幸福で不安な若者2012/08/04 23:40

 火曜(31日)で前期授業終了。最後は基礎ゼミで、グループワーキングの締めとして、互いに感謝カードの贈呈式というのをやった。グループのメンバー同士が互いに相手の良かったところをカードに書いて、みんな並んで、一人に他のメンバーがそれぞれカードを渡し、そのカードを読み上げて握手する、という儀式である。これは、私がFD研修で体験したやり方の実践である。最初はみんな恥ずかしがっていたが、さすがに、やり始めると、けっこう感激しながらやっていた。たぶん、自分の長所を何人ものメンバーから読みあげられるなどという体験ははじめてだろう。試みは成功というところだ。

 授業を終えて茅野の山小屋へ。さすがに涼しい。次の日にS一家が合流。四人の子連れである。一番上が小学1年。一番下が一歳三ヶ月、さすがにうるさいが、まあこういうのも楽しい。大変なのがチビで、みんなからカワイイカワイイといじられる。チビはおとなしくじっと耐えている。近所の知り合いも呼んでみんなで恒例のバーベキュー。

 軒先に小さなスズメバチの巣が出来かかっていた。夜にスズメバチには気の毒だが取り除いた。大きい巣になると、大変なことになる。朝方、一匹のスズメバチが巣を探して飛び回っていた。ごめん、どこか別の場所に家を作って、と謝るしかなかった。

 金曜に私だけ東京へ戻る。土日はオープンキャンパスで出校である。金曜にある歌誌からの依頼原稿を七枚ほど書きあげる。今日のオープンキャンパスはまあまあの来客。オープンキャンパスは教員の数少ない営業の仕事である。学科のことなどを質問する高校生にとにかく、好感を持ってもらおうといろいろ説明する。定員割れを起こしているわが学科としては、この営業、真剣にならざるを得ない。

 今週も何冊か本を読んだ。古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)、今野敏『同期』(講談社文庫)、誉田哲也『インビジブルレイン』(光文社文庫)、小林泰三『天獄と地国』(ハヤカワ文庫)。手嶋龍一『スギハラサバイバル』(新潮文庫)

 『同期』は警察の内幕もの。まあまあです。★★★あげましょう。あげすぎかな。右翼の大物の設定にやや無理あり。『インビジブルレイン』は★★。刑事の姫川玲子とテレビ版の竹内結子とが重なってしまう。その姫川が昔気質のヤクザに一目惚れしてあやしい雰囲気になってしまう。これって絶対に無理があると思う。映画化されるそうだが、どうなることか。『天獄と地国』は★★★というところ。重力が逆転しているある星の話。つまり、重力の中心が天の方にある。だから、物はみな天に向かって落下するというややこしい設定。だから「天獄」なのである。最後に本来の正常な重力の世界へたどりつくという話なのだが、逆転世界そのものの謎解きがないのでどうにもすっきりしないが、ストーリーは読ませるものがある。『スギハラサバイバル』は★。手嶋龍一は物語が下手である。やはりジャーナリストの文章で読者を虚構の世界に連れて行く力がない。

『絶望の国の幸福な若者たち』は評論である。格差社会と言われ、膨大なワーキングプア層を抱える現代の若者たちの幸福度は、これまでで最低であると誰しも思うが、実は、過去のアンケート調査と比較すると、最も幸福度が高いという結果になるという。実は、とりあえず何とか暮らしていけて、将来に希望がないときは、今の自分を幸福だと思う心性が働くらしい。逆に、将来に希望があるときは、物質的に豊かであっても今の自分を不幸だと思いたがる。バブル期の若者は自分を不幸だと思う割合が今より高いのである。一方で「不安」だとする度合いは今の若者の方が高い。幸福度と不安が比例するのである。このような現代の若者を「コンサマトリー化する若者」と筆者は呼ぶ。自己充足的で今ここの幸福に満足する、という意味合いである。

 今ここの幸福は、関係の充足が大事だが、SNSなどのインターネットでのお手軽なつながりによる自己承認ていどでしか充足を得られないところが悲しいが、それでも、その程度でもないよりましである。その程度の関係と年収三百万程度の豊かさで、何とか幸福でいられればそれはそれでよいではないか、というスタンスがこの本にはある。

 日本という国家が無くなっても、この二級市民化した若者の幸福にとっては別にたいした問題ではない。ささやかな幸福が守られれば日本という大きな物語はどうでもいい、というこのスタンス、逆説的だが、一種のアナーキズムのようにも思える。欧米の若者はウォール街でデモをしたが、日本の若者は、ほとんど、自分の幸福感が傷つかないようにじっとしている。旧左翼はそれを情けなく奴隷と同じだと怒るだろうが、実は日本という大きな物語を空洞化していく方法なのかもしれないなどと思わせる。いろいろと考えさせる若者論である。とりあえず★★★★。

