喜多見氷川神社の鬼やらい2014/02/03 14:25

 今日は節分だが、近くの喜多見氷川神社で「大国舞」という追儺(鬼やらい)の儀礼があるというので見に行った。歩いて30分ほどの神社である。午前10時から1時間ほどで終わったが、けっこう面白い鬼やらいであった。

 鬼が登場するのは普通だが、この儀礼では神官と問答して追いやられるという演技をする。赤青黒白の四匹の鬼が登場し神官と次のような問答をする。

神官…不思議なるもの見えて候、何者ぞ、名告り候へ、
鬼 …それがしに候へか?
神官…早く名告り候らへ
赤鬼…見るも、聞くも、そら恐ろし、それ、赤き息ほっとけば、七日七夜の病とな   る。
青鬼…それ、青き息、ほっとけば疫病となる。よって節分毎に、まかりいで、人の      命をねらい候
鬼 …鬼は内と声がした、よってまかりいで候
一同…言わぬ、言わぬ
鬼 …腹ぺこだ、腹ぺこだ!
神官…悪しき鬼どもだ、おのが住家にあらず、もとの山に帰り候らへ
     -スルメを与える-
一同…それ追い出せ!
 鬼は外!鬼は外!!!!
   -桃の弓と、入り豆にて鬼追いをする-
鬼 …許させ給へ、
   -と叫び、追儺の豆つぶてにて逃げる-  
(神社発行「大国舞」説明文より)

 問答で鬼は負けるが、その鬼は腹すかしていて、神官にスルメをもらい退散するというところがなかなか面白い。何故スルメなのかはよくわからない。この鬼たち、山で食料がなくなって里へ下りてきた動物のようである。

 悪として徹底的に払うのではなく、腹を空かした鬼に食料(供物?)を与えるところが日本的だといえるだろうか。中国の追儺では、鬼は恐ろしいものであって姿をあらわさない。払う側だけが仮面をつけるのだが、日本に入って来ると払われる鬼は仮面をつけて登場し、しかも、その鬼は、来訪神とも重なっていく。なまはげなどがそうだが、来訪神に融合しなくても、仮面としてこのように視覚化されることで、「鬼さん」と呼ばれるように鬼はかなり親しみのあるものになり、その怖さが薄らぐのである。

 「大国舞」でもスルメを与えられ鬼はやはり親和的な「鬼さん」なのであろう。絶対的な神を創造しないが絶対的な悪も創造しない。これが日本のアニミズム的文化ということだ。

 境内には近くの小学生が豆を撒く役割のため招待されていて、とても賑やかであった。

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