03/31 18:17


 昨日の夜中国から帰国。広州空港から3時間半ほどの旅で、案外に早かった。最後の日は広州のガーデンホテルという五つ星のホテルに止まったが、いやはや、金ぴかのいかにも中国らしい派手なホテルであった。

 調査はとてもうまくいった。苗族の村に入り、歌の掛け合いやシャーマンの儀礼、道教儀礼等、正味五日間の調査であったが、かなり調査することができた。偶然に結婚式に出会って、花嫁を送る歌を収録できたのも収穫である。問題はこれからで、記録した歌の掛け合いやシャーマンの唱えごとを翻訳し活字にする作業がある。

 K氏の人脈によって、苗族の知識人に漢語への翻訳を依頼したが、ただ、呪文などはほとんどが古語であって、村が違うとその意味が分からないということである。単に言語が同じだから翻訳できるものではないということを思い知った。特に地域に根ざす呪術や歌は、地域ごとの個性を付加させながら伝承していくから、その地域の人でないと意味がわからない場合があるということである。とにかく、分かる範囲でと翻訳のお願いをし、そして、調査できなかった儀礼や神話については来年調査するという約束をして戻ってきた。

 道教の巫師は熱した油に手を入れる盟神探湯(くがたち)をやってくれた。これを目の前で見たのは初めてである。ただ、さすがに深く手を入れはしなかった。それでも熱かったろうと思う。

 女シャーマン(巫女)には神懸かりの儀礼をしてもらったが、憑依型ではなく、脱魂型の神懸かりであった。これも興味深かった。アジアのシャーマニズム研究では、脱魂型は北方アジアで、南方の女性の神懸かりは憑依型と言われているので、明らかな脱魂型の憑依が南方にもあるということは発見である。

 湖南省鳳凰県都、鳳凰古城に5泊したわけだが、観光地ということもあってなかなか飽きない町であった。跳岩という飛び石の上を歩いて河を渡るのもやってみた。これはさすがに恐かった。途中身体がふらふらした。目を瞑って片足あげて立ってられない人は絶対に渡ってはいけない橋である。

 もともと唐の時代に苗族の支配地域に漢族が城を築いた。苗族は絶えず漢族を襲撃し、それで、漢族は城壁をどんどん長くしていった。明から清の時代には180キロになったという。それを南方長城というが、そこにも行ってきた。

 苗族の村はとても美しかった。菜の花畑が続き、レンゲ草が植えられ、桃の花、梨の花があちこちに咲いている。水牛が他を耕し、村には犬がたくさん放し飼いになつている。この犬たちは将来どうなるのか、気になった。食べられるのだろうか?苗族は犬を食べないという話だ。でも、それにしては数が多い。漢族に売るのだろうか。とうとう聞きそびれてしまった。見ている限りは犬の天国に見えたのだが。相変わらず子犬は可愛い。

 この地域では、歌の掛け合いで結婚を決める人達が多いということがわかった。白族の歌垣ばかり追いかけていた私には、とても新鮮であった。またひとつ研究対象が増えたというわけである。

 今日はさすがに疲れが出て、体中が痛い。ひょっとすると風邪なのかも知れない。鳳凰県も寒かったが、こっちも寒い。明日から仕事で出校ある。風邪も引いていられない。

        春の田の牛に別れて帰国せり