中国で考えたこと2015/09/02 01:08

 ブログも夏休みでした。19日から中国へ調査に行き、31日に帰って来た。今回は13日間で、さすがに疲れた。ロコ湖近くのモソ人の家を訪れ、葬儀の後に行われる儀礼や、ナシ族の歌の調査、白族の歌文化調査と多岐に渡り、収穫も多かったが、まとめるのも大変そうである。

 中国のメディアは好日戦争勝利70周年をかなり宣伝していたが、それほど盛り上がっている印象は受けなかった。経済は減速気味なので、やはり経済問題のほうに多くの関心がいっているのであろう。それから、民族問題にたんを発するテロ事件や、天津の爆発事故などのニュースが盛んに放送されていた。

 中国の人たちの給料の額は、私が調査に行き始めた1997年頃からくらべると10倍以上は上がっているという。地方公務員の月給が300元と言われていた時代で、今は、3000元以上はもらっている。元の価値も上がって物価が上がったとは言え、10倍ほどではない。つまりそれだけ中国の人々は確実に豊かになったということだ。

 豊かになれば、誰だって穏やかな生活を望みたくなる。対外的な危機意識を煽られて戦争を支持する動きに慎重になる。今の中国人は、少しずつだが、慎重になり始めている、というのが中国社会を肌身で感じた実感である。政府は、自身の政治的権力の維持のためにか、対外的な敵国を作りだし危機感をあおりたてるが、かつては国民はそれにのったが、今は、単純にはのらない。中国は少しずつではあるが成熟しつつある。

 まだ時間がかかるかも知れないが、中国がその生産力に見合った消費社会を育て上げ、安定した経済社会を構築できれば、民族問題や周辺地域への威圧的な態度も変わっていくだろう。今、中国は、急速な経済成長をとげつつも、実体が伴っていない不安を抱え込んでいて、領土や資源の確保に神経質になっている。日本の戦争責任を問い続けるのも、清朝のような他国から侵略され続けた腐った大国に転落しかねない不安を拭いきれないからである。そこを冷静に見ていかないと、中国の内政問題ににいたずらに振り回されるだけである。

 ギリシアも破綻させられない世界の秩序のあり方は、経済大国の戦争などトンデモない話であって、もしそういう事態になれば、リーマンショックの何十倍ものショックが世界を覆う。中国の政権を支えてい富裕層が一番恐れていることである。メンツを大事にする中国はへりくだらないが、ウラでは、日本と上手くやっていくことを望んでいる。日中の紛争は、世界経済に大きな打撃を与える。アメリカも誰も望んでいない。

 もし日本が平和憲法を無くせば、そういった深刻な事態を引き起こしかねない政策転換として、周辺国のみならず、世界から不安視されるだろう。平和憲法は防衛をアメリカに頼る無責任憲法だとする意見もあるだろうが、見方を換えれば、自国を守る必要最小限の武力以外の武力をもたないし、その行使もしませんというメッセージを世界に発しているわけで、それによって、幾分世界の秩序は安定しているとも言えるのである。このメッセージが消えて、日本の政権が自国が危ないと認めたらいつでも武力を使いますよ、というメッセージになったら、日本はいつ防衛を言い訳にして暴力的に振る舞うかわからないという、要らぬ疑いを周囲に持たせることになる。そのことは逆に日本を疑心暗鬼の軍事力を背景にした国際関係の中に巻き込むことになり、安全保障という面からも計り知れないマイナスとなるはず。

 そう考えれば、平和憲法は、安全保障の面からも戦略的に重要な武器になり得ているはずで、核など持つよりはるかに安価で、しかもリスペクトされる安上がりの兵器(この言い方にはかなり抵抗する人もいるだろう)というのがおかしければ、戦略的バリヤーシールドとでも言えよう。これを捨てるのはあまりに愚かということになろう。アメリカに守ってもらうという発想ではなく、アメリカをうまく利用しながら、日本は平和憲法を日本の安全保障のために戦略的に維持している、と考えればよいのではないか。ずるいといわれようと、それも一つの駆け引きであり、国と国との関係ではよくあることである。

 というようなことを中国で考えた。中国も少しずつ穏やかになってきている。日本は、残念ながら穏やかさを失いつつある気がしてならない。

城壁のない麗江2015/09/03 23:28

 雲南省の麗江を治めていたナシ族の木氏は、中国の歴代王朝の下で、何代にもわたって生きながらえてきた。何代も続いた理由は、時の王朝、あるいは、チベットやモンゴルなどの外夷に対して争わなかったことだと言われている。

 麗江には城壁がない。一説には、木氏の木を外壁で囲めば困という字になって縁起が悪いということだと言われているが、実際は、木氏が時の王朝や外敵に対して敵対しない政策をとったことによるようだ。結果的に木氏は代々滅ぼされることもなく続いてきた。

 大理を城壁で囲んだ白族の大理王国は、チベットや唐王朝の間を揺れ動き、時に武力で対抗するも、元のフビライに滅ぼされる。大理国も木氏も大国の周辺に位置した民族の典型的な振る舞い方であるが、木氏の姿勢は日本も学ぶべき点があろう。

 ところで、今回の調査の一つの目的は、葬儀と芸能との関係である。葬儀の儀礼において芸能が伴うのは何故か、という問題である。日本古代では「遊部」が知られるが、資料には、葬儀の儀礼に歌垣の言葉も出てくる。「鎮魂」と言われているが、少数民族ではどうなのか、それを調べる調査でもあった。

 葬儀には歌や踊りがつきものなのである。これは割合普遍的である。むろん、葬儀といってもいろいろあるから、総てがそうだということではないが、何故、歌や踊りがあるのか、その意味についてあまり考察されていない。特に、歌垣との関連も指摘されているので、漢籍や少数民族の事例などをもとに考えて見ようということである。そして、これはここ数年の課題だが、歌や声による物語を、漢族ではない少数民族が漢字で表記するその実体の調査である。今回は雲龍県に入って葬儀における祭文の表記資料を調べること。

 成果はそれなりにあったということになるか。行けば得るものはかならずある。ところで、私が出した『神話と自然宗教-中国雲南省の精神世界』(三弥井書店)の中国語訳の本が中国で出版される予定(あくまで予定です)。張先生の訳だが、これはほとんど張先生のはたらきによる。中国でどのように読まれるのか楽しみだが、相手は中国、実際に出版されるまで期待は封印しておく。