久しぶりのブログ2018/01/18 11:01

 半年ぶりのブログである。去年もいつものように忙しかったのだが、どういうわけか、他者に文章を書いて読んでもらおうという気があまり起こらなかった。特に理由らしきものはないのだが、日常の決まったワークのなかで、ブログを書く優先順位が下がってきたのは確かである。その理由に思い当たることがあるとすれば、そういえば人様に読んでもらうようなことは俺には何もないよなあ、と思うことが多くなったというようなことか。

 個人的な事情を書けば、ここ数年、母が逝き、弟も逝き、そして愛犬も逝くという出来事が続き、こういうときはなるべく静かに暮らそうと(いつも静かにくらしてはいるが)たんたんと時間をやり過ごし、あまり余計なことは考えずじっとしていた。本はエンタメ系ばかりを読んでいた。とくにファンタジー系の小説はたくさん読んだ。これらの本のいいところは、空想に生きることの楽しさを想い起こさせてくれることだ。一方、読んだ後内容をすぐに忘れてしまうので、自分の記憶の劣化に暗澹とする。田中芳樹の『アルスラーン戦記』がやっと完結した。さっそく読んだが、これまでの筋の細かな所を覚えていないことに愕然とした。出て来る名前が誰だったか思い出せない。以前買った本は、すべて古本市に供出していたので、一冊も残っていない。この年になると長いシリーズものを読むのは記憶との闘いになる。

 老人性なんとかというにはまだなってないとは思うが、老化と関係が無いとは言い切れない。思想というようなものを読んだり自分のなかで組み立てたりすることをしなくなったが、思想の行き詰まった現代の問題たとばかりは言えない。そういうことに取り組むことが面倒になってきたのは、長いこと生きてきた過去の記憶が、なんでこんなに自慢できないものばかりなんだろうと、気づくことが多くなってきたせいである。そのように過去にとらわれると、思想どころではなくなる。逆に考えれば、思想を語れる連中は、過去をそのようには振り返らないものたちなのだ。私もそういう時期はあったと思う。が、老化というのは、容赦なく、いやな過去を思い起こさせる。これは老化ではないと言われるかも知れない。老化とは、自分の楽しい過去だけが蘇って辛いことは忘れるのだと。そうなのかも知れないが、それは、私の場合は、老化ではなくて認知症の症候である。

 最近カズオ・イシグロの小説を何冊か読んだ。『日の名残り』『忘れられた巨人』『遠い山なみの光り』『わたしたちが孤児だったころ』『浮世の画家』。残りの小説も読み続けている。カズオ・イシグロのテーマは記憶だと言われているが、確かにそうだ。読んで見て、その記憶とはほとんどいやな記憶であることがわかる。いやな記憶は消えずにというより、ときに増殖して今を覆うものなのだ。晩年を生きるとは、この記憶との闘いなのかも知れぬと、カズオ・イシグロを読んでわかったような気がした。

 『日の名残り』も『浮世の画家』も、戦争中の自分の身の処し方が、いやな記憶として思い返される。が、そのいやな感覚は、たぶんに戦後の時代における過去の清算の仕方にかかわっており、それがほんとうに否定すべきいやなものだったかどうかについて、主人公たちはよくわからない。当時は懸命に生きただけで、戦後の今も懸命に生きているだけだが、ただいやな記憶として過去が今の自分を責めている。だからどうしようもない。といった憂鬱な気分が描かれている。私は読み始めてやはり憂鬱になったが、さすがに引きこまれて最後まで読んでしまった。

 『忘れられた巨人』はある地域の人々が認知症になり始め、元騎士の老人と妻が、集団認知症に立ち向かうべく冒険の旅にでるという設定。何とも不思議なファンタジー小説である。ファンタジー好きの私としては、この小説が一番面白かった。認知症は龍の為業なのだが、そこで、龍を退治することが結末になる。が、最後に、記憶を取り戻すことが、幸福なのか不幸なことなのかという問いに行き着く。認知症になればいやな記憶に向き合わなくてもすむ。認知症は、神が人間に与えた贈り物なのかも知れない、と考えることもも出来る。人の苦しみはいやな記憶にさいなまれることにあるからだ。歳をとればいやな記憶が嵩み同時に、記憶を忘れるように脳細胞が劣化する、うまくできているのだ。

 カズオ・イシグロの小説は個人の生理現象としての記憶ではなく、集団の記憶の問題としても読めるから、ノーベル賞をもらった。そのことは、戦争の記憶から世界はまだ自由になっていないということを示していよう。

 実は私のいやな記憶はほとんど学生運動の時のものである。あの頃、私は無我夢中だった。理念ではなく、身に染みついた本能のような身体が先に動いた時もあった。輝かしい時期でもあったが、悔恨にさいなまれる記憶を多く生んだ時期でもある。私が認知症になるかどうかはわからないが、たぶん、これからもいやな記憶は消えないことだろう。私の理想としては『忘れられた巨人』の老騎士のように、記憶に立ち向かう旅に出ることで、そうできたら本望である。

寒厳し老いた樹が俺を見ている
そうだな亡者も生者も寒の内
母逝きて弟も逝き元旦や

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