文化ってなんだろう ― 2013/06/30 12:59
ブログも久しぶりである。二週間ぶりになろうか。ブログが書けないときは忙しいのに決まっている。授業の準備はもちろんだが、雑務に、原稿の執筆といろいろあった。特に、今年、雲南の調査記録を何とかまとめようと原稿化しているのだが、今、調査記録を出す意味は何だろうか、というようなことをどう文章化するかで悩んでいる。
調査記録であるから、中身はすでにある。むしろ、多すぎるくらいである。一冊の本にまとめるとなると、単なる報告記録ではすまなくなる。それなりの意義が必要だ。雲南の調査記録ということは、それなりの貴重な文化記録ということになるが、記録報告としてだすほどの詳細なものでもない。むしろ、その記録を通して、何を考察したか、そちらに重点はある。とすれば、その考察に一貫して流れるものは何か、ということになる。それがあれば、本を出す意義が出てくる。
結局、それは基層文化へのまなざしということになろうか。雲南へ行って驚くのは、基層文化というところでは日本とほとんど変わらないということである。そこまで文化の底に降りてくると、民族や国家の区別というものが意味をなさなくなる。ただ、文化の共通性という論はつまらない。そういうことではなく、結局、文化って何だというシンプルなところから、基層文化を考えてみたい、というようなことである。
考えてみれば、私が雲南のあちこちの祭りや神話を調査して歩いたのは、異文化への好奇心からである。そのうち、好奇心が探究心というものに変わり、十数年、調査を続けているということになったのだ。ただ、私は文化人類学や比較文化などの学問の領域を意識して文章を書いた発言してこなかった。その意味では、専門の人たちからは門外漢ということになろうが、逆に、だからこそ、見えることもある。
今、文化は、民族や地域のアイデンティティを保証するものというようなとらえ方は、リアリティを失っている。雲南で調査した祭りは、ほとんどが地方政府による観光資源としての位置づけによって支えられている。つまり、観光客を呼ぶということで、政府から資金援助してもらっているのである。が、一方で、それを受け入れながらも、その祭りの本来の意義を守りつつ地域の小さな共同体を支えている人たちもいる。
つまり、祭りを残しているような地域は、環境破壊や、過疎化や、共同体の解体などいろんな意味で危機的状況にあって、そういうところでは、文化は、民族や国家のアイデンティティなどというところの問題にすらならない。むしろ、この地域で自分たちがどう生きていくか、どう生き延びていくかを考えるための財産として文化はむしろある。例えば、祭りが観光資源化されるなら、それはそれで彼らが生きていくための文化の活用である。
だが、そのことを無条件に喜ぶことも出来ない。観光資源化されることで逆に失われ
ものもある。だからこそ、本質的なところは守りつつ、時代の流れに合わせて変化させていくというしたたかさが必要だということだろう。
一方で文化は呪縛でもある。呪縛から解き放たれるということも、またあり得ることなのだ。例えば雲南のワ族は首狩りをやっていた。この首狩りは豊穣予祝儀礼だから、文化として大事なものだ。だが、一方で呪縛である。ワ族の人たちは首狩りを維持しつつ、首を狩られる恐怖に怯えて暮らしていた。毛沢東に首狩りを中止させられ、彼らはこれで安心して畑仕事から帰ることが出来たと語っていた。これも、また文化の側面である。
文化は変わっていく。その変化の中の、そこにどっしりとある基層の文化を見据えていくことが、本を出す意義になり得る、ということだと思う。本になるかどうかはわからないが、とりあえず、何とかしたいなとは思っている。
調査記録であるから、中身はすでにある。むしろ、多すぎるくらいである。一冊の本にまとめるとなると、単なる報告記録ではすまなくなる。それなりの意義が必要だ。雲南の調査記録ということは、それなりの貴重な文化記録ということになるが、記録報告としてだすほどの詳細なものでもない。むしろ、その記録を通して、何を考察したか、そちらに重点はある。とすれば、その考察に一貫して流れるものは何か、ということになる。それがあれば、本を出す意義が出てくる。
結局、それは基層文化へのまなざしということになろうか。雲南へ行って驚くのは、基層文化というところでは日本とほとんど変わらないということである。そこまで文化の底に降りてくると、民族や国家の区別というものが意味をなさなくなる。ただ、文化の共通性という論はつまらない。そういうことではなく、結局、文化って何だというシンプルなところから、基層文化を考えてみたい、というようなことである。
考えてみれば、私が雲南のあちこちの祭りや神話を調査して歩いたのは、異文化への好奇心からである。そのうち、好奇心が探究心というものに変わり、十数年、調査を続けているということになったのだ。ただ、私は文化人類学や比較文化などの学問の領域を意識して文章を書いた発言してこなかった。その意味では、専門の人たちからは門外漢ということになろうが、逆に、だからこそ、見えることもある。
今、文化は、民族や地域のアイデンティティを保証するものというようなとらえ方は、リアリティを失っている。雲南で調査した祭りは、ほとんどが地方政府による観光資源としての位置づけによって支えられている。つまり、観光客を呼ぶということで、政府から資金援助してもらっているのである。が、一方で、それを受け入れながらも、その祭りの本来の意義を守りつつ地域の小さな共同体を支えている人たちもいる。
つまり、祭りを残しているような地域は、環境破壊や、過疎化や、共同体の解体などいろんな意味で危機的状況にあって、そういうところでは、文化は、民族や国家のアイデンティティなどというところの問題にすらならない。むしろ、この地域で自分たちがどう生きていくか、どう生き延びていくかを考えるための財産として文化はむしろある。例えば、祭りが観光資源化されるなら、それはそれで彼らが生きていくための文化の活用である。
だが、そのことを無条件に喜ぶことも出来ない。観光資源化されることで逆に失われ
ものもある。だからこそ、本質的なところは守りつつ、時代の流れに合わせて変化させていくというしたたかさが必要だということだろう。
一方で文化は呪縛でもある。呪縛から解き放たれるということも、またあり得ることなのだ。例えば雲南のワ族は首狩りをやっていた。この首狩りは豊穣予祝儀礼だから、文化として大事なものだ。だが、一方で呪縛である。ワ族の人たちは首狩りを維持しつつ、首を狩られる恐怖に怯えて暮らしていた。毛沢東に首狩りを中止させられ、彼らはこれで安心して畑仕事から帰ることが出来たと語っていた。これも、また文化の側面である。
文化は変わっていく。その変化の中の、そこにどっしりとある基層の文化を見据えていくことが、本を出す意義になり得る、ということだと思う。本になるかどうかはわからないが、とりあえず、何とかしたいなとは思っている。
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