柄谷はあせってないか2012/08/10 23:31

 山小屋に来ていろいろと雑務やら論文の資料調べなどして過ごす。やはり涼しくて助かる。立秋を過ぎて気温がぐんと低くなり、夜は長袖でないと過ごせないほどになった。別荘地のある老婦人とたまたま知り合いになったが、その人の旦那さんは某大学で経済を専攻している先生で、定年前の65歳で退職し悠々自適の生活を送っている、という。身体もとても元気になったそうだ。奥さんからあなたも考えたらと言われたが、無理だろうなあ。雑務だけが仕事ではない。研究の方もやはり勤めていないと出来ないことがある。大学というのは、やはり研究機関でもある。そこがありがたいところだ。

 蓼科の別荘に夏の間住んでいる恩師夫妻に挨拶にうかがう。もう八十歳近い年齢だが、とても元気だ。敷地内から湧き水がでるので、水路を作り滝まで作って道路に流す工事をしたという。庭にいろいろと植物を植えていたが鹿にほとんど食べられてしまったと嘆いていた。寒くなると伊豆のほうに移り暑くなると蓼科に来る。うらやましい生活である。ただ、最近は、寒さがこたえるようになり、伊豆にいる期間がだんだん長くなってきたという。私どもが目指すリタイア後の生活だが、ただ私たちにはそんな生活を送る財力がない。

 来週から中国である。明日に東京に戻り準備をして月曜に出発。七泊八日の短い調査である。去年やり残したことや新たに見つかった課題の調査だが、今年の九月には報告書の論文等を出さなきゃならないので、その確認という意味合いもある。本当は論文を書かなきゃならないので行っている暇はないのだが、やはり現地確認の必要が出て来た。その現地が中国の奥地だから大変なのである。一泊二日で行けるところではないのだ。

 今週はあまりスキャン読書はしなかったが、それでも何冊か読んだ。カルロス・ルイス・サフォン『風の影』上・下巻(集英社文庫)、誉田哲也『ヒトリシズカ』(二葉文庫)、柄谷行人『「世界史の構造」を読む』これはまだ途中まで。

 『風の影』は世界で1300万部売れている、というので読んでみたが、確かに面白かった。★★★★(面白い。おすすめ)である。ミステリーものと言ってもいいのだろうが、昔読んだ『ジェーン・エア』のような作品を思い起こさせる。19世紀ロマネスク風小説のにおいがするが、作者もそういう狙いで書いているようだ。スペイン内戦後の時代、古本屋を舞台にしている。とにかく、私の好きそうな舞台装置がほぼそろっている。久しぶりに読んだ面白い本であった。

 『ヒトリシズカ』はやや甘めで★★★(まあまあ。すすめるほどではない)。本屋の棚に売れている文庫だったの読んでみたが、期待したほどではない。ヒトリシズカの切なさがあまり伝わってこない。警察官の人間像や警察内の人間関係は姫川玲子シリーズでおなじみで面白いのだが、主人公が狙いほどには浮かび上がってこない。むろん、あえて直接描写しないで主人公の生の凄惨さや切なさを浮き彫りにする手法をとったようだが、成功しているとは言いがたい。やや軽めの文体の問題があるようだ。

 柄谷の『「世界史の構造」を読む』は、自著『世界史の構造』の自らの解説であり、また対談集である。全部読んだわけではないがほぼ理解できた。最後まで読まなくてもいいのではと思ったので★★★。

 私は柄谷の行っているD段階(贈与交換の新しいバージョンシステムに世界はすすむべきだという理想論)に世界は進むべきだという考え方に共感している。が、ちょっと大丈夫かなと思うところもある。それは、D段階にすすむ方法論があまりに理想主義過ぎるのだ。

 例えば世界同時革命(懐かしい言葉です)でなければ意味はないと柄谷は言う。確かに、新しい交換システムとして世界は再構築されなければならないというのだから、一国革命ではだめで世界同時革命でないと意味はない。でも、どうやって世界同時革命になるの?

 昔、赤軍派は世界同時革命を唱えてよど号をハイジャックして北朝鮮に行き、重信房子はパレスチナに行った。理想と現実の違いを埋める戦略・戦術など考えずにである。柄谷は世界宗教の重要さを唱える。また、軍備を率先して捨て去る日本の憲法九条こそが世界にとって重要で、つまり、世界同時革命の突破口になり得る、という。

 理屈としてはわかるが、赤軍の時と同じで、そういう理想と現実を埋めていく戦略とか戦術があまりにもすっとばされているのではないか、そういう疑問がどうしても残る。というより、もう少し、社会の動きというものを見てからでも遅くはないのではないか。資本主義以降を世界が模索しているのは確かである。その模索をもう少し見つめる必要がある、と私などは思う。柄谷の主張は理想主義が突っ走っている分、原理主義的なにおいがある。

 例えば柄谷はアニミズムは地域の宗教であり、共同体を越えた交換を意味するD段階にふさわしくないという。だから世界宗教だと言うのだが、果たしてそうだろうか。アニミズムは確かに地域限定だが、世界の各地域に無数にある地域限定宗教である。この無数の地域限定宗教が世界性をどう持つのか、むしろ、こういう発想が今は必要なのではないか。ユダヤ教的な超越的な神による世界宗教を持ち出す柄谷はあせっているように見えて仕方がない。

