逆言2010/07/24 22:56

 今日は一日家で仕事。あまり暑いのでほとんどクーラーをかけて過ごす。奥さんは山小屋に行っているので、私独りである。明日は京都であさって午前に東京に戻って午後から授業。テレビをみたり、ワープロに文章を打ち込んだり、考え事をしたり、あっというまに一日がすぎていった。

 本当なら山小屋に行きたいところだ。電話をかけたら向こうは涼しくて夜は寒いくらいだという。チビは密生した毛で覆われているから、暑さが苦手で、さすがに向こうでは元気がいいらしい。

 親しくしていた研究者の中村生雄さんが白血病で亡くなった。四日に亡くなったということだが、知らせが昨日届いた。2ヶ月ほど前に頼まれた論文を送って返事をいただいたばかりだったが、はかないものである。一時は大分良くなったということだったが、やはり病に勝てなかったのか。そんなことで、今日はお通夜のような一日であった。歳のせいか知人の死の知らせが届くと、他人事ではない死というものを考える。

 万葉集では死の知らせを「逆言(およづれごと)」と呼んでいる。逆言はたわごととも言う。狂言、妖言も同じような意味だ。人のこころを惑わすことばを意味する。確かに死の知らせほど人のこころを惑わすことばはないだろう。

 難病で余命幾ばくもない主人公の奇跡のような生き方を描く物語が最近多い。こういうドラマはなるべく見ないようにしている。たぶん見れば涙涙だろうが、何でそんなに辛い思いをしなくてはならないのか。生きているもののカタルシスのために、不幸な命を描くことは物語の宿命みたいなものだが、どうもこういう物語は好きではない。

 余命一ヶ月と言われたのに一〇年以上も生きている、というような物語の方が好きである。そういうものではないか。現実はなかなそうはいかないものだとしても、物語ではそうあって欲しい。

                        花火の夜逆言に声もなき