遠野物語2010/07/30 00:00

 やっと前期の授業を終えた。ただ、今度の土日はオープンキャンパスで、模擬授業がある。相変わらず「千と千尋の神隠し」論である。もう飽きたというところもあるが、ジブリの人気は衰えない。「隣のトトロ」などテレビで何度放映されても高い視聴率をとる。私の模擬授業も客はよく入る。

 学生に卒業レポートのテーマを決めろと言ってあるのだが、ジブリのアニメについて書きたいというのが毎年何人かいる。トトロやもののけ姫や千と千尋などに出てくる妖怪や神様について調べたいという学生がいた。あれは作り物だから調べようがないよ、ただ、モデルはあるかもしれないけどね、と答えると、えーっ、あれは実体じゃないんですか、と驚いていた。その反応にこっちも驚いたのだが、とりあえず、もののけ姫に出てくる神たちは、モデルがわかりやすいので、調べたらとアドバイスした。

 ジブリのアニメについてレポートを書きたいというのはいいのだが、なんせ資料がない。ジブリのアニメ論や宮崎駿論ならあるが、キャラクターの文化論などというものはない。だが、ないからこそ面白いという考え方もある。調べようがない対象をどのように知恵を絞って調べるのか、そこにやりがいというのがある。やりがいを感じて欲しいのだが、先生、資料がないのでテーマ変えていいですか、と言ってきやしないか心配である。

 好きなテーマについて書くのは悪いことではない。ただ、難しいテーマを避けているのではないか、と時々思うことがある。テーマというのは、解き明かさなければならない何かだ。何故、そのテーマを選んだのという問いに対して、好きだからではだめである。それを解き明かすことにどんな意義かあるのか、答えられなくてはならない。が、最初からそんなことを言って脅すと、だれもテーマを選べなくなる。とりあえず好きなテーマを何となく選び、どうやったらレポートになるのか、そこから悩み始めるのも悪いことではない。挫折しないように、どんなテーマだって問いの作り方次第で立派なレポートになると指導しながら、とにかく、何とかレポートを完成させる。根気がいる仕事である。

 9月末に提出する紀要論文は、「遠野物語」に決めた。「遠野物語」研究会に出ているのだが、まだ何も論になるようなアイデアは浮かんでこない。が、このままだらだらとつきあっているのも消耗だから、論らしきものを書こうと決意した次第である。

 いまだに「遠野物語」をどう読んだらいいのか、よくわからない。もう何年も学生と読んでいるが、謎の多い書物である。物語と銘打っているが、その叙述はとても短い。が、その書かれざるものを伝える力はかなりのものである。余韻の方が勝っている叙述である。 物語的構造や文法というものはない。プレ物語でもないし、物語以後でもない。ただ、物語だなと思うのは、異質な他者と出会うということにおいて一貫しているからだ。私の物語の定義は、異質な他者と関わることで生じる日常の亀裂を修復するプロセス、というものである。その意味では、異質な他者との出会いがやたらと多い。ただ、その修復のプロセスはかなり短い。ない場合もある。だから物語的でないのだが、物語の根幹は通っている、というより根幹しかない、と言った方がいい。とにかく論じにくい物語である。

他者とであう夏の夜の物語

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