城壁のない麗江2015/09/03 23:28

 雲南省の麗江を治めていたナシ族の木氏は、中国の歴代王朝の下で、何代にもわたって生きながらえてきた。何代も続いた理由は、時の王朝、あるいは、チベットやモンゴルなどの外夷に対して争わなかったことだと言われている。

 麗江には城壁がない。一説には、木氏の木を外壁で囲めば困という字になって縁起が悪いということだと言われているが、実際は、木氏が時の王朝や外敵に対して敵対しない政策をとったことによるようだ。結果的に木氏は代々滅ぼされることもなく続いてきた。

 大理を城壁で囲んだ白族の大理王国は、チベットや唐王朝の間を揺れ動き、時に武力で対抗するも、元のフビライに滅ぼされる。大理国も木氏も大国の周辺に位置した民族の典型的な振る舞い方であるが、木氏の姿勢は日本も学ぶべき点があろう。

 ところで、今回の調査の一つの目的は、葬儀と芸能との関係である。葬儀の儀礼において芸能が伴うのは何故か、という問題である。日本古代では「遊部」が知られるが、資料には、葬儀の儀礼に歌垣の言葉も出てくる。「鎮魂」と言われているが、少数民族ではどうなのか、それを調べる調査でもあった。

 葬儀には歌や踊りがつきものなのである。これは割合普遍的である。むろん、葬儀といってもいろいろあるから、総てがそうだということではないが、何故、歌や踊りがあるのか、その意味についてあまり考察されていない。特に、歌垣との関連も指摘されているので、漢籍や少数民族の事例などをもとに考えて見ようということである。そして、これはここ数年の課題だが、歌や声による物語を、漢族ではない少数民族が漢字で表記するその実体の調査である。今回は雲龍県に入って葬儀における祭文の表記資料を調べること。

 成果はそれなりにあったということになるか。行けば得るものはかならずある。ところで、私が出した『神話と自然宗教-中国雲南省の精神世界』(三弥井書店)の中国語訳の本が中国で出版される予定(あくまで予定です)。張先生の訳だが、これはほとんど張先生のはたらきによる。中国でどのように読まれるのか楽しみだが、相手は中国、実際に出版されるまで期待は封印しておく。