生活がかかってる2012/08/24 01:06

中国から20日に帰る。上海で飛行機に乗ったら烈しい雷雨で三時間飛行機は飛び立たずにいた。結局、三時間遅れで羽田に着く。飛行時間2時間半。近い距離である。反日デモのことは知らなかった。ナショナリズムが入ると距離はとたんに遠くなる。中国で働いたりあるいは中国人と交流しているほとんどの日本人にとって中国とのつきあいは生活がかかったつきあいである。原発があることで生活が成り立っている人がいるようにである。原発に良い感情を持たなくても、生活がかかれば簡単に反原発とは言えない。隣国に対しても同じであろう。生活がかかっている人の慎重な立場を大事にしたいと思う。

 今回の調査もいろいろと収穫はあった。去年の調査で確かめられなかったことの再確認という意味合いだったが、結果的に再確認では無く、去年の調査で導いたこちらの論理が正しく無いことを思い知らされた。フィールドワークにはこういうことはよくある。調べながら推論し、もっと調べるとその推論が無効になる。ひととき混乱し途方に暮れるが、しかし、それは新しい推論を作る機会であり、収穫でもある。

 21日は学会のセミナーで箱根へ。22日箱根から都心に戻り別の学会の会合に出席。いやはや、毎日泊まる場所が違う。研究者同士での合宿なので夜遅くまで酒を飲んだり研究の話でつきることがなく、若い人は朝方まで話し込んでいる。私はさすがにそういう元気はない。

 中国にも本を持ってって読んでいた。行く前と帰ってから読んだ本を含めると次の通り。カルロス・ルイス・サフォン『天使のゲーム』上下巻、集英社文庫。大栗博司『重力とは何か』幻冬舎新書。三上延『ビブリア古書堂の事件手帳』1・2・3巻メディアワークス文庫。赤坂真理『東京プリズン』河出書房新社。

 『天使のゲーム』は★★★(まあまあ面白い。特に人に勧めるほどではない)。前作『風の影』ほどではない。『風の影』を超えた!がキャッチフレーズだが嘘です。あえてだろうが、説明されることのない謎をいくつか残して終わっている。シリーズものにして後から解く、というよりは、神秘的もしくは神学的な内容にしたかったのだろう。しかしとりあえず謎解きミステリーなのだからそれは約束違反。違反を問題にしなくなるほどの神秘性はない。『ビブリア古書堂』は、このサフォンの古書店を舞台にした設定とよく似ている。ひょっとして影響を受けたのかも。★★★。それなりに本を読んでいる私としては、読んでない本が出て来てそれが事件の鍵になるなんて設定は悔しいところがある。そういう意味での面白さがある。探偵物としては可も無く不可もなし。

 『重力とは何か』★★★。科学本は好きなのでたまに読む。これは素人向けの啓蒙書なので、難しい理論をどうやってわかりやすく説明しているのか、そのことに興味があって読んだ。確かにわかりやすかったが、わかりやすすぎて面白くないところもあった。つまり、肝心なところは説明できないのか言っても分からないだろうと語っていない気がする。「重力は幻想である」という言葉が印象に残る。空気や水が幻想だと言われているのと同じことだ。つまり実体としての「重力」そのものなどないということである。エレベーターが高速で落下するとき一瞬重力から解放される。あれは解放されるのではなく、ただ重力がなくなったというだけのことらしい。

 さて『東京プリズン』は不思議な本である。★★★(今回は全部★三つでした)。面白いところと面白くないところとが斑模様になっている。時々読むのに疲れた。結局、この本は、作者の天皇論だと言ってもいいだろう。むろん、それは日本論でもある。が、同時に自分論でもある。16歳の少女が留学先のアメリカの高校で、天皇の戦争責任を巡ってディベートをやらなくてはならなくなる。

 ところがだこの少女はえんえんと自分と母親との葛藤やあるいは自分はなにものなのかというアイデンティティの悩みを綴る。これがほんとに面白くない。ディベートに入ると、天皇は「大君」として少女と一体化していく、つまり、天皇を、キリスト教的な一神教の神ではない、主体の曖昧なアニミズム的な霊そのものとして扱っていく。その解釈から責任論をやるのだから、ディベートがなりたたなくなるのだが、結局、天皇は私だし日本のピープルだし、よくわからない霊だといって終わっていくのだ。

 天皇をめぐる解釈は面白くない。それほど目新しくはないからだ。面白いのは、アイデンティティ崩壊に直面した発達障害の少女が、日本とは何かという「大きな物語」を必死に考える事で救われていく、みたいな、小さな物語と大きな物語とが結構上手く融合しているところだ。作者はこの小説をとても真面目に書いている。題材が題材だけに真面目に書かないととやかく言われる小説だ。が、この種の真面目さには真面目さ特有の嘘がある。つまり、原発で生活が成り立っているというような、そういう生活がかかってない真面目さだということだ。