鎮魂2008/05/22 00:35

 相変わらずめまいがするほど忙しい。昨日ある遺稿集についての文章を書きあげ、メールで送ったが、たぶん締め切りを過ぎていたので、載らないかもしれない。締め切りはだいたい守るほうなのだが、今回ばかりはさすがに無理であった。何しろ、新居の部屋はまともにパソコンに向かえる状況ではないし、仕事も暇はないし、土日は研究会等でほぼ埋まっていて、とにかく休むときがないのである。

 私が書かなければならなかった遺稿集の作者は、歌人で、まだ20代の女性だ。実は、婚約者がいて、半年前にその婚約者が急に病で亡くなられた。半年後、自らその婚約者の後を追ったのである。

 ある意味で痛ましい遺稿集である。その作品には婚約者の死後のことが淡々と歌われている。正直、私はこの遺稿集についてどうにも書けないと思った。

 テーマは鎮魂ということであった。鎮魂というのは、生きている者が死者の魂を鎮めあの世に送るというものである。何故、そうするのかというと、そうしなければ生きている者の生が危うくなるからである。特に若くして死んだ死者はきちんと弔わないと、生きている者に禍を及ぼすと信じられていた。

 葬式とは死者を払う儀礼なのでもある。一方、生きているものが死者を忘れる儀礼でもある。死者を忘れなければその人の生はまた危うくなる。きちんと鎮魂することによって、死者は生きている者と別れることが出来るのである。

 とすれば、この遺稿集の作者は、婚約者の鎮魂を拒否した人である。忘れることを拒んだのだ。その気持ちは分からなくはない。が、死者を忘れるというのは、生きるということが背負う宿命でもある。それを拒否することは生そのものを拒否することになる。

 さて、そういう、鎮魂を拒否した人の遺稿集について、私が鎮魂のような文章を書くなんて出来るはずがない。たぶん作者は、ほっといてよ、と言うだろう。

 だから難しい。とりあえず、鎮魂は難しいということをただ書いた。それしか書けなかったからである。それにしても、ここんとこ私は死者によく出会っている。

          卯の花や鎮められぬ御霊ばかり