シャングリラ2008/05/09 00:16

 今日は教授会。授業は仮面論で伎楽のビデオを見せる。野村万之丞が伎楽のルーツを訪ね、真伎楽と称して新しい伎楽を創作するその経過を収録したNHKの番組でなかなか面白い。野村万之丞は若くして亡くなってしまったが、仮面にかける情熱はよく伝わってくる。この授業で参考にしている資料は、野村万之丞の書いた「仮面」の本である。

 教授会は一時間ほどで終わる。私が司会をしてから早く終わるようになった(たぶん)。進行が早いということもある。みなさんに意見を聞いても発言がないと、早々に切り上げて、それではこれでいいですね、と提案する。また意見がないと、それじゃこれでいいということで次、というように進行していく。ちょっと早すぎかなと時々反省する。

 午後我が家では、古本屋が古本の引き取りに来ていた。1000冊以上はあったはずで、全部運んでくれて、しかも紙ゴミにしようとして積んであったこれも相当数の雑誌類ももっていってくれた。買取値段はほんとに僅かなものだが、でも、これを自力で処分するのはとてもじゃないが無理だと滅入っていたところなので、もう大助かりである。

 夕方はE君とテレビ局の人二人と少数民族を扱う番組についての話し合い。といってもこちらがいろいろと聞かれたことに答えていく、というもので、タイ族やモソ族、ナシ族についていろいろと話をする。ナシ族の署神を祭る儀礼に興味をしめしたようだ。番組は、女優が少数民族の村に入って彼等の生活に触れ、少数民族の人達の心に触れていくというものらしい。シャングリラが一つのテーマになっていて、演出担当のその人はどうしたらいいものか悩んでいた。

 私は、シャングリラはほとんど観光用に作られたものにすぎないが、でも、少数民族にとっては、そのようなものであれ、自分たちが外部に開かれる大事な機会であって、しかも、厳しい環境の中で生きている少数民族にとって、シャングリラという命名は、彼等が自分たちをとらえかえす方便ともなり得るのだと話をした。あちこちで真のシャングリラは自分たちの地域だと名乗っているが、観光用ではないかと馬鹿にするのではなく、そこには過酷な環境で生きている少数民族が、その地域で生きて行かざるを得ないことを納得させる一つの方法にもなっていることを見るべきではないかということだ。

 帰り電車の中で週刊朝日を読んでいたら、コラムに徒然草のことに触れてあって、吉田兼好は、ダメなものに、硯に筆がたくさんあるものとか、人と話をしすぎるものとあげてあり、よいものに本箱に本がたくさんあるとか、ゴミ箱にゴミがたくさんあるとか言っていて、そのことに感心すると言う内容であった。

 ダメなものは私のことだとすぐに悟った。今日テレビ局の人を前にけっこう饒舌だった。反省である。たぶん私も硯に筆をたくさん積み上げるタイプだ。ゴミ箱にゴミがたくさんある、というのは悪いことではないらしい。ゴミをきちんと出しているということは、きちんと生活をしているということか。私は今狭いところに引っ越すのでいろんなものをゴミとして始末しようとしている。こういうのは良いもんには入らんだろうなあと思う。

      軽暖の日本で語るシャングリラ