切岸を生きる ― 2014/08/16 01:05
山小屋に来て十日ほど経った。柳田国男の論を書こうといろいろ資料を持ってきたのだが、歌集評の依頼が入って、それを書かねばならなくなり、ほとんどその原稿にかかりっきりになった。いつも、二~三日もあれば書けるのだが、今回はどうもそんなに簡単にはいかない。清田由井子歌集『古緋』である。九州の阿蘇に住み、旺盛に短歌を創作している歌人である。自然や物の表象から入り、その地で生きる歌人の心情を浮かび上がらせる、という古典的な作風ながら、阿蘇の地に生きる歌人の覚悟が伝わってきて、なかなか読ませる歌集なのである。
「切岸を生きる」ということばが出てくる。いわゆる崖っぷちを生きるということだが、こういうことばに初めて出会った。崖っぷちだと借金を背負って逃げているみたいなイメージもまといつくが、さすが、「切岸」と言われると、何かにがんばりながらぎりぎりに生きている人間のイメージがつたわる。ことばの妙である。
私は「切岸」を生きているのだろうかと、ふと省みたのだが、たぶん生きていない。が、状況は結構「切岸」に佇んでいるというところなのではないかと思う。例えば健康も「切岸」なのではないかと思っている。最近、同年代の知り合いの死が相次ぐ。心筋梗塞とかの循環器系の疾患である。私も人ごとではない。血圧は高い方なのである。
昨日夏の間蓼科に来ている恩師に挨拶に行った。もう八十歳を越えているがまだまだお元気である。毎年夏には顔を出すのだが、さすがに年々年老いていく。当たり前だが。先生は、体力はもちろんだが、記憶力がなくなってきて、それが悲しいとおっしゃった。老人になると毎日ただ生きるために生きているようなものと語る。先生に比べればわたしなどはまだまだ「切岸」を生きているわけではないということがよく分かった。私の健康は崖っぷちと言った方がよい。
この日本もまた「切岸」というよりは崖っぷちなのだろうと思う。経済成長路線の夢を追い続けたあげく厖大な借金を作り、狭隘なナショナリズムが蔓延し、フクシマの解決も出来ず、ひたすら崖っぷちを歩いているようなことばかりの国になってしまった。
二十日から中国雲南省へ二週間ほど調査に行く。その準備もしなくてはならないのだが、進んでいない。地震があったようだが、私たちの行く麗江や大理とは離れている。だが、地震多発地帯であるので油断は禁物である。夏に中国に行くと、いつも、抗日戦争映画ばかりをテレビで放映している。その荒唐無稽さにうんざりするのだが、さすがに中国当局もまずいと思い始めたのか、反日映画に批判的な意見が出されたとインターネットニュースに出ていた。日本に対して歴史を歪曲するなと批判している中国が、荒唐無稽な反日映画ばかり作れば、中国の主張もいい加減とみなされる。そのことを公的に認めたのは中国の進歩であろう。今年は、少しは、日本との政治的緊張は和らぐようだが、一方で、ウイグル自治区での小数民族問題が気になるところである。中国もまた崖っぷちの国である。
「切岸を生きる」ということばが出てくる。いわゆる崖っぷちを生きるということだが、こういうことばに初めて出会った。崖っぷちだと借金を背負って逃げているみたいなイメージもまといつくが、さすが、「切岸」と言われると、何かにがんばりながらぎりぎりに生きている人間のイメージがつたわる。ことばの妙である。
私は「切岸」を生きているのだろうかと、ふと省みたのだが、たぶん生きていない。が、状況は結構「切岸」に佇んでいるというところなのではないかと思う。例えば健康も「切岸」なのではないかと思っている。最近、同年代の知り合いの死が相次ぐ。心筋梗塞とかの循環器系の疾患である。私も人ごとではない。血圧は高い方なのである。
昨日夏の間蓼科に来ている恩師に挨拶に行った。もう八十歳を越えているがまだまだお元気である。毎年夏には顔を出すのだが、さすがに年々年老いていく。当たり前だが。先生は、体力はもちろんだが、記憶力がなくなってきて、それが悲しいとおっしゃった。老人になると毎日ただ生きるために生きているようなものと語る。先生に比べればわたしなどはまだまだ「切岸」を生きているわけではないということがよく分かった。私の健康は崖っぷちと言った方がよい。
この日本もまた「切岸」というよりは崖っぷちなのだろうと思う。経済成長路線の夢を追い続けたあげく厖大な借金を作り、狭隘なナショナリズムが蔓延し、フクシマの解決も出来ず、ひたすら崖っぷちを歩いているようなことばかりの国になってしまった。
二十日から中国雲南省へ二週間ほど調査に行く。その準備もしなくてはならないのだが、進んでいない。地震があったようだが、私たちの行く麗江や大理とは離れている。だが、地震多発地帯であるので油断は禁物である。夏に中国に行くと、いつも、抗日戦争映画ばかりをテレビで放映している。その荒唐無稽さにうんざりするのだが、さすがに中国当局もまずいと思い始めたのか、反日映画に批判的な意見が出されたとインターネットニュースに出ていた。日本に対して歴史を歪曲するなと批判している中国が、荒唐無稽な反日映画ばかり作れば、中国の主張もいい加減とみなされる。そのことを公的に認めたのは中国の進歩であろう。今年は、少しは、日本との政治的緊張は和らぐようだが、一方で、ウイグル自治区での小数民族問題が気になるところである。中国もまた崖っぷちの国である。
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